相対論とならぶ二大物理理論・量子力学は、世界の見方を根幹から変えたことで知られています。量子力学が提示した世界観・物質観に猛然と異を唱えたアインシュタインは、量子力学の創始者の一人・ボーアと激しい論戦を繰り広げました。
「果たして実在とは何か」──大いなる問いをめぐる熱い論争の100年を克明にたどった近刊『実在とは何か──量子力学に残された究極の問い』(筑摩書房)が話題となっています。
同書の翻訳を担当した吉田三知世さんに、その深い魅力を語っていただきました!
量子力学の解釈問題
20世紀の幕開けに萌芽(ほうが)した量子力学は、1925年に理論的に定式化され、はや100年になろうとしている。その応用は着々と進み、エレクトロニクスを生み出して、情報通信技術や医療その他の産業を成り立たせている。スマートフォンなど、日常生活で触れる機器をとおして暮らしにも浸透している。
ジャーナリストのブライアン・クレッグによれば、2014年における「先進国」のGDPの約35パーセントが量子技術に由来するという。今や量子力学は現代社会にとって不可欠だ。
そんな量子力学だが、わかりにくい。
だが、それはある意味当然だ。量子力学は、日常生活では見たり触れたりできない分子や原子、そしてそれよりもはるかに小さな要素を扱う理論だからだ。そのため高度な数学が必要で、訓練なしには厳密には扱えなくなってしまう(だが、数学抜きでも、最も大切なその「考え方」は議論できるので、ご安心を)。
さらに量子力学には、その解釈を巡る問題がつきまとう。
量子力学の正統的な解釈法は、ボーアが提唱したコペンハーゲン解釈である。観測結果のみが実在であり、その背後に実在など存在しないという、実証できることだけを問題にする立場だ。観測対象を記述する波動関数は、観測によって乱され、瞬時に「収縮」して一つの値に決定するという。
『実在とは何か』は、コペンハーゲン解釈の持つ問題点を取り上げ、それが初期から批判されてきたこと(特に、局所的な客観的実在を信じるアインシュタインによって)、代替解釈がいくつも提案されていること、そして実験によって局所実在論的な見方は否定されたものの、コペンハーゲン解釈の実在の捉え方にも問題があることを紹介し、このような状況に至った科学史的経緯を、多くの文献やインタビューを通して明らかにし、最後に今後物理学者はどのような姿勢で物理学に臨むべきかを提案する意欲的なものだ。
著者アダム・ベッカーは、宇宙論の博士号取得後、カリフォルニア大学バークレー校の客員研究員を務めたこともある。BBCのウェブ動画の原稿や、科学誌『ニュー・サイエンティスト』の記事なども執筆し、量子力学の不思議な世界を人々に広める活動に取り組む。
「How can we truly understand what’s real?(実在とは何か、真に理解するには?)」という約7分のウェブ動画に『実在とは何か』のエッセンスがアニメでわかりやすく紹介されているので、ぜひご覧いただければと思う(https://www.bbc.com/reel/video/p09fgqll/how-can-we-truly-understand-what-s-real-)。
従来とは異なるボーア像
『実在とは何か』で驚くのは、従来とは違ったボーア像だ。
賢人と呼ばれながら、話は要領を得ず鈍重で、自らを中心とするグループが構築した、実在については不問にする解釈を強気で押し進めたかのように描かれている。これは、若手研究者を大切に育てた徳の高い科学者としてデンマーク市民からも尊敬されているという、ほかの多くの本のボーア像とはかなり違う。
じつのところボーアは、コペンハーゲン解釈を当面のあいだ守り通すことにより、慎重な不可知論の立場で、生まれたばかりの量子力学を大切に育てたかったのではないだろうか。ノートルダム大学のドン・ハワード教授が述べているとおり、不明な部分を推測で論じるのではなく、しばらく不問にしておいて、確実にわかる観測結果だけを論じているうちに、やがて客観的で腑に落ちる全体像が出現するだろうと期待していたのではないか。
科学で問題に取り組む際、わからない困難なことに出会ったなら、多くの科学者がするように。それは不誠実さとは違うだろう。
20世紀前半にウィーンを中心として興隆した論理実証主義哲学と、量子力学との双方向の影響について、詳しい事実が紹介されているのは興味深い。観測結果だけが実在だというコペンハーゲン解釈は、知覚可能なものだけが存在するという論理実証主義の考え方とうまく合致していた。
ウィーンの論理実証主義者たちと、コペンハーゲンの物理学者たちは交流もしていたという。同時代にあって、共通する考え方の枠組みを使い、影響しあっていたようだ。科学は、哲学をはじめとする思想や、時代の趨勢と常に関わりあっている。
ボーアはまた、東洋の陰陽思想や、美術のキュビズムにも触発され、相補性の考え方に至ったそうだ。物理学の思考と、ほかの思想との類似性を見抜き、役に立つ思想を柔軟に取り込み、物理学に活かすことのできる人であったと言えよう。