愛知厚生連昭和病院
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愛知厚生連昭和病院 | |
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情報 | |
許可病床数 | 401床 |
開設者 | 愛知県厚生農業組合連合会 |
開設年月日 | 1936年(昭和11年)11月 |
所在地 | |
位置 | 北緯35度20分40.3秒 東経136度52分15.8秒 / 北緯35.344528度 東経136.871056度座標: 北緯35度20分40.3秒 東経136度52分15.8秒 / 北緯35.344528度 東経136.871056度 |
PJ 医療機関 |
愛知厚生連昭和病院(あいちこうせいれんしょうわびょういん)は、愛知県江南市にある、JA愛知厚生連(愛知県厚生農業組合連合会)が運営していた総合病院。全国厚生農業協同組合連合会の病院の一つである。一般には昭和病院と呼ばれていた。
概要
[編集]愛知県尾張北部医療圏の北部地域(江南市、丹羽郡大口町・扶桑町、犬山市など)の急性期医療を担う中核病院であり、江南市中央部(旧・古知野町)にあった。市民病院のない江南市において、市民病院的な役割を担った。
病床数は401床(ICU:4床、NICU:3床、緊急指定病床:4床、クリーンルーム:4床、重傷者収容室:26床、一般病床:360床、値はいずれも当時のもの)。
設備の老朽化が問題となっており、昭和病院と江南市布袋町にあった愛北病院とが統合され、江南市高屋町大松原137番地に江南厚生病院が完成し、2008年(平成20年)5月7日より江南厚生病院に移転した。昭和病院の跡地はスーパーマーケットの大阪屋ショップ江南店(スーパーマーケットの三心江南店は閉店)及び建売住宅となっている。当院名の石碑は江南厚生病院の庭に移設され、愛北病院の石碑と並べてあって、合併により開院したことを物語っている。
旧・昭和病院西側の愛知県道17号江南関線(通称:名草線)に布袋駅・江南駅と江南厚生病院とを結ぶ名鉄バス路線が運行されており、この付近にバス停もある。
診察科
[編集]18科ある(当時)。
沿革
[編集]- 1936年(昭和11年)11月 - 保証責任昭和医療購買利用組合立昭和病院として、丹羽郡古知野町大字古知野字熱田50番地に開院(市制後の町名整理・変更により江南市野白町野白46番地になったが、場所は移動していない) なお、統合相手の愛北病院はその前年に開院している。
- 1943年(昭和18年)6月 - 愛知県信用販売購買利用組合連合会の傘下に入る。
- 1946年(昭和21年)8月 - 経営を愛知県厚生農業協同組合連合会へと移管する。
- 1958年(昭和33年)3月14日 - 火災により病院施設全焼。
- 1959年(昭和34年)10月30日 - 新診療棟、新管理棟、新病棟竣工。
- 1969年(昭和44年)1月 - 総合病院の認可を受ける。
- 2008年(平成20年)5月 - 愛北病院と統合され、江南厚生病院に改称、江南市高屋町大松原137番地に新築移転。
交通アクセス
[編集]跡地に立地する大阪屋ショップ江南店、並びにその南側の愛知北農協本店・江南支店(併設)へは、以下の通り。
- 名鉄犬山線 江南駅より徒歩で約20分。
- 江南駅より名鉄バス:「江南厚生病院」行きで「飛高口」バス停下車、徒歩で約3分。
- 病院開設当時は「江南団地」行きバスが「飛高口」バス停を経由していたが、この路線は現在は「古知野高校前」バス停経由に変更され、「飛高口」バス停を経由しなくなった。