第一大蔵卿
イギリス 第一大蔵卿 First Lord of the Treasury | |
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担当機関 | 大蔵卿委員会 |
任期 | 国王陛下の仰せのままに |
創設 | 1126年 (大蔵卿の設置) 1612年6月17日 (大蔵卿委員会の初設立) 1714年10月13日 (大蔵卿委員会の恒常化) |
初代 | 初代ハリファックス伯爵 |
ウェブサイト | Gov.uk |
大蔵卿委員会 Lords Commissioners of the Treasury | |
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第一大蔵卿官邸 (首相官邸) | |
役職 | |
第一大蔵卿 |
リシ・スナク (首相兼任) |
第二大蔵卿 |
ジェレミー・ハント (財務大臣兼任) |
下級卿 |
アンドリュー・スティーブンソン スティーブ・ダブル スコット・マン アマンダ・ソロウェイ スチュアート・アンダーソン |
概要 | |
設置 | 1714年 |
第一大蔵卿(だいいちおおくらきょう)、第一財務卿(だいいちざいむきょう)[1][注 1]またはファースト・ロード・オブ・トレジャリー[2](英: First Lord of the Treasury)は、イギリスの国庫を預かる大蔵卿委員会 (Lords Commissioners of the Treasury) の委員長であり、イギリスの首相が兼任する役職。
概要
[編集]ロード・ハイ・トレジャラー (英: Lord High Treasurer, 大蔵卿または財務卿) の官職は17世紀初より、1人が務めるのでなく委員会制がとられることが多かった。1714年以降は常に大蔵卿委員会が王室財政を担当している。その長である第一大蔵卿の歴史もこの時に始まる。
初期の大蔵卿委員は年功序列によって「第一卿」「第二卿」…と番号が割り振られていたが[注 2]、次第に第一卿が政府の首席とみなされるようになる。1721年のロバート・ウォルポール以後、事実上の首相となり、以降、次席のセカンド・ロード・オブ・トレジャリー (英: Second Lord of the Treasury, 第二大蔵卿または第二財務卿) である財務大臣 (チャンセラー・オブ・エクスチェッカー, 英: Chancellor of the Exchequer) が財政を司った。
ウォルポール以降、例外的に第一卿を兼任しない首相はソールズベリー侯爵を最後の1人として、1902年に就任したアーサー・バルフォア以降全ての首相が第一卿を兼任している。また、アーサー・バルフォア内閣時代の1905年、それまで俗称にすぎなかった「首相」は正式な官職となった。
ウィリアム・ピットは、「首相兼第一大蔵卿」のあり方について「財政の先頭にある人であるべきだ ("ought to be the person at the head of the finances.")」という言葉を残している[3]。1942年までは首相が英国議会の庶民院院内総務または貴族院院内総務も兼任するのが通例であった。
イングランドでは、宮廷内の財務を扱う HM トレジャリーと国家財政を扱う財務府 (エクスチェッカー) とが別箇の官庁であったが、グレイ伯爵内閣時代の1833年の行政改革により、HM トレジャリーに統合された。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2012年時点、英国大使館のウェブサイトでは「財務第一卿」と翻訳されていた。“閣僚リストを教えて下さい”. 駐日英国大使館. 2012年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月25日閲覧。
- ^ 2023年時点、第一卿・第二卿の他5名の下級卿 (Junior Lords) を含む計7名で委員会が構成されている。
出典
[編集]- ^ “各国の元首名等一覧表”. 外務省. 2023年8月31日閲覧。
- ^ “仙谷大臣記者会見要旨”. 内閣府. 2023年8月31日閲覧。
- ^ Andrew Blick and George Jones (June 2010). “The power of the Prime Minister” (English). History & Policy. United Kingdom: History & Policy. 14 August 2011閲覧。
外部リンク
[編集]- 公式ページ -