ヴェイパーウェイヴ(Vaporwave)と呼ばれる音楽ジャンルがある。インターネット上で生まれたこの音楽は、ネットの海を回遊しながら様々なサブジャンルを生み出してきた。
2010年代に誕生したこの音楽ジャンルを特徴付けるのは「ノスタルジア」の感覚だ。
ヴェイパーウェイブは、その蒸気(vapor)の魔力によって80年代〜90年代生まれのミレニアル世代を惹きつけ、ついには一部のオルタナ右翼をも魅了するに至る。もはや輝かしい将来を想像すらできず、未来を「喪失」としか捉えることができない人々に向けて、心地いいノスタルジアの癒しを提供している、とも考えられる。
この記事では、ヴェイパーウェイヴを通して現在のアメリカ社会を覆うノスタルジアの問題について考えたい。
「商業BGM」への異様なこだわり
ヴェイパーウェイヴは2011年頃を境に音楽ダウンロード販売サイトBandcampやソーシャルメディア/掲示板サイトRedditなどを中心にオンライン上で活性化してきた。
その音楽的特徴としては、ラウンジミュージック(ホテルのラウンジでかかっているような心地いい音楽)、スムーズジャズ(聞き心地を重視したイージーリスニングなジャズ)、エレベーターミュージック(デパートで流れる業務用BGM)といった80年代~90年代のムード音楽をサンプリング&加工(スクリュー、ループ、ピッチ変更)させたスタイルが第一に挙げられる。
一言でいえば、80~90年代の商業BGMを実験音楽の手法で再構築したのがヴェイパーウェイヴといえよう。
同時に、ヴェイパーウェイヴはサウンド面だけでなくビジュアルイメージも重要な役割を担っている。一昔前の3Dグラフィックス、初期のインターネットやビデオゲームのイメージ、ニューエイジ、アニメ、ギリシャ彫刻、直訳調の奇妙な日本語など、こうしたヴェイパーウェイヴで用いられる80年代~90年代のノスタルジックなイメージは「A E S T H E T I C (美的)」と名付けられている。
ヴェイパーウェイヴの金字塔とも言える作品は、アメリカの音楽家Vektroidが2011年にMacintosh Plus名義で発表した『Floral shoppe(フローラルの専門店)』で、その後のヴェイパーウェイヴのスタイルを決定づけた。
ヴェイパーウェイヴはオンラインのアンダーグラウンドなコミュニティで育っていったが、近年になるとメジャーなアーティストや大企業がヴェイパーウェイヴのスタイルを取り入れるケースも出てくる。たとえば、任天堂の『スプラトゥーン2』のダウンロードコンテンツ「オクト・エキスパンション」はヴェイパーウェイヴの意匠を取り入れたものだった。
こうした状況から、一部ではかなり早くから「ヴェイパーウェイヴは死んだ」と言われてきた。ヴェイパーウェイヴは商業音楽の解体を通して後期資本主義における大量消費文化を皮肉る側面も持っていたわけだが、みずからがメインストリームの消費文化に回収されてしまった、というわけだ。
とはいえ、これは見方を変えるならば、ヴェイパーウェイヴがある程度の市民権を得て社会に浸透するようになってきたことを意味する。それはヴェイパーウェイヴの第二段階と言えるだろう。ヴェイパーウェイヴは死んでもヴェイパーウェイヴの亡霊は死なない。
事実、ヴェイパーウェイヴが持つノスタルジアの魔力は今なお多くのリスナーを惹きつけて離さない。ヴェイパーウェイヴの作り手は多くが80年代~90年代前半生まれのミレニアル世代に属している。彼らが幼少時代に触れていた在りし日の消費文化(ビデオゲーム、ダイヤルアップ接続のインターネット、TVコマーシャル、ショッピングモール、等々)がそのまま彼らの作る音楽にダイレクトに反映されている。