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バザールモデルの汎用性

ひとつ想像してほしいのですが、みなさんのアンテナやブックマークにあるWEBページを印刷して、10年前の自分に送りつけたとしたら、10年前のあなたは何を考えるでしょうか?

おそらく、10年前のあなたには全く意味の無い情報、理解できない情報もいくつかあると思います。しかし、中には「こういうのが読みたかった」と喜んで読みふけってしまうようなものが含まれているのではないかと思います。そして「21世紀って、こんなものが自宅でタダで読めるんだ。すげーなー、俺もはやくそっちに行きたいよ」と言うのではないでしょうか。

もし、多くの人がこれに同意してくれるとしたら(当然私はそう思っているのですが)、この10年間でさまざまなジャンルにおいて、「知の総量」が急激に上昇しているということが、言えるのではないかと思います。みなさんの興味の方向はさまざまだと思うのですが、あらゆる分野において、人をうならせてしまうような凄いレベルの文章が発見できると思います。そしてその多くは、その分野についてのプロではなく、在野のアマチュアによって書かれています。

しかし、21世紀になっていいことはこれだけです。「早くそっちへ行きたいよ」と言う、過去のあなたに、「待て待て、もちつけ(このギャグはたぶん通じない)。こっちでいいことは実はこれだけなんだよ。他に悪いニュースがいっぱいある」と現在のあなたは言わなくてはならない。

ですから、我々はこの唯一のアドバンテージを最大限活用するしかないんです。

私がオープンソースを他の分野にからめて論じるのは、その為の方法論として使えると思うからです。「在野の知」を社会として活用していくことは緊急の必須の課題であって、そのためには使えるものはなんでも動員しなくてはいけないということです。

動員させられる側から見ると迷惑千万だと思います。しかも、昨日のように迷走して成果を産まないばかりか、余計な混乱を持ちこんでいる。そこで、これからはオープンソースをソフトウエア以外のものと関連づけて論じる場合には、「バザールモデル」という言葉を使っていこうと思います。

私が「在野の知」と言う時、10年前と比較して強調したいことは、「知が潤沢なリソースになっている」ということです。あらゆる分野において「エライ人」が、要求以上に存在している。

10年前にもそれなりに「エライ人」がすごいことを書いていたと思います。しかし「エライ人」はきっちり必要な分しか供給されていなかった。それは貴重な資源であって、浪費が許されなかった。そこが今と最も違う所だと思います。

「エライ人」を好き勝手に浪費できる。そこが我々に許された唯一の贅沢であって、それを活用する原理として「バザールモデル」が有効なのではないか。それを私は考えています。