未完とは、男坂を上りきった果てにあるもの、もしくはプリンセスハオに捧げられたフルーツである。
類義語として虚無る、NEVER END、エタる、俺たちの戦いはこれからだなどが存在している。要は打ち切りである。
概要
未完とは、作品が完成していない状態、あるいは物事・物語が終了・完結していない状態を表す言葉である。未完成の記事も参照。
物語における未完
物語には必ず終わりがある。どれだけ心躍る冒険を描いても、どれだけ心癒される日常を描いても、いつか必ず終わる。最終巻を読み終えたとき、あるいは最終回を見終えたとき、そこには一つの物語を堪能しきったという達成感と余韻、同時に、物語が終わってしまったという寂しさがあるはずである。
しかし、世の中には様々な理由により、終わりを迎えられない物語がある。それらがいわゆる未完作品である。
未完作品の発生理由
未完作品が発生する理由はいくつかあるが、主なものとしては連載・刊行の打ち切りか、作者の絶筆である。
打ち切りに関して
打ち切りの記事も参照。
連載の打ち切りについては週刊少年ジャンプに代表される人気のない作品の連載終了のことが真っ先に思い浮かぶ人も多いだろう。しかし、打ち切り=未完ということにはならない。ジャンプの打ち切り作品についてはほとんどの場合、最後無理やりにでも物語に収拾をつけどのような形であれ完結させる。そのため、未完であることはほとんどない。
そのような週刊少年ジャンプの打ち切り作品の中でめずらしい未完作品としては『男坂』と『シャーマンキング』が挙げられる。どちらの作品も打ち切りの最終回において「未完(みかん)」と銘打っている。なお、どちらの作品ものちに何らかの形で物語の続きが描かれている(が、2015年現在、どちらもまたしてもよくない状況に置かれている)。
その他、打ち切りに至る原因として作者と出版社との確執という問題が存在する。後述する作者の絶筆とも重なるが、作者と編集部が折り合わず、これ以上連載を続けていくことができないと連載が打ち切られてしまう場合がある。その際、物語に一応の決着をつけることができないと、作品は未完状態になってしまう。
作者の絶筆に関して
作品が途中であるにもかかわらず、作者がそれより先の物語を書くことをやめてしまうと、作品は未完となる。この際、打ち切りのように無理やりでもいいから物語をまとめることなどはされない事が多く、作品のファンは続きが出るまで何年も、時には10年以上も待たされることがある。
絶筆の理由は様々であり、打ち切りの項で挙げたような出版社との確執であったり、モチベーションの低下であったり、風呂敷を畳みきれなくなってしまったり、社会的に作品が発表できる状態でなくなってしまったり、病気やけがで執筆できなくなってしまったりすることなどが挙げられる。そして、何より、作者が亡くなってしまうと絶筆は決定的なものになる。
作者死亡による未完の代表例として、手塚治虫のケースを挙げることができる。漫画の神様と言われた手塚治虫がライフワークとして執筆していた『火の鳥(漫画)』は構想などは完成していたが執筆はされていない章が残されていたとされ、手塚の死とともに未完となっている。
ただし、作者が亡くなった作品でも別の人間によって物語・作品が書き続けられることもある。作家栗本薫が亡くなったため未完となった『グイン・サーガ』シリーズは別作者の手により正式ナンバリング作品が出版され続けている。『ゼロの使い魔』もヤマグチノボルが亡くなったのちに別作者によりシリーズ刊行が続けられることが発表された。漫画家臼井義人が亡くなったのちも『クレヨンしんちゃん』は『新クレヨンしんちゃん』として連載が続けられている。
作者のモチベーション低下などによる絶筆の場合には復帰の可能性は残されているが、作者が現行シリーズを放り出して新シリーズを立ち上げ、そちらの新刊が続くような状態になってしまった場合などは、読者は(お察しください)状態となってしまう。
ネット上の未完作品
エターなるの記事参照。
ニコニコ動画での未完作品
うp主失踪シリーズの記事参照。