ヘレニズムなくしてローマなし
ヘレニズム化とは、ギリシアの文化、制度、思想はもちろん、なによりもギリシア語の伝播であった。
このような文明世界が現れるのに、大切なのは「共通の言語」である。そもそもギリシア人の世界はさまざまな方言をもつ地域社会に分散していた。それが、前5世紀にアテナイが政治・文化の中心になるにつれ、その言語であるアッティカ方言が優勢になり、ギリシア語を代表するようになっていた。やがて、これにイオニア方言を加え、アッティカ固有の形を排除して、一つの共通語が形成された。
この共通語化したギリシア語はコイネーとよばれ、アレクサンドロスの遠征を通じて広範なヘレニズム世界に拡大し、古代末期にいたるまで、東地中海の標準語として用いられることになる。

古代オリエントにももちろん、さまざまな言語があった。まず、シュメール語とアッカド語があり、やがてウガリト語、フェニキア語、ヘブライ語、アラム語が登場する。さらにペルシア語、コプト語、ベルベル語などもあった。そしてそれぞれの言語で、それぞれの伝承や記録がなされていた。
〈これらオリエント系の文芸は、それまでさまざまな言語によって伝えられていたが、それぞれの地域に根づく言葉では、狭い範囲でしか通用するはずがなかった。だが、共通語となったギリシア語で表現されるようになれば、事態は変わる。ギリシア語の理解者の間では、情報や知識が解放され、それらを共有する人々が広がることになる。〉(『辺境の王朝と英雄』p.199)
そして、研究施設(ムセイオン)と大図書館を備えたエジプトのアレクサンドリアのような学芸の都も発展することになる。
また、教科書の記述の順番から、ヘレニズム時代は「古代ギリシアの次、ローマの前」とイメージしがちだが、実際は本シリーズ第5巻で扱う「共和政ローマ期」と並行した時代だ。
だから、先進的なヘレニズム文明が後進のローマ人の社会や文化におよぼした影響も無視できない。たとえば、ギリシア人の科学や技術を学んだローマ人は、理論を実用化して道路や建物など、帝国のインフラを作り出したのだった。
ヘレニズムによるギリシア文化の普遍化という過程を経ずに、その後のローマ帝国の発展はあり得なかったのだ。
※ヘレニズムが生んだ新たな宗教と神々の世界は〈「神との関係」で文明は変わる。アレクサンドロスがもたらした新時代、神々の融合が始まった!〉を、アレクサンドロスの生涯とカリスマ性については〈アレクサンドロスが、財産を失っても放った一言がカッコ良すぎる!〉をぜひお読みください。