古河市
こがし 古河市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 茨城県 | ||||
市町村コード | 08204-0 | ||||
法人番号 | 3000020082040 | ||||
面積 |
123.58km2 | ||||
総人口 |
137,112人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 1,109人/km2 | ||||
隣接自治体 |
結城市、坂東市、猿島郡五霞町、境町、結城郡八千代町 埼玉県:久喜市、加須市 栃木県:栃木市、小山市、下都賀郡野木町 | ||||
市の木 | ケヤキ | ||||
市の花 | ハナモモ | ||||
古河市役所 | |||||
市長 | 針谷力 | ||||
所在地 |
〒306-0291 茨城県古河市下大野2248番地 北緯36度10分42秒 東経139度45分20秒 / 北緯36.17825度 東経139.75544度座標: 北緯36度10分42秒 東経139度45分20秒 / 北緯36.17825度 東経139.75544度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 |
古河市役所庁舎は、 本庁舎・古河庁舎・三和庁舎に 部課等を分けて配置されている。 | ||||
ウィキプロジェクト |
古河市(こがし)は、関東地方のほぼ中央、茨城県西端の県西地域に位置する市。人口約14万人。旧・下総国葛飾郡。県西地域最大の都市。
関東大都市圏であり[1]、また昭和30年代から工業立地が進み(後述の産業の節も参照)、近隣の3町などから労働人口流入があり、本市を中心とする古河都市圏も形成している。
御所沼、古河公方館跡がある古河総合公園など、関東の小京都と称されていて、全国京都会議に加盟している。
概要
[編集]古河は『万葉集』巻14の二首(3555番及び3558番)に含まれている「許我」の地に比定されており、古代から水上交通の要衝だったとみられている[2]。『吾妻鏡』では「古我」として記されており、「古河」の字が当てられるようになったのは時代が下って南北朝時代からとされている[3]。
平安時代には、9世紀初め〜10世紀における東日本最大級の製鉄所(川戸台遺跡)があった。9世紀後半の「半地下式平窯」(江口長沖窯跡)も発見されており、製鉄や窯業の生産拠点でもあった。
室町時代後期から戦国時代にかけては古河公方の本拠地、江戸時代には古河藩の城下町、日光街道の宿場町・古河宿が盛えた。渡良瀬川には河岸があり水運が盛んで、農産物の集散地として高瀬舟が米や野菜を利根川、江戸川を経由して江戸に運搬していた。
明治期に入ると、内国通運(現在の日本通運)が蒸気船を古河と東京の間に運航するようになった。1885年(明治18年)に開業した東北本線古河駅は茨城県内最初の鉄道駅となった。製糸産業の発達で人口が急増した結果、古河町(当時)は一時期、茨城県内で2番目の人口となった。1958年(昭和33年)に東北本線が電化され、上野まで約1時間で結ばれるようになってからは、東京のベッドタウンとしての役割が加わって人口がさらに増大し、合併前には人口密度で茨城県内第1位となっていた。2020年現在の古河市は、都心回帰の影響で東京のベッドタウンとしての役割は薄れたが、それでも県南の土浦市より東京への通勤・通学率は高く[4]、人口では土浦市に次いで茨城県内第6位である。
行政上では茨城県に属するが、国道4号(日光街道)や東日本旅客鉄道(JR東日本)宇都宮線の沿線であることから、経済や教育の面では栃木県・埼玉県・東京都とのつながりが強い(後述する合併以前の旧古河市は、県西地域で唯一東京都市圏に属していた)[注釈 1]。
2005年9月12日、平成の大合併により旧古河市と総和町・三和町が新設合併、現在の古河市となる。
地理
[編集]地勢
[編集]関東平野のほぼ中央に位置し、全域にわたり平坦な地形が広がる。南部を利根川が東流、西部は渡良瀬遊水地を経由した渡良瀬川が流れ利根川橋の北で利根川に合流する。
南部に比べ北部はやや標高が高く、市内を流れる川は利根川を除き北から南へと流れる。一方東西方向では目立った標高差の傾向はない[注釈 2]。利根川・渡良瀬川沿いと、後述する池沼周辺以外は概ね猿島台地で、地の利を生かしてさしま茶が生産されている。
河川
[編集]- 利根川
- 渡良瀬川
- 中央排水路(大山沼)
- 向堀川
- 磯部都市下水路
- 女沼川
- 磯川(中央排水路〈釈迦沼〉)
- 釈水川
- 下大野都市下水路
- 宮戸川
- 西幹線排水路
- 大川
- 柳川
- 東支線排水路
- 西仁連川
- 飯沼川
- 東仁連川
- 吉田用水
池および沼
[編集]隣接する自治体
[編集]隣接する都道府県との関係
[編集]概要のとおり、歴史的な背景・現在の交通網の関係(宇都宮線・国道4号を中心とした交通網)から、2020年現在でも茨城県内では特殊な傾向を示す地域である。茨城県民であっても、栃木県や埼玉県に属すると誤認する人間もいる。
茨城県内の他市町村と比べて埼玉県・栃木県との関係が強い。各種調査[5]でも栃木県・埼玉県への流動を見ることができるほか、以下のような例外扱いを受けている。
- 市外局番(0280・古河MA)や通話料金区域では栃木県扱い。そのため、県内他地域への通話は県間通話扱いとなる。古河MAの通話料金区域は、茨城・栃木(野木町)・埼玉(加須市旧北川辺町)の3県にまたがっている。
- 市内を走るJR宇都宮線は、東日本旅客鉄道大宮支社管轄。
- 日本通運の宅配便では16佐野ターミナル(栃木県佐野市)管轄。
- 当市内の国道4号、新4号国道は、結城市内の国道50号などと共に宇都宮国道事務所の管轄。
一方で県内とは、JRバス関東東古河妻線の八千代町松本以東廃止後は、直接結ぶ公共交通機関は隣接する境町への路線バスのみである。そのため、茨城県内の中心軸の常磐線・国道6号沿線との関係が希薄な状態が続いている[注釈 3]。
茨城県庁では、上記のような状況を県土の一体性を損なうものと認識しており、地域格差を解消するための施策として、2006年から2010年度までの5か年計画で、鹿行・県南・県西の各地域を「南部広域連携圏」とし、首都圏との更なる連携を強める交通インフラに重点を置いた地域造りを目指していた。
古河市についてはその地域特性を認め、埼玉県、栃木県との連携も視野に古河都市計画区域マスタープラン[6]においても、「さいたま新都心や小山・宇都宮圏と連携し,東京都市圏の機能の一翼を担う」と明記されている。
気象
[編集]典型的な関東内陸の気候である。夏に関しては同じく酷暑で有名な熊谷や前橋、館林と並び酷暑となる。また冬は北西の季節風の強い日が多く、実際の気温以上に寒く感じられる。
- 2024年7月29日に観測された日最高気温記録の40.0℃は茨城県内最高気温である[7][注釈 4]。8月の最高気温の平均値(32.0℃)[8]も茨城県内最高である[注釈 5]。夏季の最低気温も古河は茨城県内では最も高く、熱帯夜になることもある。
- 冬は放射冷却現象により、朝は氷点下の冬日となることもしばしばある。それでも朝晩の冷え込みは県内他地域に比べると幾分弱く、1月の平均最低気温は-1.3°Cと、太平洋沿岸部を除くと、内陸では霞ケ浦に隣接する土浦に次いで高くなっている。日中は北西の季節風が強く、休耕中の田畑から猿島台地を覆っている関東ローム層の赤土の砂埃が舞い上がることも多い。
古河(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.8 (65.8) |
23.4 (74.1) |
26.1 (79) |
31.4 (88.5) |
35.1 (95.2) |
38.9 (102) |
40.0 (104) |
39.6 (103.3) |
38.2 (100.8) |
33.1 (91.6) |
25.7 (78.3) |
25.3 (77.5) |
40.0 (104) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.2 (48.6) |
10.3 (50.5) |
14.0 (57.2) |
19.6 (67.3) |
24.1 (75.4) |
26.6 (79.9) |
30.6 (87.1) |
32.0 (89.6) |
27.8 (82) |
21.9 (71.4) |
16.4 (61.5) |
11.4 (52.5) |
20.3 (68.5) |
日平均気温 °C (°F) | 3.6 (38.5) |
4.6 (40.3) |
8.2 (46.8) |
13.5 (56.3) |
18.4 (65.1) |
21.8 (71.2) |
25.6 (78.1) |
26.8 (80.2) |
23.0 (73.4) |
17.2 (63) |
11.0 (51.8) |
5.8 (42.4) |
14.9 (58.8) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.3 (29.7) |
−0.5 (31.1) |
2.9 (37.2) |
8.0 (46.4) |
13.6 (56.5) |
18.0 (64.4) |
21.9 (71.4) |
23.0 (73.4) |
19.3 (66.7) |
13.2 (55.8) |
6.3 (43.3) |
0.9 (33.6) |
10.4 (50.7) |
最低気温記録 °C (°F) | −11.9 (10.6) |
−8.3 (17.1) |
−4.8 (23.4) |
−1.4 (29.5) |
2.3 (36.1) |
10.6 (51.1) |
14.5 (58.1) |
15.6 (60.1) |
8.4 (47.1) |
2.1 (35.8) |
−2.4 (27.7) |
−6.3 (20.7) |
−11.9 (10.6) |
降水量 mm (inch) | 35.2 (1.386) |
35.1 (1.382) |
75.9 (2.988) |
91.3 (3.594) |
120.8 (4.756) |
132.0 (5.197) |
147.3 (5.799) |
135.8 (5.346) |
181.4 (7.142) |
166.1 (6.539) |
61.6 (2.425) |
37.7 (1.484) |
1,229.9 (48.421) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 3.9 | 4.6 | 8.6 | 9.4 | 11.0 | 12.1 | 11.6 | 8.6 | 11.0 | 10.2 | 6.0 | 4.2 | 101.2 |
平均月間日照時間 | 208.7 | 195.1 | 197.2 | 190.6 | 184.7 | 128.6 | 144.7 | 168.1 | 133.1 | 145.1 | 165.0 | 188.5 | 2,049.5 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[9] |
市勢
[編集]- 面積:123.58 km2
- 人口:142,995人
- 男性:71,450人
- 女性:71,545人
- 世帯数:50,465
(平成22年国勢調査)
人口
[編集]2000年の国勢調査で14万6552人[注釈 6]を記録して以降、市全体としては減少傾向にある。一方で旧市町別では、旧総和町が増加傾向にある[10]。
古河市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 古河市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 古河市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
古河市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
地名
[編集]古河市側から渡良瀬川の対岸に「向古河(むかいこが)」地区や東武日光線「新古河駅」があるが、所在は埼玉県加須市(旧北川辺町)になる。
歴史
[編集]地理的条件
[編集]古河市が接する渡良瀬川の下流は、中世には太日川と呼ばれ(現在の江戸川)、直接東京湾に注ぐ水運上の重要な河川だったため、古河は現在の東京・房総と北関東を結ぶ位置にある。このような拠点性、および西方(現在の渡良瀬遊水地方面)が湿地である天然の要害でもあったことから、室町時代に古河公方が古河城に移座することになった。しかしこれら水運の良さと要害性の一方では、水害に悩まされることが多く、明治期の足尾銅山鉱毒事件の際には、河川改修事業により古河城の遺構が破壊されることになる。江戸時代の古河藩領は下総国・下野国・武蔵国に跨り、市域も下総国、千葉県を経て茨城県に編入された経緯があることから、旧常陸国、水戸街道が中心となって形成された近代以降の茨城県の県史としては傍流的な位置づけになる。
先史時代
[編集]縄文時代のものとみられる貝塚、集落が発見されており、そのころから人が定住しているものと考えられる。
古代(奈良・平安時代)
[編集]古河の歴史は、『万葉集』にまで求められ、当時の情景が二首詠まれ「許我(こが)」の記述までさかのぼる[11]。元の古河地域は奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが窺える[注釈 7]。
- “まくらがの 許我の渡りのからかじの音高しもな寝なへ児ゆえに”
- “逢はずして 行かば惜しけむ 麻久良我の 許我(こが)漕ぐ船に 君も逢はぬかも”
平安時代:渡良瀬川近くの市内牧野地にある川戸台遺跡が、9世紀初め〜10世紀の平安時代に東日本最大級の“製鉄所”跡で、ここで生産された鍋が多賀城(仙台市北東隣の多賀城市)や秋田城(秋田市)に送られていたことが、古河市教育委員会の発掘調査により判明した。同じく古河市教育委員会の発掘調査により、三和窯跡群の一角で、かつて飯沼だった東仁連川近くの古河市江口にある江口長沖窯跡で、9世紀後半の「半地下式平窯」が県内で初めて発見され、ここで作られた須恵器が水運により関東地方の広範囲に流通していたと考えられるなど、平安時代にも交通の要所であり、また製鉄や窯業の生産拠点であったことがうかがえる。
中世(鎌倉時代〜戦国時代)
[編集]- 平安時代末〜鎌倉時代初期:下河辺行平(小山氏の一族)が市内の立崎(竜崎)に館を築き、古河城の起源となる。
- 室町時代〜戦国時代:古河城は鎌倉公方の軍事拠点、のちには古河公方の本拠地となり、元の古河地域は関東の中心の一つとして発展する。市域南部の水海(水海城)は古河公方重臣・簗田氏の拠点となった。
- 享徳の乱(きょうとくのらん、享徳3年12月27日(1455年1月15日) - 文明14年11月27日(1483年1月6日))享徳の乱は、関東地方における戦国時代の始まりと位置付けられている。
近世(江戸時代)
[編集]- 古河藩が設置され古河城が藩庁となった。現在の市域西部を日光街道(日光道中)が南北に貫き、古河城下(元の古河)に古河宿、中田に中田宿が設けられた。一方、市域東部では日光東往還(日光東街道)が縦断し、谷貝宿・仁連宿・諸川宿が設けられた。
- 古河藩領は、現在の市域を含む下総国北西部、および隣接する下野国南部、武蔵国北東部にまたがって形成され、当時の古河城下(現在の市域西部)は古河藩領の中心にあった。しかし近代以降に旧藩領は県境によって分断され、三方を他県域に囲まれた県最西端の町になる。なお現在の市域東部には、古河藩に含まれなかった地域も多かった。例えば、諸川宿・仁連宿は壬生藩領から天領(幕府直轄地)、谷貝宿は関宿藩領である。
- 歴代古河藩主においては、大老2人(土井利勝、堀田正俊)のほか、老中や京都所司代などにつくものも多い、有力譜代藩であった。
- 1832年:古河藩第十一代藩主である土井利位が、日本初の雪の結晶に関する観察図鑑『雪華図説』を出版した。
近代・現代
[編集]- 1885年(明治18年)7月16日 - 東北本線古河駅開業。
- 1889年(明治22年)4月1日:町村制施行により現在の市域の町村が成立。
- 1896年(明治29年)3月29日:西葛飾郡が廃止され、古河町・新郷村・岡郷村・水海村・勝鹿村・桜井村は猿島郡に編入される。
- 1924年(大正13年):町内に本店があった第百二十銀行が放漫経営が原因で休業に追い込まれる。2年後に破産、農民らに打撃[12]。
- 1932年(昭和7年)7月1日:新郷村大字伊賀袋および立崎の一部が、埼玉県北埼玉郡川辺村(のちに北川辺町→加須市)に編入される。
- 第二次世界大戦後
こがし 古河市 | |||||
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廃止日 | 2005年9月12日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 古河市(旧)、猿島郡総和町、三和町 → 古河市(新) | ||||
現在の自治体 | 古河市(新) | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 茨城県 | ||||
隣接自治体 |
猿島郡五霞町、総和町 埼玉県:北埼玉郡大利根町、北川辺町、北葛飾郡栗橋町 栃木県:下都賀郡野木町、藤岡町 | ||||
古河市役所 | |||||
所在地 |
〒306-8601 茨城県古河市長谷町38-18 | ||||
ウィキプロジェクト |
- 1950年(昭和25年)8月1日 - 古河町が市制を施行し、古河市となる。(単独市制、茨城県下4番目)
- 1950年(昭和25年)8月10日 - 初代の市章を制定する。
- 1953年(昭和28年)5月18日 – 国道125号が制定。
- 1955年(昭和30年)
- 1968年(昭和43年)1月1日 - 総和村が町制施行し総和町となる。
- 1969年(昭和44年)- 三和村が町制施行・改称し三和町(さんわまち)となる。
- 1981年(昭和56年)4月1日 - 新利根川橋が開通。
- 1992年(平成4年)4月8日 - 新4号国道が全線開通。
- 1992年(平成4年)9月7日 - 新たな住居表示地名として、けやき平一丁目・二丁目(旧大字中田、茶屋、板間の各一部)を設定[13]。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 国道354号(館林市 - 大洋村間)が制定。
- 2005年(平成17年)9月12日:古河市と総和町、三和町が合併(新設合併)し、新たに古河市となる。
- 2006年(平成18年)1月21日 - 2代目の市章を制定する[14]。
- 2010年(平成22年)12月17日 - 旧古河市が全額出資していた古河市住宅公社が破産。
行政区域変遷
[編集]変遷の年表
古河市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現古河市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の町村がそれぞれ発足。[15][16] |
1896年(明治29年) | 3月29日 | 西葛飾郡は猿島郡に編入。 |
1916年(大正5年) | 香取村の一部(釈迦・前林の各一部)は五霞村に編入。 | |
1932年(昭和7年) | 7月1日 | 新郷村の一部(伊賀袋と立崎の一部)は埼玉県北埼玉郡川辺村に編入。 |
1950年(昭和25年) | 8月1日 | 古河町は市制施行し古河市になる。 |
1955年(昭和30年) | 2月11日 | 幸島村・八俣村・名崎村が合併し三和村(みわむら)が発足。 |
3月15日 | 新郷村は古河市に編入。 | |
3月16日 | 香取村・桜井村・勝鹿村・岡郷村は合併し総和村が発足。 | |
6月 | 三和村の一部(成田新田)は八千代町に編入。 | |
1968年(昭和43年) | 1月1日 | 総和村が町制施行し総和町となる。 |
1969年(昭和44年) | 1月1日 | 三和村は町制施行・改称し三和町(さんわまち)となる。 |
1975年(昭和50年) |
| |
2005年(平成17年) | 9月12日 | 古河市・総和町・三和町とともに合併し古河市が発足。 |
変遷表
古河市市域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略) | |||||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
葛飾郡 (西葛飾郡) |
古河町 | 古河町 | 明治29年3月29日 猿島郡に編入 |
昭和25年8月1日 市制 |
平成17年9月12日 古河市 |
古河市 | |||
原町 | |||||||||
悪戸新田村 | |||||||||
中田町 | 新郷村 の一部 |
昭和30年3月15日 古河市に編入 | |||||||
新久田村 | |||||||||
鴻巣村 | |||||||||
駒ケ崎村 | |||||||||
長谷村 | |||||||||
牧野地村 | |||||||||
立崎村の一部 | |||||||||
鳥喰村 | |||||||||
中田新田 | |||||||||
茶屋新田 | |||||||||
坂間村 | |||||||||
大山村 | |||||||||
駒羽根村 | 香取村 | 昭和30年3月16日 総和村 |
昭和43年1月1日 町制 | ||||||
釈迦村 | |||||||||
磯部村 | |||||||||
前林村 | |||||||||
上砂井村 | |||||||||
砂井新田 | |||||||||
水海村 | |||||||||
高野村 | 桜井村 | ||||||||
久能村 | |||||||||
柳橋村 | |||||||||
葛生村 | |||||||||
下大野村 | |||||||||
下辺見村 | 勝鹿村 | ||||||||
上辺見村 | |||||||||
東牛谷村 | |||||||||
西牛谷村 | |||||||||
女沼村 | |||||||||
大堤村 | |||||||||
小堤村 | 岡郷村 | ||||||||
上大野村 | |||||||||
関戸村 | |||||||||
稲宮村 | |||||||||
猿島郡 | 諸川村 | 幸島村 | 幸島村 | 昭和30年2月11日 三和村 |
昭和44年1月1日 町制 | ||||
五部村 | |||||||||
上和田村 | |||||||||
諸川新田 | |||||||||
下片田村 | |||||||||
大和田村 | |||||||||
上片田村 | |||||||||
駒込村 | |||||||||
新和田村 | |||||||||
仁連村 | |||||||||
北山田村 | 八俣村 | 八俣村 | |||||||
山田村 | |||||||||
東山田村 | |||||||||
谷貝村 | |||||||||
長左衛門新田の一部 | |||||||||
猿島郡 | 恩名村 | 名崎村 の一部 |
名崎村の一部 | ||||||
長左衛門新田の一部 | |||||||||
江口新田 | 明治14年 江口村 | ||||||||
尾崎村 | |||||||||
尾崎村新田 | |||||||||
水口村新田 |
行政
[編集]現在は、旧3市町の役所に各課を配置する分庁舎形式である。
市長
[編集]- 針谷力(2期目)
- 任期:2024年12月15日
歴代市長
[編集]- 旧古河市長
特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[17]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 小池宗次郎 | 1950年(昭和25年)8月1日 | 1959年(昭和34年)4月30日 | |
2 | 飯島雷輔 | 1959年(昭和34年)5月1日 | 1964年(昭和39年)2月21日 | |
3 | 須藤英一郎 | 1964年(昭和39年)4月12日 | 1967年(昭和42年)4月30日 | |
4 | 平野二郎 | 1967年(昭和42年)5月28日 | 1979年(昭和54年)5月27日 | |
5 | 逆井督 | 1979年(昭和54年)5月28日 | 1983年(昭和58年)5月27日 | |
6 | 小倉利三郎 | 1983年(昭和58年)5月28日 | 1991年(平成3年)5月27日 | |
7 | 針谷善吉 | 1991年(平成3年)5月28日 | 1995年(平成7年)1月29日 | |
8 | 小倉利三郎 | 1995年(平成7年)3月19日 | 1999年(平成11年)3月18日 | |
9 | 小久保忠男 | 1999年(平成11年)4月25日 | 2005年(平成17年)9月11日 |
- 古河市長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
舘野喜重郎 | 2005年9月12日 | 2005年10月16日 | 市長職務執行者[18]・旧三和町長 | |
初-2代 | 白戸仲久 | 2005年10月16日 | 2012年11月19日 | リコール運動により辞職 |
陸川克己 | 2012年11月20日 | 2012年12月16日 | 職務代理者・副市長 | |
3代 | 菅谷憲一郎 | 2012年12月16日 | 2016年12月15日 | 元総和町長 |
4代 | 針谷力 | 2016年12月16日 | 現職 |
市役所各庁舎(本庁舎を除く)
[編集]- 古河庁舎(旧古河市役所)
長谷町38番18号 - 三和庁舎(旧三和町役場)
仁連2065番地
-
古河庁舎(旧古河市役所)
-
三和庁舎(旧三和町役場)
国の出先機関
[編集]- 国土交通省
- 利根川上流河川事務所古河出張所
県の出先機関
[編集]警察
[編集]市内全域を古河警察署が管轄。なお、三和地区は合併以前は境警察署の管轄であった。合併の結果、市の西に寄ってしまった警察署を東へと移転・改築する計画がある[19]。
- 古河警察署 - 旭町一丁目1番23号
- 中田駐在所 - 中田1325番地16
- 駒羽根地区交番 - 駒羽根1391番地3
- 鴻巣交番 - 鴻巣1154番地3
- 上辺見駐在所 - 上辺見1210番地1 →廃止
- 三和地区交番 - 仁連1932番地6
- 古河駅前交番 - 本町一丁目1番15号
- 下山交番 - 東三丁目1番19号
- 小堤駐在所 - 小堤1410番地3
消防
[編集]一部事務組合である、茨城西南地方広域市町村圏事務組合下にある茨城西南広域消防本部および消防団がある。
- 古河消防署 中田1683番地9(消防本部併設)
- 住吉分署 古河797番地1
- 三和分署 仁連2070番地
- 総和消防署 下大野752番地2
- 上大野出張所 上大野1933番地3
消防団は、合併当初は各地区ごとに、古河市古河消防団・古河市総和消防団・古河市三和消防団で構成されていたが、現在は古河市消防団として統合。1〜27分団で編成されている。
議会
[編集]市議会
[編集]- 定数:24人
- 任期:2023年5月1日 - 2027年4月30日
- 会派:政友会(8)・古河市公明党(4)・市民ベースの会(5)・真政会(4)・無所属(2)
衆議院
[編集]- 選挙区:茨城7区(古河市、結城市、下妻市(旧千代川村域)、常総市、坂東市、結城郡、猿島郡)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 当日有権者数:303,353人
- 投票率:53.71%
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 永岡桂子 | 67 | 自由民主党 | 前 | 74,362票 | ○ |
比当 | 中村喜四郎 | 72 | 立憲民主党 | 前 | 70,843票 | ○ |
水梨伸晃 | 42 | 日本維新の会 | 新 | 14,683票 | ○ |
姉妹都市・交流都市
[編集]- 国内の姉妹都市
- 海外の国際交流都市
教育
[編集]この地域は、北関東三県・埼玉県・千葉県が互いに近いため、各県が相互協定を結び、高等学校において一定の他県学生を受け入れていた[20]。そのため多くの高校生が栃木・埼玉へと流れている。国勢調査によれば、15歳以上の通学者のうち県内他市町村へは738人。対する栃木への通学者は625人、埼玉へは1319人が向かう。
市内の教育機関は以下の通りである。
中等教育学校
[編集]- 茨城県立古河中等教育学校(2012年7月1日開校、2013年4月生徒募集開始)
高等学校
[編集]- 茨城県立古河第一高等学校(定時制併設)
- 茨城県立古河第二高等学校
- 茨城県立古河第三高等学校
中学校
[編集]- 古河市立古河第一中学校
- 古河市立古河第二中学校
- 古河市立古河第三中学校
- 古河市立総和中学校
- 古河市立総和北中学校
- 古河市立総和南中学校
- 古河市立三和中学校
- 古河市立三和北中学校
- 古河市立三和東中学校
小学校
[編集]- 古河市立古河第一小学校
- 古河市立古河第二小学校
- 古河市立古河第三小学校
- 古河市立古河第四小学校
- 古河市立古河第五小学校
- 古河市立古河第六小学校
- 古河市立古河第七小学校
- 古河市立釈迦小学校
- 古河市立下大野小学校
- 古河市立上辺見小学校
- 古河市立小堤小学校
- 古河市立上大野小学校
- 古河市立駒羽根小学校
- 古河市立西牛谷小学校
- 古河市立水海小学校
- 古河市立下辺見小学校
- 古河市立中央小学校
- 古河市立諸川小学校
- 古河市立駒込小学校
- 古河市立大和田小学校
- 古河市立八俣小学校
- 古河市立名崎小学校
- 古河市立仁連小学校
保育園、幼稚園に関しては 令和4年度古河市保育所(園)・幼稚園等ガイドブック を参照。
医療
[編集]国内でもとりわけ医師不足が深刻となっている。県内、中でも医療事情が悪化している県西地域の事情にたがわず、古河市の医療事情も厳しい。10万人当たりの医師は141.4人[21]で、全国46位の県内平均を大きく下回っている[22]。
古河市内の病院・診療所については 古河保健所のページ を参照のこと。
産業
[編集]国勢調査での古河市および全国の産業部門別割合は以下の通り(カッコ内は全国の値)。※平成17年度調査
以上の通り、全国に比べて第2次産業の割合が高い。これは、以下で述べるように戦前からの製糸業の勃興と戦後の工業団地の造成により、工業都市として発展した経緯が影響している。
工業
[編集]かつて明治期から昭和中期までは製糸業が発展し当市の産業の軸となっていた。
しかしその全てが廃業し、現在は旧総和町の工業団地(丘里工業団地、配電盤工業団地、北利根工業団地)を中心に工業が発達している。他に旧古河市域に坂間企業団地、旧三和町に名崎工業団地が所在する。年間製造品出荷額は2010年くらいまでは約4千-5千億円前後であったが、日野自動車進出後に急増、2017年以降は1兆円を超えた[23]。2020年の事業所数は349で県内首位、雇用者はひたちなか市、日立市に次いで18000人弱の3位である [4]。
特徴的なのは、食品製造業、殊に製菓業が多い点。トモヱ乳業・山崎製パンの工場があるほか、ジャパンフリトレー(本社も併設)・ヤマザキビスケット・ギンビスの製菓業3社の唯一の工場を有している。またセキスイ系とその派生企業も多く立地。積水化成品工業の大規模な工場ほか、積水ハウスの拠点工場である関東工場がある。
農業
[編集]市の土地利用の5割弱を農地が占めるなど [5]、旧総和町、旧三和町を中心として典型的な近郊農業が発達している。平成18年の農業出荷額は147億2千万円。一方、農業離れも深刻で、耕作放棄地は500haを超えるなど、問題となっている[24]。
茨城県の銘柄豚・ローズポークの生産農家がある[25]。また台地(猿島台地)上ではさしま茶が生産されている。
商業
[編集]広範囲を商圏に収める大規模小売店舗の出店が少なく、卸売に不可欠な情報集積という面では、全般に低落傾向にある [26]。 東京の通勤・生活圏であることから東京方面への買い物客の流出が激しいほか、周辺都市に続々建設されている大型ショッピングモールへ客足が流れるなど、商業施設が消費者の行動範囲が広いこともあり、中規模ショッピングセンターが所在する程度である。
衣類等も扱う総合スーパーでは、現在イオン古河店(旧店名古河サティ)、ベイシア古河総和店が所在する。過去にはイトーヨーカドー古河店があったものの2019年2月17日に閉店となり、跡地はショッピングセンターあかやまJOYとして、テナント型店舗となって別企業により運営している。
大型ロードサイド店舗は国道等に集中し、先のイオン古河店、ベイシア古河総和店は国道4号線沿線、国道125号線沿いには総和地区にヤマダデンキ、ケーズデンキといった家電量販店が所在し、総和地区のジョイフル本田、三和地区のビバホームといったホームセンターも国道125号線沿いにある(ビバホームは古河地区の国道4号線(国道125号線重複区間)沿いにも所在)。ほか、多くのスーパーを始めとする小売業、飲食業、サービス業も、新4号国道、国道4号線、国道125号線、国道354号線や主要県道、十間通りや公方通り、思案橋通り、平和通りなどの市内主要道路に沿って展開されている。自動車でのアクセスが悪い地域においては、もともと市街化調整区域や市街化区域であっても商業地域等に指定されていないことから、商業施設の集積は古河駅前を除き進んでいない[27]。
金融機関
[編集]メガバンクでは、みずほ銀行の支店が古河駅前に存在したが、現在は大宮支店内に移転となり、古河市内に実店舗はなくなった [6]。
メガバンクの最寄り店舗は、みずほ銀行が埼玉県久喜市(久喜支店)、三井住友銀行が栃木県小山市(小山支店)、三菱UFJ銀行が埼玉県蓮田市(蓮田支店)、りそな銀行(埼玉りそな銀行)は埼玉県久喜市栗橋(栗橋支店)となる。
また、茨城県を地盤とする銀行は、常陽銀行・筑波銀行・東日本銀行がある。他県を基盤とする銀行は足利銀行の支店[注釈 9]と栃木銀行の支店が所在し、栃木県との取引機会が多いことがわかる。
主な企業
[編集]- 市内に本社を置く企業
- 丘里工業団地
- 北利根工業団地
- 古河名崎工業団地
- 日野自動車(古河工場)
- ホンダロジコム(関連企業)
- 岡本物流(関連企業)
- 仁連工業団地
- 千代田運輸 チヨダロジスティクスセンター古河
- 工業団地外に立地する企業
- 2022年度操業開始予定企業(仁連工業団地)
- 日本運搬社
- ストレッチ
- シーエスジャパン
- 大橋地所
- 青伸産業運輸
- 老舗企業
- 株式会社大橋醤油店 - 1845年創業
交通
[編集]南北の交通が重視されている。三杉町交差点の国道125号、大堤交差点の国道354号は頻繁に渋滞を起こす[28]。
鉄道
[編集]- 東京方面の隣駅である栗橋駅までは7.5kmほどある。そのため、古河市南部に南古河駅(仮称)を建設しようとする構想が存在する[29]。
- この他、東北新幹線が市内を通過するが駅はない。
- 東武日光線の新古河駅は、渡良瀬川対岸の埼玉県加須市に位置する。
路線バス
[編集]いくつか存在するが、便数が少ないものも多い。茨城県内では八千代町、境町への路線が伸びているほか、結城市南部へも1日数本運行しているが、それらの路線から県内の他の市町村への乗り継ぎは非常に困難である。
JRバスと茨城急行バス両社に「上辺見」と「上辺見東(JRバスは上辺見東町)」の停留所が存在するが位置が全く異なる。
- 朝日自動車
- 国道354号沿いに運行されている
- 茨城急行自動車
- 国道125号や十間通りを経由している
- 古河駅東口 - 三杉町 - 小堤 - 諸川 - 八千代町役場
- 古河駅東口 - 三杉町 - 小堤 - 諸川 - 北茂呂車庫(結城市)
- 1日数本の運行。火曜・金曜・土曜日のみ、途中の「七五三場」バス停で結城駅方面のバスに乗り換え可能。
- 古河駅東口 - 三杉町 - 小堤 - 諸川 - 古河市三和庁舎
- 古河駅東口 - 上辺見(十間通り) - 丘里工業団地 - 小堤 - 諸川 - 八千代町役場(土日祝日のみ運行)
- 古河駅東口 - 上辺見(十間通り) - 丘里工業団地 - 小堤 - 諸川 - 北茂呂車庫
- 古河駅東口 - 上辺見(十間通り) - 丘里工業団地 - 小堤 - 諸川 - 古河市三和庁舎
- 古河駅東口 - 古河第一高校 - 旭町中央 - 旭町 - 友愛記念病院 [31]
- ジェイアールバス関東 東古河線
- 茨城県道56号と250号を経由している
- 31:古河駅東口 → 上辺見(茨城県道250号古河総和線) → 女沼 → 駒羽根 → 総和郵便局 → 総和中央病院 → 北利根工業団地 → 駒羽根 → 上辺見(茨城県道250号古河総和線) → 古河駅東口
- 35:古河駅東口 → 上辺見(茨城県道250号古河総和線) → 古河日赤 → 女沼 → 古河市役所 → 総和郵便局 → 総和中央病院 → 北利根工業団地 → 古河市役所 → 古河日赤 → 上辺見(茨城県道250号古河総和線) → 古河駅東口(月曜〜金曜日の8時〜14時台のみ運行)
- 51:古河駅東口 - 上辺見(茨城県道250号古河総和線) - 女沼 - ネーブルパーク - 総和中央病院 - 久能 - 北山田 - 大綱 [32]
- ぐるりん号
- 1998年に運賃無料で運行開始し、2012年4月1日から有料化された。
- 当初は茨城急行バスのみに運行委託していたが、2016年12月1日より増設となった「通勤通学ルート、市役所本庁・病院ルート」はJRバス関東に運行委託した[33]。「西ルート」も2023年4月1日より茨城急行バスからJRバス関東に委託先が変更された。
- バスロケーションシステムにてバスの現在位置情報を提供している。「バスロケーションシステム」
道路
[編集]南北に、物流の大幹線である国道4号と新4号国道が走る。中間域においては、中央運動公園通りが国道125号から丘里工業団地を経由し、とね南通りを経て国道354号を結んでいる。
一方、東西は国道125号が北を走り下妻方面へ、十間通りが古河駅から丘里工業団地を横断し新4号国道と交差して三和地区交番南側交差点まで(名崎工業団地まで延伸予定あり)、そして国道354号と県道56号が南部を経由し県南までを結ぶ。
- 当市内に高速道路は走っていない。2021年現在、市役所への最寄りICは隣接する猿島郡境町にある首都圏中央連絡自動車道境古河ICだが、東京方面へは東北自動車道久喜IC、仙台方面へは同道佐野藤岡ICを使われることも多いようである。ちなみに、東北自動車道の本線上に設置されている館林IC(上下線)、羽生IC(下り線)の各出口の案内標識には『古河』と表記されているが、市役所のホームページでは「久喜インターチェンジから約18km」と案内している[34]。
- 茨城県道124号新宿新田総和線
- 茨城県道125号中里坂東線
- 茨城県道126号尾崎境線
- 茨城県道190号境間々田線
- 茨城県道228号原中田線
- 茨城県道250号古河総和線
- 茨城県道261号野木古河線
- 茨城県道294号東野田古河線
- 茨城県道312号古河停車場線
文化・観光
[編集]史跡
[編集]神社・寺
[編集]- 雀神社
- 旧古河町の総鎮守である。詳細は「雀神社 (古河市)」参照。
- 長谷観音
- 古河公方・足利成氏が古河城の鬼門除けとして勧請。日本三大長谷観音を称する。詳細は「長谷観音 (古河市)」参照。
- 正定寺
- 江戸幕府の大老を務めた古河藩主・土井利勝の開基。土井家代々の菩提寺である。
- 土井家は古河から鳥羽、唐津への転封を経たのち、再び古河に戻り、近世大名として最も長い期間、古河を国元とした。詳細は「正定寺 (古河市大手町)」参照。なお、古河市下大野にある同名の正定寺も土井家に保護されていた。
文化施設
[編集]-
古河歴史博物館
-
古河文学館
-
永井路子旧宅
-
鷹見泉石記念館
-
篆刻美術館
-
古河街角美術館
-
雀神社
-
長谷観音
公園・レクリエーション施設
[編集]スポーツ施設
[編集]- 古河市中央運動公園
- 日本陸連第2種公認競技場であり、各種の競技大会において茨城県西地区予選会場としてでよく使われる。陸上競技場のほかに、体育館、テニスコート、プールなどを併設する。なおこれら施設は県西各市町村が建設費を負担しており、それら市町村住民に対してはプールの利用料が割引される。
- 古河市サッカー場
- 市営のサッカー専用競技場。大学サッカーでよく使用される。
- 古河ゴルフリンクス
- 過去に石川遼選手が練習していたことで知られているリンクス。日本では珍しい、本格的なリンクスコースと言われている。なお河川敷上にあるため、大雨時はよく水没する。また、古河市主催の『古河花火大会』は毎年、このゴルフ場で開催されている。
特産
[編集]- 地酒
- 御慶事(日本酒)
祭事
[編集]- 古河桃まつり(3月下旬〜4月上旬)
- 古河神輿まつり(7月)
- 古河花火大会(8月第1土曜日)
- 古河朝市(9月下旬)
- 関東ド・マンナカ祭り(10月)
- 古河菊まつり(10月下旬〜11月下旬)
- 古河よかんべまつり(11月上旬)
- 古河提灯竿もみまつり(12月第一土曜日)
その他行事
[編集]- 古河熱気球大会(3月)
- サンスポ古河はなももマラソン(3月)
著名な出身者
[編集]- 足利成氏 - 古河公方、室町時代後期から戦国時代前期の武将
- 鷹見泉石 - 江戸時代後期の古河藩家老、蘭学者
- 土井利勝 - 江戸時代前期の幕府大老、古河藩主、徳川家康の隠し子(徳川秀忠の兄)という伝承もある
- 土井利位 - 江戸時代後期の幕府老中、古河藩主、大塩平八郎の乱を鎮圧
- 土井利厚 - 江戸時代後期の幕府老中、古河藩主、実は松平遠江守忠名の四男
- 政官界
- 青木来三郎 - 元茨城県議会議員・自由民主党
- 飯島雷輔 - 旧古河市長・貴族院多額納税者議員・貴族院勅選議員
- 小久保喜七 - 元衆議院・貴族院議員、民権運動家を経て立憲政友会
- 佐藤洋之助 - 元衆議院議員
- 神風英男 - 元衆議院議員・民主党
- 永岡洋治 - 衆議院議員(在職中に死去)・自由民主党
- 柳田和己 - 元衆議院議員・民主党
- 財界
- 大槻奈那 - 金融アナリスト、名古屋商科大学大学院教授
- 黒岩恒雄 - 日本梱包運輸倉庫創業者・初代社長
- 芸術
- 逸見猶吉 - 詩人・作家
- 遠藤達哉 - 漫画家、「SPY×FAMILY」の原作者
- 岡野玲子 - 漫画家
- 奥原晴湖 - 幕末から明治期の画家
- 粕谷栄市 - 詩人
- 河鍋暁斎 - 幕末から明治期の画家
- 小林久三 - 作家
- 佐怒賀正美 - 俳人・編集者
- 永井路子 - 作家
- 野伏翔 - 演出家、映画監督
- はすみとしこ - 漫画家[要出典]
- 山本ヤマト - イラストレーター、漫画家
- 文化
- 飯倉章 - 国際政治学者、城西国際大学国際人文学部教授
- 宇賀田順三 - 元九州帝国大学教授、元八幡大学学長、西日本短期大学初代学長
- 遠藤勝信 - 東京女子大学教授
- 春風亭柳橋 (8代目) - 落語家
- 藤懸静也 - 大正から昭和期の日本美術史家、元東京帝国大学教授、浮世絵研究の第一人者
- 宮宗紫野 - 将棋女流棋士
- 芸能界
- あおきさやか - 旧名:青木静香、声優(生まれは秋田県)
- 綾部祐二 - お笑いコンビ・ピースのメンバー
- 井上高志 - 俳優
- 大野智子 - 元福島中央テレビアナウンサー
- 七五三掛龍也 - アイドル、Travis Japanのメンバー(育ちは、栃木県野木町)
- 武田和歌子 - 朝日放送テレビアナウンサー
- 田村隆 - 放送作家
- 美弥るりか - 元宝塚歌劇団月組男役
- 守谷瞳 - GTPのドラム&ボーカル、バンド解散後フリーで活動中
- 山中崇史 - 俳優
- スポーツ
- 石崎剛 - 元プロ野球選手
- 桜花由美 - プロレスラー
- 浦上仁騎 - プロサッカー選手
- 大道広幸 - 元プロサッカー選手
- 木澤正徳 - 元プロサッカー選手
- 黒津勝 - 元プロサッカー選手
- 須田興輔 - 元プロサッカー選手
- 高橋昌大 - 元プロサッカー選手
- 舘野哲也 - 陸上競技選手・2012年ロンドンオリンピック陸上男子400mハードル五輪代表
- 塚田正義 - 元プロ野球選手
- 鶴見凌也 - 元プロ野球選手
- 仁志敏久 - 横浜DeNAベイスターズ二軍監督、元プロ野球選手
- 野澤佑斗 - 元プロ野球選手
- 松永智充 - プロレスラー
- 山口真未 - 競輪選手[36]
- 山室光史 - 体操選手・2012年ロンドンオリンピック体操男子五輪代表・2011年体操男子世界選手権個人総合銅メダル・得意種目つり輪
古河市ゆかりの人物
[編集]- 渡辺徹(俳優) - 栃木県小山市生まれで、古河市育ち。母親は古河市の食堂の娘である。
- 永岡桂子(永岡洋治の妻・衆議院議員・自由民主党・農林水産大臣政務官) - 東京都出身で、一時期市内に居住していた。
- 大槻義彦(物理学者) - 宮城県角田市出身で古河市に在住。その後、東京都へ転居した。
- 樋口真嗣(映画監督) - 主な監督作品『ローレライ』『日本沈没』。東京都出身で、市内に居住していたことがある。
- 浅野恭司(アニメーター、WIT STUDIO所属) - 主な作品「サイコパス2」「進撃の巨人OAD&劇場版」「水曜どうでしょうDVDオープニングアニメ」。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 旧藩主の土井氏が長崎に近い唐津から再入封し、鷹見泉石にみるように洋学が盛んだったことから、水戸藩と相いれない気風があった。明治期には茨城県内有数の製糸業地帯となったが、文教の中軸である旧制中学が設置されなかったことに古河の人士は水戸の恣意と憤慨し、栃木県編入運動が起きている。また、旧制中学の進学先は浦和が最も多く、水戸中学は徹底して忌避された。
- ^ 詳細については 国土地理院地形図 から、三角点などで標高や流路を確認していただきたい。
- ^ 古河駅発着の路線バスは全てフィーダー路線となって都市間路線は消滅し、水戸はもちろん、同じ県西地域でも常総線沿線や、つくばや土浦等県南地域の中央部へ直接向かうことができなくなった。つくば・土浦へは栗橋(または久喜)・春日部・流山おおたかの森経由または小山・下館・下妻経由、水戸へは小山経由となり、いずれも他県を経由しなくてはならない。
- ^ なお、1997年7月5日にも10分ごとの値では40.0℃(13:50)を観測している [1] が、当時は1時間ごとの測定値のうちの最も高かった時間の温度を最高気温としており [2]、この日の最高気温は13:00の39.5℃となっている。
- ^ 気象庁の統計 を基に茨城県内のアメダスに関して調査した結果。
- ^ 旧古河市・旧総和町・旧三和町の合計値。
- ^ この作者不明の万葉歌碑が現在渡良瀬川の堤防上にある。
- ^ 吾妻鏡では誤って治承五年(1181年)と記述している。
- ^ かつては古河支店、総和支店、古河東出張所の2支店1出張所を有する規模であったが、めぶきフィナンシャルグループの発足に伴う重複する地域の店舗ネットワークの見直しに伴い、古河支店に統合された。
出典
[編集]- ^ 総務省統計局 経済センサスと統計地図(大都市圏の売上高)【1.関東大都市圏】
- ^ “広報古河 2024年5月号”. 古河市. 2024年9月25日閲覧。
- ^ “古河てくてく観光マップ”. 古河市観光協会. 2024年9月25日閲覧。
- ^ 2015年国勢調査による東京都へ通勤・通学する15歳以上就業者・通学者の割合より。
- ^ 総務省 平成17年国勢調査 > 通勤・通学人口,従業地による就業者の産業別構成など(従業地・通学地集計結果その1) > 都道府県結果 > 08茨城県 > 報告書掲載表 常住地による従業・通学市区町村,男女別15歳以上就業者数及び15歳以上通学者数(15歳未満通学者を含む通学者 - 特掲) - 都道府県,市町村 [3] 第2表より
- ^ 古河都市計画(古河市)都市計画区域の整備、開発及び保全の方針
- ^ “茨城 古河40度 県内初観測 各地猛暑日 熱中症に厳重警戒”. NHK. 2024年7月29日閲覧。
- ^ “古河 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2024年7月29日閲覧。
- ^ “古河 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年7月29日閲覧。
- ^ 平成27年(2015年)国勢調査と最新の令和2年(2020年)国勢調査より。
- ^ 『古河市における中心市街地の変容と都市観光への取り組み』127頁。
- ^ 放漫貸し出しをで百二十銀行が営業停止に『東京朝日新聞』大正15年5月25日 (『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p145 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ “町の区域の設定(平成4年9月7日 茨城県告示第1088号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第377号: pp. p.3-4, (1992年9月7日)
- ^ 『図典 日本の市町村章』p57
- ^ 『角川日本地名大辞典 8』
- ^ 『全国市町村名変遷総覧』
- ^ 歴代知事編纂会 1983, 513-516頁.
- ^ 広報古河2006年2月1日
- ^ 警察署等再編整備構想 - 茨城県
- ^ “隣接県公立高等学校入学志願者取扱協定”. 2009年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月21日閲覧。
- ^ “市町村のデータ(古河市)”. 茨城県ホームページ. 茨城県. 2024年6月19日閲覧。
- ^ “指標から見た茨城”. 茨城県ホームページ. 茨城県. 2024年6月19日閲覧。
- ^ RESASのデータによる。原出典は 経済産業省の工業統計調査結果
- ^ 2005年農林業センサス https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?tclass=000001009909&cycle=0&layout=datalist より耕作放棄地 - 耕作放棄地面積 参照、値を合算。
- ^ 宮田哲「ぐるっと首都圏・食べる・つながる 茨城・ローズポーク 弾力あり柔らかな肉 生産も販売も指定制で」毎日新聞2017年8月21日付朝刊、東京版25ページ
- ^ 経済産業省 2009 平成21年版 我が国の商業、卸売業年間商品販売額を参照
- ^ 各種地図サービスにてスーパー等の展開状況が確認できる。
- ^ 茨城県道路移動性向上委員会 第4回委員会参考資料
- ^ 第5回古河市総合計画審議会(後期計画)会議録概要 古河市
- ^ “境営業所管内路線図”. 朝日自動車. 2020年11月6日閲覧。
- ^ “路線図”. 茨城急行自動車. 2020年11月6日閲覧。
- ^ “JRバス古河営業所”. 2020年11月6日閲覧。
- ^ 古河市循環バス「ぐるりん号」古河市ホームページ
- ^ 古河市の概要-位置・交通・アクセス
- ^ 古河・栗橋の静御前伝説(茨城県境土地改良事務所)
- ^ 元陸上選手の山口真未、5月1日に競輪デビュー…120期で唯一静岡所属のガールズレーサー - スポーツ報知(2021年4月29日)2021年6月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 8』角川書店、1983年。ISBN 978-4-04-001080-9。
- 兼子純・新名阿津子・安河内智之・吉田亮「古河市における中心市街地の変容と都市観光への取り組み (PDF)」『地域調査報告』第26号、筑波大学地球科学系人文地理学研究グループ、2004年、123-150頁。
- 日本加除出版株式会社編集部 編『全国市町村名変遷総覧』日本加除出版、2006年。ISBN 978-4-8178-1318-3。
- 『図典 日本の市町村章』小学館、2007年。ISBN 978-4-09-526311-3。
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。
関連項目
[編集]外部リンク
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