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忠良親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
忠良親王
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 弘仁10年(819年
薨去 貞観18年2月20日876年3月19日
官位 二品式部卿大宰帥
父母 父:嵯峨天皇、母:百済王貴命
兄弟 仁子内親王業良親王業子内親王有智子内親王仁明天皇正子内親王源信、源貞姫、源潔姫源弘、源全姫、源常源寛源明、源善姫、源定、基良親王、基子内親王、秀良親王、秀子内親王、忠良親王、俊子内親王、芳子内親王繁子内親王、宗子内親王、純子内親王、斉子内親王源生源安源融源鎮源啓源勤源清源勝
操子女王
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忠良親王(ただよししんのう)は、嵯峨天皇の第4皇子。官位二品式部卿

経歴

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承和元年(834年初冠をして四品に叙せられる。承和3年(836年上総太守に任ぜられると、のち仁明朝では常陸太守兵部卿を歴任し、嘉祥3年(850年)三品に叙せられる。仁寿3年(853年)上総太守。

天安2年(858年清和天皇即位に伴って二品に叙せられると、清和朝では上野太守式部卿大宰帥を歴任。貞観18年(876年)2月20日薨去享年58。最終官位は二品行式部卿兼大宰帥。

人物

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薨去の際、人々に惜しまれたという[1]

承和12年(845年仁明天皇河陽宮行幸して遊猟した際、外戚百済王氏とともに御贄の献上を行い[2]、また貞観2年(860年)私有していたを利用して五畿内の禁野(皇室の猟場)で狩猟を行うことを許されるなど[3]鷹狩を好んでいた様子がうかがわれる。

官歴

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六国史』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』貞観18年2月20日条
  2. ^ 『続日本後紀』承和12年2月25日条
  3. ^ 『日本三代実録』貞観2年閏10月4日
  4. ^ 『続日本後紀』承和元年2月14日条

参考文献

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