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齋藤隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
齋藤さいとう たかし
齋藤隆
生誕 (1948-02-11) 1948年2月11日(76歳)
日本の旗 日本 神奈川県横須賀市
所属組織 海上自衛隊
軍歴 1970年 - 2009年
最終階級 統合幕僚長たる海将
除隊後 防衛省顧問
株式会社日立製作所特別顧問
水交会理事長、会長
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齋藤 隆(さいとう たかし、1948年昭和23年〉2月11日 - )は、日本海上自衛官。第2代統合幕僚長、第27代海上幕僚長防大14期。戦後生まれ(団塊の世代)初の統合幕僚長でもある。神奈川県出身。

経歴

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父の斎藤頼男は海軍機関学校(第47期)を卒業し、海上自衛隊では防衛大学校学生課長などを務め、第2術科学校長海将補)を最後に退官した。祖父も海軍水兵であった。横須賀市立池上小学校横須賀市立池上中学校を経て、父(中22期)と同じく神奈川県立横須賀高等学校(高18期)に進学。高校時代は陸上部に所属し、200メートルハードルでインターハイ出場。のちに齋藤の海幕長在任時に海幕副長となる荒川堯一は高校の同窓である[1]

海上幕僚監部防衛部防衛課長時代に護衛艦削減と補給艦増強へと方針を転換し、ましゅう型補給艦の建造を推進した[1]

2015年8月26日、日本政府と三菱重工業の官民合同チームがオーストラリアからの潜水艦受注を目指してアデレードで説明会を開催し、合同チームの代表(防衛省顧問)として説明を行った[2]

年譜

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陸上自衛隊儀仗を受ける齋藤と、マイケル・マレン
アメリカ海軍大学校(en:Naval War College)留学
  • 1990年平成02年)8月1日:海上幕僚監部防衛部防衛課
  • 1991年(平成03年)12月16日:海上幕僚監部防衛部防衛課防衛班長
  • 1992年(平成04年)12月15日:第22護衛隊司令
  • 1994年(平成06年)7月1日:海上幕僚監部防衛部防衛課長
  • 1995年(平成07年)6月30日:海将補に昇任
  • 1996年(平成08年)3月25日:海上自衛隊幹部学校副校長兼企画室長
  • 1997年(平成09年)7月1日:海上幕僚監部防衛部長
  • 2001年(平成13年)1月11日:海将に昇任、第38代 舞鶴地方総監に就任
  • 2002年(平成14年)8月1日:第35代 横須賀地方総監に就任
  • 2005年(平成17年)1月12日:第27代 海上幕僚長に就任
  • 2006年(平成18年)8月4日:第2代 統合幕僚長に就任
  • 2008年(平成20年)3月21日:海上自衛隊の一連の不祥事による指揮監督義務違反で懲戒処分(減給)を受ける[4]
  • 2009年(平成21年)
    • 3月24日:退官。
    • 7月1日:防衛省顧問を委嘱
  • 2010年(平成22年)8月現在、株式会社日立製作所特別顧問、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」専門委員
  • 2014年(平成26年)6月2日:水交会理事長に就任
  • 2016年(平成28年)7月15日:免 防衛省顧問[5]
  • 2018年(平成30年)

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 当時は海曹長の階級がなかった。

出典

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  1. ^ a b ようこそ同窓生・齋藤隆さん(高18期)アーカイブ
  2. ^ 潜水艦受注へ豪で初の説明会 三菱重工など、現地建造検討 日経新聞 2015年8月26日
  3. ^ a b c d e 齋藤隆「海上自衛隊60年の歩み」 『世界の艦船』第821集(2015年9月号) 海人社 P.69-77
  4. ^ 防衛省報道資料(2008年3月21日、海上幕僚長在任間に発生したイージス艦情報漏洩事故責任として)
  5. ^ 防衛省発令(顧問人事:2016/7/15)

関連項目

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外部リンク

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先代
先崎一
統合幕僚長
第2代:2006年 - 2009年
次代
折木良一
先代
古庄幸一
海上幕僚長
第27代:2005年 - 2006年
次代
吉川榮治
先代
福谷薫
横須賀地方総監
第35代:2002年 - 2005年
次代
吉川榮治
先代
竹村訓
舞鶴地方総監
第38代:2001年 - 2002年
次代
岡俊彦