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これぞMJ!『みうらじゅんフェス! マイブームの全貌展』へ行く

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www.kawasaki-museum.jp

MJとおれ。おれとMJ。おれがみうらじゅんの……作品? に直接接したことはあまりない。ただ、鎌倉に住んでいたころ、行きつけの目白山医院の待合室に『見仏記』シリーズがあって、それを読んでいたのを覚えている。あとは、今回の展覧会にDVDがあって思い出したが、テレビ番組「シンボルず」をよく見ていた。記憶違いかどうかわからないが、「とくに意味もないのに杖を使う」というブームがあったと思うが、今回の展覧会でも取り上げられていなかった。PC的なものかどうかはしらない。

とはいえ、おれは父親が雑誌「宝島」の人間であり(本人曰く「編集長」だが、まだ確かめていない)、メーンカルチャーというよりサブカルチャー寄りの人生を歩んできたという面もあって、間接的にMJの影響を大きく受けてきたかもしれない。

父親の話ついでに言えば、おれは生涯で何度か父に褒められたことがあった。そのうちの一つが、おれが「マルフクの看板を見つけると必ず写真を撮る」ということであった。父は「それはいい趣味だ」といった。母は「現像代の無駄だ」といった。カメラがデジタルになっても、おれはマルフクの看板の写真を撮りつづけた。しかし、それを集めてまとめておくということを疎かにしたため、おれの紙焼きなりデジタルなりの「マルフク写真ブーム」は散逸して失われてしまった。

そこが、MJとおれの圧倒的な違いであろう。おそらく、だれもが心のどこか、行動のどこかにMJ的なものを持っている。おれはそう思う。たとえば、「冷マ」だ。おれの冷蔵庫を見てほしい。

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これがMJとなるとこうなる。

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この圧倒的な差である。「量的な変化は、ある点をもって質的に変化する」とは、父がよく言っていたことだが、ここまでくると「質的」に変化する。そしてこれはもう山田五郎が言うとおり「アート」の領域のように思える。

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おれも小学生時代など金色の土産物を集めていたが……

……話が前のめりすぎた。ともかくおれは、みうらじゅん展に行ったのである。場所は川崎市市民ミュージアム。「なぜ川崎?」というのは展覧会に置かれているインタビューで確認されたい。ともかく、このような催しがあると知ったのはNHKの夜のニュースであった。そして、ここに行くことを誘ってきたのは女の方であった。おれより20年上の女。やはりNHKのニュースで知って興味を持った。女はみうらじゅんよりすこし年下だが、同年代である。そして美大を出ている。彼女なりに、「おもしろそうだ」と思ったのだろう。

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ちなみに、川崎市市民ミュージアムはJRの川崎駅から行くことはすすめられない。バスで40分とかかかる。南武線武蔵小杉駅に出て、そこからバスで10分程度だ。川崎は川崎なりに広い。

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話をMJに戻そう。本展覧会では生まれてからのすべての回顧となっているといっていい。はっきりいって、とてつもないボリュームだ。そしてそれに飽きることがない。おれがこのように感じたのは、横尾忠則の展覧会以来だといっていい。思えば、女と行った初めてのデートらしきものではなかったろうか。ともかく、その絶対量に圧倒された。それに近いものを感じた。

最初の展示は、MJの生後の写真などから始まる。

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クリスマスプレゼントに密教法具を買ってもらうなど、なかなか裕福な家ではないかと思われる。いや、たぶんけっこう裕福なのだろう。子供のころからカメラを持ち、さらには、親がMJのあらゆるといってもいい壁新聞やらなにやらを保存できる余裕、美大に入るために二浪させるだけの余裕があったということだ。やはり、高等遊民的な存在はそういうところから生まれる。

本展覧会を解説する山田五郎との映像(この展覧会、映像は飛ばさないで見たほうが笑えます)によれば、MJの特徴は過剰に集め、そして保存していることだという。そのとおりだ。すさまじい。

そして、過剰にアウトプットしているのである。小学1年生の壁新聞に始まり、延々とアウトプットしてきた。その時時のマイブームで怪獣や仏像、フォークソング、イラストレーションと形を変えながらも、絶えずアウトプットしてきた。そこがすごい。本人は好きでやっていたのだろうが、誰かがいった何万時間の法則とかいうやつに当てはめれば、『ガロ』でデビュー(?)したころには、とっくにアウトプットの達人になっていたのだ。そのバックボーンがあるから、「イラストレーターなど」の「など」に重みすら生まれてしまう。とはいえ、「など」なのだから重みというには語弊がある。そこがおもしろい。

現代はインターネットのブログやSNSを通じて、一般の人がアウトプットして、見ようが見られまいが世間に発信できるようになっている。このブログだってそうだろう。しかし、MJはそんな「対世界」が存在しないなかで、ひたすらにスクラップをし、作曲をし、イラストを描いてきたのだ。おそらく、その時代にインターネットがあったならば、ネットで大いに情報を発信していたことであろう。MJは決して内向きなおたくではなかった。前に出る、表現する、公開する、そのことに躊躇がない。そうでなくては、まさに「中二病」時代のポエムや、自作のフォークソングをこのような展覧会で公開することもないだろう。そこに表現者としてのMJがいる。

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アウトドア般若心経」。これは「タモリ倶楽部」で取り上げられたらしいが、これなども「誰に頼まれるわけでもなく」やっている。司馬遼太郎渡辺京二だか忘れたが、幕末の志士というものは「誰に頼まれるわけでもなく東奔西走した人間」だとか言っていた。だれに頼まれるわけでもなく、なにかをやってしまう人。志士ではないが、アーティストといっていいのではないか。そのように思う。

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もちろん、そこにセンスがなければ誰にも認められない。世界には誰にも発見されなかったヘンリー・ダーガーが幾多も存在することだろう。だが、MJのセンスは人々に認められ、ものの見方、価値観は受け入れられた。「マイブーム」、「ゆるキャラ」、「カスハガ」……。

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カスハガ」や「いやげ物」なんて、べつに書籍で見ればいいじゃないか。もっともだ。だが、おれは生で「カスハガ」を見て、腹筋が苦しくなるほど笑った。一応はミュージアムなので大笑いはできないので苦しかった。

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そういうわけで、『へうげもの』ではないが、笑ってしまったので完全におれの負けだ。勝ちも負けもないが、ともかく負けだ。川崎市はいい仕事をした。そう言える。

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どんな高名な芸術家でもここまで詳細な個人年表は作られなかっただろうし。なにせDTを捨てた時期まで特定できる。これもMJ本人の「過剰に保存する」ところから来ているわけだが。

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というわけで、「なんとなくみうらじゅんって面白いかも」と思ってる人は、ぜひ行ってみるがいい。損はしないだろう。むしろ、入場料を思えば得もいいところだ。

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ゆるキャラスタンプまでおせるサービスぶりだ。何時間過ごしたのかわからないが、もうミュージアムを出るころにはお昼もとっくに過ぎて、もうまったくという感じだった。まったくすごいのだ。だから、そこのあんた、あんたも南武線に乗って(べつに東急でもいいけど)、ムサコから市民ミュージアムに行くべきだ。そういうことだ。以上。

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