かつてアメリカンドリームを体現した「伝説の日本人」がいた。鉄板焼き高級レストラン「BENIHANA」を米国で創業し、大成功を収めたロッキー青木だ。チリチリのアフロと口髭がトレードマークの実業家として、アメリカでは最も有名な日本人の一人に数えられる。「『アリvs.猪木』を影から支える」「気球で太平洋を横断」「宇宙飛行計画」…類まれなる商才で「全米を手玉に取った男」は、ビジネスの世界にとどまることなく、常に挑戦を続けた。ロッキー青木の波乱に満ちた69年の生涯をノンフィクション作家の森功氏が追う。
連載第2回
ロッキー青木の最期
鉄板焼きレストランのベニハナがヒットして億万長者になったロッキー青木がハドソン渓谷の別荘地に「終の棲家」を建てたのは2005年春のことだ。
ロッキーはそこに移り住んでわずか3年で人生の幕を下ろした。
「ロッキーさんは08年の5月、ここで倒れて死んじゃったんです。なにしろとつぜんのことだったので、そのあとが忙しかった。なにより亡くなったあと、ベニハナをどうすればいいか、という問題がありました。なので、しばらくはカントリーハウスのことをすっかり忘れていました。10年くらいほとんど放ったらかしでしたね」
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別荘のバルコニーで赤ワインを傾けながら、最後の妻、恵子が明るい調子で語った。彼女がハドソン川上流の別荘を使うようになったのは、奇しくも2020年に猛威を振るった新型コロナウイルスの流行がきっかけだったという。
「ニューヨークでもコロナは大変な猛威を振るっていました。マンハッタンのオフィス街の人通りが途絶え、ゴーストタウンのようになって誰も歩いていない。それで私自身、フィフスアベニュー(五番街)に住むのが怖くなっちゃったんです。そんなとき、あのカントリーハウスのことを思い出した。コロナ禍、友人たちと合宿生活みたいなことをやり始めたんです。住んでいると、すっかり気に入っちゃいました。建物の内装をやり直し、コロナがおさまってからも週末に通うようになったんです」
ロッキーが別荘を建てた当時と今ではずい分様変わりしている。近年は、日本の三井不動産がハドソン川の流域を開発して保養施設を売り出している。「獺祭」で知られる日本の酒造メーカー「旭酒造」などはこの地に目をつけ、中心地のハイドパークに酒蔵を新設し、2023年4月には旭酒造会長の桜井博志がこの地に自ら移り住んだ。桜井は獺祭でニューヨークのセレブたちをもてなし、恵子もたまに招かれるという。米国におけるロッキー青木と恵子の暮らしぶりを取材した。