1336年
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千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 13世紀 - 14世紀 - 15世紀 |
十年紀: | 1310年代 1320年代 1330年代 1340年代 1350年代 |
年: | 1333年 1334年 1335年 1336年 1337年 1338年 1339年 |
1336年(1336 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]- 1月24日(建武2年12月11日) - 足利尊氏が新田義貞を破る(箱根・竹ノ下の戦い)。
- 3月4日(建武3年2月21日) - 新田義貞・北畠顕家・楠木正成が足利尊氏を破る(豊島河原の戦い)。尊氏は九州に敗走する。
- 4月13日(建武3年3月2日) - 足利尊氏が菊池武敏ら九州の宮方を破る(多々良浜の戦い)。
- 7月4日(建武3年5月25日) - 足利尊氏が楠木正成を敗死させる(湊川の戦い)。後醍醐天皇は延暦寺へ逃れる。
- 9月20日(建武3年8月15日) - 光明天皇が即位。
- 12月5日(建武3年11月2日) - 足利尊氏と後醍醐天皇の講和。後醍醐天皇が帰京し、三種の神器を光明天皇に引き渡す。
- 12月10日(建武3年11月7日) - 建武式目制定。
誕生
[編集]→「Category:1336年生」も参照
- 4月9日 - ティムール、ティムール朝の建設者(+ 1405年[1])
- 7月1日 - フィリップ・ド・ヴァロワ、オルレアン公(+ 1376年)
- 7月25日 - アルブレヒト1世、下バイエルン公(+ 1404年)
- 12月21日 - バルタザール、マイセン辺境伯、テューリンゲン方伯(+ 1406年)
- インノケンティウス7世、第204代ローマ教皇(+ 1406年)
- グレゴリウス11世、第201代ローマ教皇(+ 1378年)
- 胡季犛、ベトナム胡朝の初代皇帝(+ 1407年)
- 高啓、明の詩人(+ 1374年)
- 陳裕宗、ベトナム陳朝の第7代皇帝(+ 1369年)
死去
[編集]→「Category:1336年没」も参照
- 1月24日 - アルフォンソ4世、アラゴン王、バレンシア王、バルセロナ伯(* 1299年)
- 2月23日(建武3年/延元元年1月11日) - 結城親光、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 3月10日(建武3年/延元元年1月27日) - 上杉憲房、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 3月26日(建武3年/延元元年2月13日) - 洞院季子、伏見天皇の妃(* 1265年)
- 4月5日 - ジョヴァンニ・ディ・ドゥラッツォ、グラヴィーナ伯、ドゥラッツォ公、アカイア公(* 1294年)
- 4月11日(建武3年/延元元年2月29日) - 少弐貞経、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 1272年)
- 4月13日(建武3年/延元元年3月2日) - 阿蘇惟直、鎌倉時代、南北朝時代の武将、阿蘇氏の第9代当主(* 生年未詳)
- 4月13日(建武3年/延元元年3月2日) - 蒲池武久、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 5月17日(建武3年/延元元年4月6日) - 後伏見天皇、第93代天皇(* 1288年)
- 5月30日(建武3年/延元元年4月19日) - 結城朝祐、鎌倉時代、南北朝時代の武将、結城氏の第6代当主(* 1308年)
- 7月3日(建武3年/延元元年5月24日) - 相馬光胤、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 7月4日 - イサベル・デ・アラゴン・イ・シシリア、ポルトガル王ディニス1世の妃(* 1271年)
- 7月4日(建武3年/延元元年5月25日) - 菊池武吉、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 7月4日(建武3年/延元元年5月25日) - 楠木正成、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 7月4日(建武3年/延元元年5月25日) - 楠木正季、鎌倉時代、南北朝時代の武将、楠木正成の弟(* 生年未詳)
- 7月13日(建武3年/延元元年6月5日) - 千種忠顕、鎌倉時代、南北朝時代の公卿(* 生年未詳)
- 8月7日(建武3年/延元元年3年6月30日) - 名和長年、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 9月28日(建武3年/延元元年9月27日) - 明極楚俊、鎌倉時代、南北朝時代の元の臨済宗の渡来僧(* 1262年)
- 11月14日(建武3年/延元元年10月11日) - 土居通増、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- 赤坂幸清、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- アルパ・ケウン、イルハン朝の第10代君主(* 生年未詳)
- 大友貞載、鎌倉時代、南北朝時代の武将(* 生年未詳)
- レシェク、ラチブシュ公(* 1292年?)
フィクションのできごと
[編集]脚注
[編集]注釈
出典
- ^ 久保「ティムール帝国」『中央アジア史』、136頁