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1950年の野球

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1950年 > 1950年のスポーツ > 1950年の野球

1950年の野球(1950ねんのやきゅう)では、1950年野球界における動向をまとめる。

競技結果

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日本プロ野球

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ペナントレース

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1950年のペナントレースは、セリーグが140試合(20試合×7)、パリーグが120試合(20試合×6)で行われた。セリーグに関しては、いわゆる消化試合は行われないものもあった。

1950年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 松竹ロビンス 98 35 4 .737 優勝
2位 中日ドラゴンズ 89 44 4 .669 9.0
3位 読売ジャイアンツ 82 54 4 .603 17.5
4位 大阪タイガース 70 67 3 .511 30.0
5位 大洋ホエールズ 69 68 3 .504 31.0
6位 西日本パイレーツ 50 83 3 .376 48.0
7位 国鉄スワローズ 42 94 2 .309 57.5
8位 広島カープ 41 96 1 .299 59.0
1950年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 毎日オリオンズ 81 34 5 .704 優勝
2位 南海ホークス 66 49 5 .574 15.0
3位 大映スターズ 62 54 4 .534 19.5
4位 阪急ブレーブス 54 64 2 .458 28.5
5位 西鉄クリッパース 51 67 2 .432 31.5
6位 東急フライヤーズ 51 69 0 .425 32.5
7位 近鉄パールス 44 72 4 .379 37.5

日本シリーズ

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1950年 日本ワールドシリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場 開始時刻 入場者数
11月22日(水) 第1戦 毎日オリオンズ 3 - 2 松竹ロビンス 明治神宮野球場 13時16分 23,018人
11月23日(木) 第2戦 松竹ロビンス 1 - 5 毎日オリオンズ 後楽園球場 13時1分 35,541人
11月24日(金) 移動日
11月25日(土) 第3戦 毎日オリオンズ 6 - 7x 松竹ロビンス 甲子園球場 13時30分 19,399人
11月26日(日) 第4戦 松竹ロビンス 5 - 3 毎日オリオンズ 阪急西宮球場 13時31分 35,518人
11月27日(月) 第5戦 毎日オリオンズ 3 - 2 松竹ロビンス 中日球場 12時59分 12,630人
11月28日(火) 第6戦 松竹ロビンス 7 - 8x 毎日オリオンズ 大阪球場 13時29分 22,035人
優勝:毎日オリオンズ(初優勝)

この年に初めて日本シリーズが開催される。この年のみ「日本ワールドシリーズ」の名称で開催。

個人タイトル

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  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 小鶴誠 松竹 別当薫 毎日
最優秀新人 大島信雄 松竹 荒巻淳 毎日
首位打者 藤村富美男 大阪 .362 大下弘 東急 .339
本塁打王 小鶴誠 松竹 51本 別当薫 毎日 43本
打点王 小鶴誠 松竹 161点 別当薫 毎日 105点
最多安打 藤村富美男 大阪 191本 別当薫 毎日 160本
盗塁王 金山次郎 松竹 74個 木塚忠助 南海 78個
最優秀防御率 大島信雄 松竹 2.03 荒巻淳 毎日 2.06
最多勝利 真田重男 松竹 39勝 荒巻淳 毎日 26勝
最多奪三振 杉下茂 中日 209個 米川泰夫 東急 207個
最高勝率 大島信雄 松竹 .833 野村武史 毎日 .818

ベストナイン

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  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 真田重男 松竹 荒巻淳 毎日
捕手 荒川昇治 松竹 土井垣武 毎日
一塁手 西沢道夫 中日 飯田徳治 南海
二塁手 千葉茂 巨人 本堂保次 毎日
三塁手 藤村富美男 大阪 中谷順次 阪急
遊撃手 白石勝巳 広島 木塚忠助 南海
外野手 小鶴誠 松竹 別当薫 毎日
青田昇 巨人 大下弘 東急
岩本義行 松竹 飯島滋弥 大映

高校野球

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大学野球

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社会人野球

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メジャーリーグ

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できごと

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1月

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2月

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3月

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  • 3月10日 - セ・リーグが下関市営球場平和台球場で開幕。この年からの新球団同士の初公式戦対決となった広島カープ西日本パイレーツの試合は6対5で西日本が勝利している[3]。同じく国鉄対 大洋ホエールズ戦は国鉄が2対0で勝利している[4]
  • 3月11日 - パ・リーグが開幕[5]毎日オリオンズ西鉄クリッパース戦(西宮)で、毎日の戸倉勝城木下勇からパ・リーグ史上初の「プロ入り初打席で初本塁打」を放ち、同時にパ・リーグ史上第1号本塁打となった[6]。毎日の榎原好がパ・リーグ史上初の「新人初登板初勝利投手」となった[7]
  • 3月11日 - 国鉄は対広島戦(松山)に3対2で勝利し、球団史上シーズン公式戦初勝利[8]
  • 3月12日 - 近鉄パールスの初の公式戦の対毎日戦(藤井寺球場)が行われ、2対6で近鉄が敗れている[4]
  • 3月14日 - 広島は対国鉄戦で16対1で球団史上シーズン公式戦初勝利[9]
  • 3月14日 - 松竹の真田重蔵が対大洋戦でNPB史上9人目の通算100勝を達成[10]
  • 3月16日 - 阪神タイガース田宮謙次郎が対国鉄戦で9回2死まで完全試合も、 中村栄に左前安打で記録を逃す。9回2死まで無安打無得点で逃したのはNPB史上4人目、完全試合では初[11]
  • 3月16日 - 西鉄対東急フライヤーズ戦(大須)は21対14で西鉄が勝利し、1試合両チーム計35得点のNPB新記録[12]。大須球場ではこの後毎日対阪急戦が行われたが、こちらも乱打戦の末に13対9で阪急が勝利。1日に合計57得点(35+22)の記録を出す。
  • 3月16日 - 毎日対阪急戦(大須)でプロ入り初登板の祖父江東一郎が最初の打者に内尾勇に本塁打を打たれる。初登板試合の初打者に本塁打はパ・リーグ史上初[13]
  • 3月16日 - 広島の白石勝巳が対中日戦で杉下茂から球団史上初の本塁打を記録[2]
  • 3月18日 - 松竹の井筒研一が対国鉄戦でNPB史上32人目の通算1000投球回を達成[10]
  • 3月25日 - この年から日本シリーズ[14]を開催することが決定される。
  • 3月28日 - 国鉄対松竹戦(長野城山)でプロ入り初登板の仲川翠が最初の打者の平野謙二に本塁打。初登板初打者本塁打はセ・リーグ史上初[13]
  • 3月29日 - 読売ジャイアンツ対広島(静岡)で広島は7回1死、打順は7番黒川浩の場面で、9番山崎明男が打席に間違って入り、四球を選ぶが巨人のアピールでアウトとなる。黒川に打数1がつき、山崎はこの2打席後、正規の打席に立ち安打を記録している[15]
  • 3月29日 - 中日の近藤貞雄が対西日本戦でNPB史上33人目の通算1000投球回を達成[10]
  • 3月30日 - 阪神の後藤次男が対大洋戦(松山)で5安打3本塁打2二塁打のセ・リーグ新記録の1試合16塁打[16]
  • 3月31日 - 近鉄の五井孝蔵が対毎日戦(後楽園)で9回5安打5四球2奪三振の内容で、球団史上初、2リーグ制以降初、パ・リーグ史上初、NPB史上10人目のプロ初登板初完封を記録[17]

4月

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  • 4月10日 - 阪急ブレーブスが球団新記録の11連敗[18]
  • 4月10日 - 毎日の奥田元がNPB史上6人目、パ・リーグ史上初の1イニング3盗塁[20]
  • 4月11日 - 広島の坂田清春がNPB史上2人目、2リーグ制以降では初のランニング満塁本塁打を記録[21]
  • 4月11日 - 中日対国鉄戦(仙台)で1回に原田督三西沢道夫野口明国枝利通による1イニング4本塁打のNPB新記録。打たれた国鉄の成田啓二は1イニング4被本塁打の同新記録[22]
  • 4月12日 - 広島の内藤幸三が対巨人戦でNPB史上5人目の通算2000投球回を達成[10]
  • 4月13日 - 西日本は対松竹戦(富山)で24対8で勝利し、セ・リーグ初の1試合20点以上試合となり、この年限りで消滅した西日本の球団史上最多得点試合となった[23]
  • 4月15日 - 中日の清水秀雄が対松竹戦でNPB史上13人目の通算1500投球回を達成[10]
  • 4月23日 - 毎日は対南海戦でNPBタイ記録(5度目)の被12安打での完封勝利。パ・リーグでは初記録[24]
  • 4月23日 - 国鉄は対大洋戦(後楽園)の6回に打者17人、8安打5四球の12得点の1イニング最多セ・リーグ新記録[25]。試合は16対5で国鉄が勝利[26]
  • 4月29日 - 巨人の川上哲治が対中日戦でNPB史上初の通算100本塁打を記録[10]
  • 4月30日 - 西鉄の川崎徳次が対阪急戦でNPB史上14人目の通算1500投球回を達成[10]

5月

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  • 5月1日 - 毎日の呉昌征が対大映戦でNPB史上2人目の通算1000試合出場を達成[10]
  • 5月5日 - 県営宮城球場が開場、毎日対大映、毎日対南海戦が組まれたが、多数のファンが殺到したため死者3名、負傷者26名を出す[5]
  • 5月6日 - 広島の白石勝巳が対巨人戦でNPB史上3人目の通算1000試合出場を達成[10]
  • 5月11日 - 南海が初めてパ・リーグ首位に立つが、翌試合で敗れて2位転落。毎日が首位に返り咲く。この年毎日が首位でなかったのはこの日だけとなった[27]
  • 5月11日 - 松竹の江田貢一が対国鉄戦でNPB史上34人目の通算1000投球回を達成[10]
  • 5月25日 - 大阪タイガース藤村富美男が対広島戦(阪神甲子園球場)でサイクル安打達成。NPB史上3度目でセ・リーグでは初。藤村は2度目で複数回達成は史上初[28]
  • 5月25日 - 毎日の呉昌征が対西鉄戦でNPB史上初の通算300盗塁を達成[10]
  • 5月28日 - 広島の白石勝巳が対阪神戦(甲子園)で、セ・リーグ初の1イニング2本塁打を記録[3]
  • 5月31日 - 毎日は対東急戦で球団初の20点以上得点となる23対11で勝利し、1試合得点のパ・リーグ新記録[22]
  • 5月31日 - 阪急は対大映戦(藤井寺)で2回植田武彦の三塁打のみの1安打で2対1で勝利。1安打勝利はNPB史上8度目、パ・リーグ史上初[29]

6月

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7月

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  • 7月5日 - 後楽園球場のナイター設備が完成し、初試合の東急対南海戦と、毎日対大映戦が行われ、第2試合からがナイターとなりパ・リーグ初のナイター試合となった。試合は9対3で東急、4対3で毎日が勝利している、パ・リーグナイター試合第1号本塁打は毎日の戸倉勝城[32][5]
  • 7月6日 - 大映対南海戦(後楽園)で、初回表に南海の黒田一博、同裏に大映が伊賀上良平がそれぞれ先頭打者本塁打。両チーム初回先頭打者本塁打はNPB史上初[33]
  • 7月11日 - セ・リーグ初のナイター試合となる西日本対広島戦と巨人対松竹戦が後楽園で行われる[34]
  • 7月18日 - 広島の白石勝巳が対中日戦でNPB史上3人目の通算1000安打を達成[10]
  • 7月20日 - 阪急の阿部八郎が対近鉄戦(日生)で9回2死まで無安打無得点(1四球)も伊藤利夫に安打を打たれ、パ・リーグ史上初の「9回2死でノーヒットノーランを逃した」[13]

8月

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9月

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10月

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11月

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誕生

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1月

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2月

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3月

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4月

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5月

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6月

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7月

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8月

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9月

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10月

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11月

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12月

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死去

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脚注

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  1. ^ 中日ドラゴンズ 編『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、49頁。ISBN 4806205141 
  2. ^ a b c d 中国新聞社『カープの歩み 1949-2011』中国新聞社、2012年、77頁。ISBN 9784885173783 
  3. ^ a b 『広島東洋カープ60年史 HISTORY 1950-2009』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、35頁。ISBN 9784583616001 
  4. ^ a b 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、128頁。ISBN 4062061082 
  5. ^ a b c パシフィック・リーグ略史(1949年〜2000年)”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  6. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 483.
  7. ^ 開幕戦記録集”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  8. ^ 球団のあゆみ 1950年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  9. ^ カープ60年史 2009, p. 34.
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 18 達成記録一覧 Archived 2013年12月26日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
  11. ^ 宇佐見徹也 1993, p. 918.
  12. ^ 宇佐見徹也 1993, p. 562.
  13. ^ a b c 記録メモ(個人投手編)”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  14. ^ この年のみ「日本ワールドシリーズ」で開催。
  15. ^ 宇佐見徹也 1993, p. 501.
  16. ^ 宇佐見徹也 1993, p. 513.
  17. ^ 宇佐見徹也 1993, p. 853.
  18. ^ 『阪急ブレーブス黄金の歴史 永久保存版 よみがえる勇者の記憶 1936-1988』ベースボール・マガジン社、2011年、36頁。ISBN 9784583617756 
  19. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 711.
  20. ^ a b 二盗、三盗、本盗の3盗塁。[19]
  21. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 452.
  22. ^ a b c d e f 宇佐美徹也 1993, p. 445.
  23. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 560.
  24. ^ 週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2012年8月6日、95頁。 
  25. ^ 1リーグ時代の記録は1944年の阪神の13点。
  26. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 573.
  27. ^ 南海ホークス 編『南海ホークス四十年史』南海ホークス、1978年、131頁。 
  28. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 521.
  29. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 319.
  30. ^ 宇佐美徹也 1993, pp. 543–544.
  31. ^ 無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  32. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 190.
  33. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 480.
  34. ^ セ・リーグHistory Archived 2013年11月19日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
  35. ^ 日付は公示日。『ライオンズ60年史―獅子の記憶―「西鉄」から「埼玉西武」まで』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2010年、116-117頁。ISBN 9784583616858 
  36. ^ ホークス四十年史 1978, p. 25.
  37. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 722.
  38. ^ ホークス四十年史 1978, p. 58.
  39. ^ ホークス四十年史 1978, p. 59.
  40. ^ 【10月6日】1950年(昭25) もう破られない?金田正一 プロ野球最年少本塁打”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2011年10月6日). 2015年11月13日閲覧。
  41. ^ 宇佐美徹也 1993, pp. 489, 776.
  42. ^ ドラゴンズ70年史 2006, p. 49.
  43. ^ a b 宇佐美徹也 1993, p. 135.
  44. ^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2013年8月26日、96頁。 
  45. ^ ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年1月、51頁。 
  46. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 453.
  47. ^ ホークス四十年史 1978, p. 130.
  48. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 468.
  49. ^ a b ドラゴンズ70年史 2006, p. 50.
  50. ^ スポーツニッポン2013年10月27日号関西版12版2-3面
  51. ^ ■ 1950年度日本シリーズ 試合結果”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月13日閲覧。