熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社を詣でるための熊野古道と、それら3つの神社の総称である熊野三山。いにしえの姿をいまに伝える歴史的価値と美しい景観で、世界文化遺産に登録されている。過去・現在・未来の安寧を得られるという言い伝えからよみがえりの地とされ、人びとは、険しく厳しい熊野詣でに救いを求めた。宗教、性別、身分を問わず誰ひとり取り残さない熊野も、ずっとサステナブルなのだ。
熊野古道
いくつもの参詣道がいにしえの姿を今に伝える
平安時代から最盛期の江戸時代、全国から多くの人が訪れた参詣道。高野山、伊勢(三重県)、吉野(奈良県)、京都から、熊野三山に向かう巡礼道の総称で、中辺路、大辺路、小辺路など6種の経路がある。
すべてを足すと全長はおよそ1000kmにもなり、世界遺産に登録されているのはそのうち200kmほど。上の写真は世界遺産の大門坂で、杉木立に囲まれた苔生す石段を640mほど登ると、那智山、那智大社へとつづく道に出る。
熊野那智大社
かつて栄華を極めた熊野信仰の中心地
那智の滝(このあと紹介)を祀る自然崇拝を起源として、317年(仁徳天皇5年)に那智山の中腹、現在の飛瀧神社の場所に造営。
天照大神の命を受けて姿を現したとされる3本足の八咫烏は、熊野三山で導きの神として崇められている。サッカー日本代表のユニフォームに採用されているのは、日本にサッカーを広めた中村覚之助が那智(現・那智勝浦町)出身であることに由来。
全国に約4000社ある熊野神社の総本社で、隣接する那智山青岸渡寺とともに熊野信仰の中心地として栄華を極めた。熊野古道の大門坂入り口から那智大社までは、石段、石畳、舗装路を40分ほど登る。最後に境内にある463段の石段を登ると、標高500mほどの社殿に到着する。
早朝、境内から山に向かってほら貝を吹くのは、修験道の世界では珍しい女性山伏。熊野修験の根本道場で加行を積み2024年2月に護摩焚きを許される満行を女性で初めて果たしたという。