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西元徹也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西元 徹也
生誕 (1936-06-01) 1936年6月1日
日本の旗 日本 鹿児島県垂水市
死没 (2024-04-03) 2024年4月3日(87歳没)
日本の旗 日本 東京都
所属組織 陸上自衛隊
軍歴 1959 - 1996
最終階級 統合幕僚会議議長たる陸将
除隊後 防衛庁顧問東芝顧問、
防衛大臣補佐官(現防衛大臣政策参与)、
公益社団法人隊友会会長
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西元 徹也(にしもと てつや、1936年昭和11年〉6月1日[1] - 2024年令和6年〉4月3日)は、日本陸上自衛官軍事評論家。第23代陸上幕僚長、第20代統合幕僚会議議長。元隊友会会長。1佐までの職種は機甲科

略歴

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鹿児島県垂水市及び北海道恵庭市出身。1959年(昭和34年)3月、防衛大学校応用化学科 卒業(第3期)。

1970年(昭和45年)7月、3等陸佐1974年(昭和49年)7月、2等陸佐1976年(昭和51年)8月2日、第4戦車大隊長兼玖珠駐屯地司令。1978年(昭和53年)7月1日、1等陸佐

1979年(昭和54年)7月20日、陸上幕僚監部防衛部付。同年8月1日、陸上幕僚監部防衛部運用課運用第1班長。1982年(昭和57年)3月16日、防衛研修所所員。1983年(昭和58年)3月16日、陸上幕僚監部防衛部運用課長。

1984年(昭和59年)7月1日、陸将補1985年(昭和60年)3月16日、中部方面総監部幕僚副長。1986年(昭和61年)3月17日、陸上幕僚監部防衛部長。

1988年(昭和63年)7月7日、陸将昇任、第7師団長。1989年平成元年)6月30日、陸上幕僚副長1991年(平成03年)3月16日、中部方面総監1992年(平成04年)3月16日、第23代 陸上幕僚長。1993年(平成05年)7月1日、第20代 統合幕僚会議議長。

1996年(平成08年)3月24日、退官。1998年(平成10年)8月、防衛庁顧問。2002年(平成14年)3月、防衛庁顧問辞任。

2007年(平成19年)11月3日、平成19年秋の叙勲において瑞宝重光章を受ける。

2010年(平成22年)1月8日、防衛大臣補佐官(現防衛大臣政策参与)。2011年(平成23年)9月27日、防衛大臣補佐官(現防衛大臣政策参与) 退官

2012年(平成24年)6月、公益社団法人隊友会会長。

2024年(令和6年)4月3日、東京都の自宅で死去[2]

栄典

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  • 瑞宝重光章 - 2007年(平成19年)11月3日

脚注

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  1. ^ 防衛日報(平成4年3月11日)異動・昇任の将星略歴
  2. ^ “元防衛庁統合幕僚会議議長、西元徹也氏死去”. 産経新聞. (2024年4月10日). https://www.sankei.com/article/20240410-BO2UU7MS2JPX7KY6ODFPXL67K4/ 2024年4月10日閲覧。 

出典

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防衛年鑑1995(防衛年鑑刊行会)

参考資料

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  • 『官報』1979年07月21日 本紙 15752 人事異動
  • 『官報』1979年08月02日 本紙 15762 人事異動
  • 『官報』1982年03月17日 本紙 16538 人事異動
  • 『官報』1983年03月17日 本紙 16835 人事異動
  • 『官報』1984年07月04日 本紙 17222 人事異動
  • 『官報』1985年03月27日 号外 31 人事異動
  • 『官報』1986年03月27日 号外 35 人事異動
  • 『官報』1988年07月12日 本紙 18415 人事異動
  • 『官報』1989年07月11日 号外 100 人事異動
  • 『官報』1991年04月15日 号外 49 人事異動
  • 『官報』1992年04月03日 号外 47 人事異動
  • 『官報』1993年07月12日 本紙 1194 人事異動
  • 『官報』1996年04月09日 号外 84 人事異動
  • 『官報』2010年02月02日 本紙 5244 人事異動
  • 『官報』2011年10月27日 号外 232 人事異動
先代
佐久間一
統合幕僚会議議長
第20代:1993年 - 1996年
次代
杉山蕃
先代
志摩篤
陸上幕僚長
第23代:1992年 - 1993年
次代
冨澤暉
先代
中尾時久
中部方面総監
第17代:1991年 - 1992年
次代
宇野章二