結婚以外にも(阿佐ヶ谷姉妹のような)様々な豊かな関係がありえるにもかかわらず、国が「結婚は特別」「結婚が祝福されるべき関係」と言ってしまうと、そうした「その他の豊かな関係」への道が閉ざされてしまいようにも思われます。
誤解がないように付け加えておけば、「結婚はくだらないものだ」と言いたいわけではありません。そうではなく、国や自治体が(阿佐ヶ谷姉妹のような素敵な関係や、その他もろもろの豊かな関係よりも)結婚こそが「メリットを得るべきもの」「推奨されるべき関係」であると、位置付けてしまっていることが不思議である…というか、もっと強い言葉を使えば理不尽ではないか、というのがここで言いたいことです。
阿佐ヶ谷姉妹の豊かな関係を見ていると、こうした意味で「結婚って、社会のなかで異様に特別扱いされてる謎めいた制度だな」という気持ちになるのです。
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(ちなみに、本来は多様な形を取りうるはずの「愛」の関係が、異性愛主義(≒〔ヘテロ〕セクシズム)などによって、特定のかたちに「矮小化」されてしまっていることについては、フェミニズム・米文学の研究者である竹村和子が『愛について』できわめて精緻に分析しています。また、法哲学の研究者である松田和樹は、リンク先の論考で詳述している通り、婚姻制度廃止を主張しています。ここでは、両者を大いに参考にさせていただきました)