龍造寺氏
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出自には諸説があって定かにされていないが、藤原秀家を祖とすると言われている。少弐氏の家臣となって活躍する。1530年、龍造寺家兼が田手畷の戦いで大内軍を破ってから戦国大名としての道を歩み始め、1535年、大内義隆の調略を受けて少弐氏を見限って独立する。しかし、それに怨みに思った少弐氏の家臣・馬場頼周によって一族のほとんどを暗殺され、龍造寺氏は一時、滅亡する。1546年、家兼は馬場頼周を討って再興を果たしたが、まもなく93歳と言う高齢のために死去。そして曾孫の龍造寺隆信の時代に大友氏や島津氏を圧倒して北九州を制圧し、最盛期を迎える。しかし1584年、その隆信が沖田畷の戦いで敗死すると衰退し、1607年、龍造寺政家の病死をもって家臣の鍋島直茂に家を乗っ取られたため、滅亡した。