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1912年のメジャーリーグベースボール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1912年 > 1912年のスポーツ > 1912年のメジャーリーグベースボール

以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1912年のできごとを記す。

1912年4月11日に開幕し10月16日に全日程を終え、ナショナルリーグニューヨーク・ジャイアンツが2年連続6度目のリーグ優勝で、アメリカンリーグボストン・レッドソックスが8年ぶり3度目のリーグ優勝であった。

ワールドシリーズボストン・レッドソックスがニューヨーク・ジャイアンツを4勝3敗1分けでシリーズを初制覇した。

1911年のメジャーリーグベースボール - 1912年のメジャーリーグベースボール - 1913年のメジャーリーグベースボール

できごと

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アメリカン・リーグは、レッドソックスが22歳のスモーキー・ジョー・ウッドが剛速球で34勝をあげ、強打者で守備の天才と言われたトリス・スピーカーの活躍で2度目のリーグ優勝を果たした。この頃のレッドソックスでは、スライディングキャッチを得意としたハリー・フーパー、極端な前進守備からいくつもの「センターゴロ」を捌いたトリス・スピーカー、当時レフト後方にあった約3メートル(10フィート)の高さの土手を自由に上り下りしたというダフィー・ルイスの3人からなる『100万ドルの外野陣』が知られていた。

一方ナショナル・リーグでは、ニューヨーク・ジャイアンツが終盤戦にダッシュして優勝し、この年のシーズン最初からルーブ・マーカード 投手が開幕19連勝するメジャーリーグタイ記録を達成し通算26勝を上げて、クリスティ・マシューソンも23勝を上げて依然ジャイアンツの投打の中心であった。

ワールドシリーズは、8年前にジャイアンツがレッドソックスとの対戦を拒否した因縁の組み合わせであり、もつれて3勝3敗1分けから決着は第8戦に持ち込まれて、ジャイアンツが延長10回表にフレッド・マークル(1908年のボーンヘッドで有名)の適時打で1点を取り、逃げ込みを図るが10回裏に2点を失い、逆転サヨナラ負けでレッドソックスが優勝した。

  • フレッド・スノッドグラスの落球
    • この年のシリーズ第8戦は延長10回裏に先頭打者エンゲル(代打)の平凡なセンターフライをジャイアンツのスノッドグラス中堅手がポロリと落とし、その後に走者は1死後に3塁に進み、次打者が四球で出て1死1・3塁となり、次打者トリス・スピーカーが一塁線にファウルフライを打ち上げて、これを一塁手マークル、投手マシューソン、捕手マイヤーズが追ったがその間にポトンと落ち、その直後にスピーカーがライト前ヒットを打ち同点となり、次の打者ガードナーの犠牲フライで3塁から生還しての逆転サヨナラ勝ちであった。この1912年のワールドシリーズ第8戦の逆転劇のプロローグとなった中堅手の落球は「フレッド・マークルのボーンヘッド」とともに野球史に残ったが、ジャイアンツのジョン・マグロー監督は翌年にスノッドグラスの年俸を上げて、彼は翌年の優勝に貢献している。
  • スモーキー・ジョー・ウッド
    • ボストン・レッドソックスの優勝に貢献し、シーズン最多勝34勝を挙げたスモーキー・ジョー・ウッドは、1908年にデビューし、レッドソックスで1勝ー11勝ー12勝-23勝と毎年成績が上がり、この年に34勝でシーズン最多勝でもあった。しかしこれがピークでやがて親指のケガから球速を失い、その後は20勝もできず、1917年にクリーブランド・インディアンスに移ったが、マウンドに立たず外野手に転向して、最後の1919年には打率.297・打点92・安打150本の成績を残して引退した。引退後1926年に突然降ってわいたような八百長疑惑事件に巻き込まれて、トリス・スピーカーの2人とタイ・カッブとの間でわざと試合を負けさせたとの告発を受けたが、コミッショナーのランディス判事はスピーカーとカッブを無罪とし、スモーキー・ジョー・ウッドについては引退後であったので部外者として言及しなかった。この時の告発者はボストン・レッドソックス時代の同僚ダッチ・レナードであった。
  • ルーブ・マーカード
    • ニューヨーク・ジャイアンツのルーブ・マーカード は開幕から負け知らずで、開幕戦の4月11日から7月3日にかけて、19世紀のティム・キーフの記録に並ぶシーズン19連勝を含む26勝を挙げて最多勝利投手となった。翌1913年も23勝10敗とし3年続けて20勝以上を上げ、ジャイアンツのリーグ3連覇に貢献した。この頃マーカードが投げていた変化球は、現在でいうスプリットフィンガード・ファストボール(速いフォークボール)の原型ではないか、という一部野球史家の指摘がある。1925年のボストン・ブレーブスを最後に引退した。通算201勝。(1971年に殿堂入り)

ウォルター・ジョンソン

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1910年に最多奪三振313を記録したウォルター・ジョンソンは2年後のこの年に再び最多奪三振303を記録し最優秀防御率1.39でもあった。最多勝は惜しくも33勝でスモーキー・ジョー・ウッドに1勝届かなかった。しかしこの年から8年連続最多奪三振のタイトルを取り、その速球に磨きがかかってきた。タイ・カッブが「見えない球を打てる訳がない」と言わしめて、その目にも止まらぬ快速球を表現して「ビッグ・トレイン(人間機関車)」の称号が与えられた。

ジマーマンの打点

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シカゴ・カブスヘイニー・ジマーマン は、この年に打率.372・本塁打14本で首位打者と最多本塁打を記録した。この当時打点王は無かったが最多打点はピッツバーグ・パイレーツホーナス・ワグナー の102となっている。1920年に打点王が設けられてその時に1907年まで遡って各年の最多打点は発表されたが、その際の1912年はホーナス・ワグナーの102でジマーマンが99であった。しかし2013年に『1931年当時の打点記録ルールに基づいて計算した場合、ジマーマンの打点は104となり、リーグ最多となる』という見解が出された。この年ジマーマンは最高打率と最多本塁打とを記録しており、打点がリーグトップであればこの年の三冠王となるが公式の記録はホーナス・ワグナー の102のままである。

ジマーマンは後に1916年のシーズン途中でカブスからジャイアンツに移籍し、この年のシーズン打点83はリーグ最多打点であった。ジャイアンツには1919年まで在籍したが、チームメイトに八百長を持ち掛けたことが発覚し追放処分となった。

タイガース選手のストライキ

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5月15日、試合中にタイ・カッブが観客の余りにひどい野次にたまりかねて、スタンドに上がって野次った観客を殴打する事件が起こった。ジョンソン会長はカッブを無期限出場停止処分を下したが、これに他のタイガースの選手が怒ってストライキを決行し、今度は球団が大学の選手や草野球選手を急遽集めて急造のチームを作って公式戦に出場させたが、23対2で大敗した。その後、同僚の職場復帰、カッブの26日からの再出場で、この事件は収まった。

フェンウェイ・パーク

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今も現存するボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークがこの年に開場し、最初の公式戦はこの年4月20日にボストン・レッドソックスニューヨーク・ハイランダースの試合が行われ、観衆2万7000人が集まって、延長戦となりレッドソックスが勝った。オープン当時は、後に有名になった名物フェンスのグリーンモンスターは無かった。これより24年後の1936年に設けられ、1947年に緑色に塗られるようになった

記録

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規則の改訂

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最終成績

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レギュラーシーズン

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アメリカンリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ボストン・レッドソックス 105 47 .691 --
2 ワシントン・セネタース 91 61 .599 14.0
3 フィラデルフィア・アスレチックス 90 62 .592 15.0
4 シカゴ・ホワイトソックス 78 76 .506 28.0
5 クリーブランド・ナップス 75 78 .490 30.5
6 デトロイト・タイガース 69 84 .451 36.5
7 セントルイス・ブラウンズ 53 101 .344 53.0
8 ニューヨーク・ハイランダース 50 102 .329 55.0

ナショナルリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ニューヨーク・ジャイアンツ 103 48 .682 --
2 ピッツバーグ・パイレーツ 93 58 .616 10.0
3 シカゴ・カブス 91 59 .607 11.5
4 シンシナティ・レッズ 75 78 .490 29.0
5 フィラデルフィア・フィリーズ 73 79 .480 30.5
6 セントルイス・カージナルス 63 90 .412 41.0
7 ブルックリン・トロリードジャース 58 95 .379 46.0
8 ボストン・ブレーブス 52 101 .340 52.0

ワールドシリーズ

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  • ジャイアンツ 3 - 1 - 4 レッドソックス
10/ 8 – レッドソックス 4 - 3 ジャイアンツ
10/ 9 – ジャイアンツ 6 - 6 レッドソックス
10/10 – ジャイアンツ 2 - 1 レッドソックス
10/11 – レッドソックス 3 - 1 ジャイアンツ
10/12 – ジャイアンツ 1 - 2 レッドソックス
10/14 – レッドソックス 2 - 5 ジャイアンツ
10/15 – ジャイアンツ 11 - 4 レッドソックス
10/16 – ジャイアンツ 2 - 3 レッドソックス

個人タイトル

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アメリカンリーグ

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 タイ・カッブ (DET) .409
本塁打 フランク・ベイカー (PHA) 10
トリス・スピーカー (BOS)
打点 フランク・ベイカー (PHA) 130
得点 エディ・コリンズ (PHA) 137
安打 タイ・カッブ (DET) 226
ジョー・ジャクソン (CLE)
盗塁 クライド・ミラン (WS1) 88

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ジョー・ウッド (BOS) 34
敗戦 ラス・フォード (NYY) 21
防御率 ウォルター・ジョンソン (WS1) 1.39
奪三振 ウォルター・ジョンソン (WS1) 303
投球回 エド・ウォルシュ (CWS) 393
セーブ エド・ウォルシュ (CWS) 10

ナショナルリーグ

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投手成績

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項目 選手 記録
打率 ヘイニー・ジマーマン (CHC) .372
本塁打 ヘイニー・ジマーマン (CHC) 14
打点 ホーナス・ワグナー (PIT) 102
得点 ボブ・ベッシャー (CIN) 120
安打 ヘイニー・ジマーマン (CHC) 207
盗塁 ボブ・ベッシャー (CIN) 67

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ラリー・チェニー (CHC) 26
ルーブ・マーカード (NYG)
敗戦 レフティ・タイラー (BSN) 22
防御率 ジェフ・ステロウ (NYG) 1.96
奪三振 ピート・アレクサンダー (PHI) 195
投球回 ピート・アレクサンダー (PHI) 310⅓
セーブ スリム・サリー (STL) 6

表彰

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チャルマーズ賞 (MVP)

出典

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  • 『アメリカ・プロ野球史』第2章 二大リーグの対立 78-79P参照  鈴木武樹 著  1971年9月発行  三一書房
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1912年≫ 53P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪ルーブ・マーカード≫ 55P参照 
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 1905-2000  88P参照 上田龍 著 2001年10月発行 ベースボールマガジン社
  • 『オールタイム大リーグ名選手101人』「ウォルター・ジョンソン」20-21P参照 1997年10月発行 日本スポーツ出版社
  • 『月刊メジャーリーグ 2003年12月号』「特集ワールドシリーズ栄光の1世紀」勝敗を変えた世紀の大失策 42P参照 ベースボールマガジン社
  • 『野球は言葉のスポーツ』技術を追って 85-86P参照 伊東一雄・馬立勝 著  1991年4月発行 中公新書

外部リンク

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