人生は「暇つぶし」になるのか
人工知能とロボットが発達することで、これから30年かけて人類は徐々に仕事から解放されていくだろう。
日本にいるとピンと来ないかもしれないが、先日、アメリカに出張した際に目にした風景は、こうした未来が遠い未来ではないことを実感させられた。移動ではウーバーによる配車サービスを頻繁に使わせてもらったし、シリコンバレーでは2022年には自動操縦車がウーバーで配車されることがまるで織り込み済みの未来のように語られていた。
イラクとの戦争ではいまだに多くのアメリカ兵が犠牲になっているが、グーグルの関連会社ではロボット兵が実用間近なところまで到達している。先ごろダラスで起きた銃乱射事件では、ある軍事会社が開発したロボットが、犯人の立てこもる部屋に突入して自爆して事件を解決した。
アメリカはITの先端国家であり、ITとロボットの発展を軍事需要がけん引している。その様子を目の当たりにすると、日本人が想像する以上のペースで、アメリカの最先端技術は世界を変えていくのは間違いなさそうだ。
問題は、2045年頃に人型ロボットの完成形が登場し、多くの人間は働かなくてもよい世界が到来した時、人類がそうした社会に適応できるかということだ。
なにしろ、これまで何世紀もの間、多くの人は人生の大半を「職場」で過ごしている。ただ働くだけでなく、困難に直面しながらそれを克服し、日々、スキルを培い、成長することで達成感も味わってきた。そんな人類の生きる目的までもが、消失しかねないのだ。
その後の世界では芸術に人びとの関心が向くという説があるが、誰もが芸術的センスを持っているわけではない。仕事以外に趣味のない人にとって、あり余る時間はむしろ苦痛だ。
実は過去の歴史ではそのような問題に直面し、それを克服した社会があった。その社会とは古代ローマ帝国である。
「パックスロマーナ」と呼ばれたローマ帝国の最盛期、征服戦争も集結しローマ人たちはやることがない平坦な日々を迎えていた。征服の結果、たくさんの植民地から農産物や海産物、ワインやビールが届けられ、日々の労働は奴隷たちが担ってくれる。征服者であるローマ人は指導者や軍人を除いて、やることがない。ローマ皇帝が闘技場や大浴場などの娯楽施設を提供したのも、そうしないと市民からの不満が高まるから、という理由からだった。
ならば、市井の古代ローマ人たちの生活から、われわれの近未来を学ぶことができるのではないか。
仕事がなくなった人類は、おそらく5つの分野を追求しながら「充実した人生」を送ることを目指すと私は推測する。5つの領域についてロールモデルとなる現代人を提示しながら解説してみよう。