SG(Sega Game)-1000とは、1983年にセガから発売された家庭用ゲーム機である。なんと、ファミリーコンピュータと同じ7月15日発売である。
概要
出発点は、ホビーマイコンのSC-3000である。本機は、BASICこそ別売ながら同年発売のMSXと同等の性能を有しながらも29,800円という低価格を実現し、受注段階で数万台の売上を計上した。
この数字に自信を得たことや、任天堂がゲーム専用機を開発中であることを聞きつけたことから中山隼雄社長(当時)の鶴の一声でSC-3000のゲーム専用機化が決定された。そして完成したのが、SG-1000である。
SG-1000はSC-3000からキーボードを廃し、ビデオ出力端子やカセット、プリンタ端子を省略することで大幅なコストダウンを実行し、ほぼ半額の15,000円という低価格で売り出された。当初の予定では「5万台も売れたらいいかな」程度だったのが、予想に反して初年度に16万台も売るというヒット商品になった。
セガとしてはアーケードが本業であり、コンシューマにはあまり乗り気ではなかったが、このヒットを受けて徐々に本腰を入れるようになっていった(SG-1000の開発チームは最初3名であった)。
SC-3000及びSG-1000の仕様は、同時期に発売されたMSXや前年発売のSORD M5と近似(CPUにZ80A、VDPにTMS9918)しているが、特に意識したわけではなく汎用部品を採用した結果ほとんど同じ構成になったのである。
翌84年には、マイナーチェンジしたSG-1000IIを投入している。SC-1000のコントローラは本体直結であったが(2プレイヤー用のジョイスティック端子はあった)、コントローラのケーブル断線などで修理のために本体ごと送られてくることが相次いだため、両方ともコントローラが脱着出来るコネクタ方式に変更された(本体デザインも大幅に変更された)。
さらに翌85年には、「打倒ファミリーコンピュータ」としてファミコンを上回る性能を得た新型ハード、セガマークIIIを投入した。
以上、週刊ファミ通2013年8月29日増刊号の付録に掲載された佐藤秀樹元セガ社長(SC-3000からドリームキャストまで、セガのすべての家庭用ハード設計開発に関わっていた人物)のインタビューを元に記述した。
補記
性能
- CPUはZ80A 3.58MHzとファミコンよりクロック周波数は高いが、FCに採用された6502とは同クロックでの性能が違うため、単純に優劣は決められない。ちなみにZ80AはセガマークIII、マスターシステムはもちろん、メガドライブにもFM音源制御用のサブCPUとして搭載された。
- VDPには同時期のホビーマイコン(ぴゅう太やMSXなど)の多くに採用されたTMS9918を採用しており、同時発色数やスクロール機能などはファミコンに劣る。
互換機
- キーボード一体型でBASICプログラミングが可能なSC-3000が同日発売。
- のちに1984年7月にSG-1000II、SC-3000の後継機としてキーボードがメンブレン式からプラスチック式になったSC-3000Hが発売。
- 他にはツクダオリジナル(オセロマルチビジョン、もちろんオセロプレイ可能)とパイオニアが、互換機を出した。
- 「1981年にSG-1000と100%互換機であるSG-2000を定価19800円で、セガから一部地域にてこっそりと試験販売されていた。」とトイズマガジン1983年8月号にその旨の記述があるが、セガのサイト
には掲載されていなく、真偽不明。
- 上位互換機種はセガマークIII(1985年発売)、マスターシステム(1987年発売)。
その他
- 日本本格発売の1983年には、同日発売ファミコンが9タイトル発売したのみなのに対し、当ハードは23タイトルと初期のラインナップ数はSG-1000に軍配が上がった。(国内の発売ソフトはすべてセガが発売元)
- CMには1990年後半に長者番付の常連になったお笑いコンビとんねるずと、東海地方では天才クイズでおなじみだった斉藤ゆう子を起用した。
- 日本国内での普及台数は1985年末ごろから爆発的に普及したファミコンに大きく水をあけられたが、計画目標より多く売れ、次世代機のセガマークIIIやマスターシステム、そしてセガで最も普及した家庭用ゲーム機メガドライブが欧州市場を中心に任天堂に互角以上の戦いを出来た足掛かりとなった。