穏やかな田園風景が広がる児湯郡新富町は日本第3位のウナギ生産量を誇る宮崎県のなかでも主要なウナギの生産地だ。そして、このウナギの聖地で注目を集める異色のウナギ職人から、私はなぜかワイン業界の謎への答えを聞くことになった──

株式会社 中村養鰻場 代表取締役社長 中村 哲郎
1966年、児湯郡新富町生まれ。18歳で地元を離れ、東京でコンピュータ業界に就職。顧客対応をしていた。2000年に生き方を変えようと実家に戻る。児湯郡の養鰻業第1世代として中村養鰻場を創業した父親に養鰻を学び、徐々に独自の理論を構築。自然の影響でそもそも安定しない養鰻業が問屋の都合でさらに不安定化する業界の常識に疑問を感じ、家族ぐるみで製造から販売まで手掛ける型破りな組織へと自社を変革した。現在は代表取締役社長として13人の従業員を率いる

なぜ産地で食べると美味しいのか?

宮崎県の新富町というウナギの養殖、つまり養鰻(ようまん)が盛んな土地で「ワインはなぜ産地で飲んだほうがより美味しいのか?」というワイン業界人がしばしば考える疑問への答えをもらえると私はまったく予想していなかった。

ここで「中村養鰻場」を営む中村 哲郎さんは、自分の夢を語りながらこんなことを言ったのだ。

「ワインのコルクを抜くじゃないですか。その瞬間、ワインはその土地の空気と触れるでしょう? それはごくわずかな接触かもしれない。でも、その空気には微生物であるとか菌であるとか、微量要素が含まれている。それが、そのワインと馴染んでいるものなら美味しいの。でも違う所であけると違う要素と触れ合うから違和感が生まれるんですよ。風味ってそれくらい繊細で、人間の舌はそれを拾っちゃうんです」

「それは素人でも分かる。成分分析とかする人もいるけれど、美味しいって何か? 僕は風味を感じ取れるものが一番美味しいとおもう。じゃあ風味は何がつくるか? 成分じゃ無い気がする。それは微生物とかから出るものだとおもう」

私は、こんなに納得したことはなかったので、この意外な出会いにポカンとしていたのだけれど、中村さんの話にはまだ続きがあって……

「まぁ生産者は生産物で語るもので、僕がこだわったウナギは、美味しい食べ方って聞かれたら、そんなのここでさばいて塩ふって焼けば美味いって言っちゃうけど、料理ってそういうものじゃなくて、ウナギをそのままは食べないでしょ。僕はウナギを僕の作品だとおもっているけれど、料理人はそれを素材と捉えて料理という作品を完成させる。料理人にも仕上げたい作品があるから、素材にこだわるんですよね。その最後の瞬間のために、彼らはどんなウナギが欲しいのか? 僕はもっともっと料理人と話をして、それを知りたいんですよ」

中間業者の都合で自分のウナギの売れる売れないが左右されるなんてバカげている。自分の客は料理人であり、その料理人の作品を食べにくる人だ。と、販売チームを作って自社ブランドウナギ販売をはじめたのは中村さんの勇敢なところなのだけれど、それは中村さんの夢が、理想のウナギを生み出すことだからだ、と結論できそうだ。

ウナギは土で決まる

その中村さんのウナギは15年の試行錯誤の末に「ようやく自信がついた。これでやれるってなった」と言うもの。そのウナギの作り方にも私はびっくりした。

中村さんのウナギ。料理店相手には20kg単位で販売するのが基本。水と酸素を入れた袋に詰めて氷で冷やした箱にしまうことで24時間以内ならばウナギは生きたまま客先に届く。そのため、群馬、新潟くらいまでは販売できるという

 「時々、ウナギはどこそこのキレイな水で、とか言う人がいるけれど僕はそれは間違っているなとおもっていて。キレイな川の水を好むのはアユで、そこにウナギは棲んでない。ウナギは田んぼとか泥沼に棲んでいるんですよね」

ゆえにウナギの良し悪しを決めるのに土が重要な要素なのだという。

「池だけれど畑。お百姓さんは土地を大事にして、ここは何ができるとか言うでしょう? 土壌が違って、棲んでいる微生物が違うから、そこに適したものができる。人間がチョットお手伝いすると産地になる。ここはウナギの産地」

あとから調べてみると、どうもウナギは土で決まるという考え方は中村さんに特有のものではないようだけれど、中村さんはそれを大きな環境の循環という視点から理論化して実践している。

そもそもこの新富町で養鰻が盛んなのは、いまからおよそ50年前、静岡の養鰻家の子どもたちが、この地にはシラス稚魚がやって来る、さらに土地が広く、安い、気候は温かい、と目をつけたのがはじまりだという。新富町で関西から仕入れた婦人服や下着を販売していた中村さんのお父さんは「これだ!これはおもしろいぞ」と反応したのだそうだ。

「物価の高い都市で物を仕入れて安い場所で売るっていうのはビジネスとして合理的じゃない。こっちで育てたウナギを上方で売るほうが合理的だと考えたって聞きました」

地方創生ビジネスを半世紀前からやっていたのだ、と中村さんはお父さんを誇る。

「あそこの一ッ瀬川っていう川にシラス稚魚が来るんですよ。このあたりは昔は田んぼで、自然にウナギがいた。宮崎にはいまもまだ40場くらい養鰻場があるけれど、その6~8割はこの川の水の伏流水を引いてやっている。それが理にかなっているんです。生き物は生存に有利なところを選ぶ」

これが一ツ瀬川
その土手を挟んで反対側に養鰻場が広がる

ウナギの好む水、好む土には、ウナギに適した微量要素がつくる生態系がある。養鰻場の池の底には砂利が10cmほど敷いてあって、その下が土なのはそれゆえだ。

取材時はほとんどの池の水は抜かれていて、ビニールの覆いも外されていた。これが池底の砂利

「昔からウナギの池に病気が広がったりすると、ビニールハウスをバラして、池の水を抜いて、砂利を掻き出して、土を天日に当てて、あたらしい砂利を入れて、というのを僕は親父にやらされていたんですよ。後で理解したんだけれど、それは、土を良くしていくっていうことだったんです」

そもそも養鰻というのは、毎年、7月末頃にやってくる土用の丑の日を主要なゴール地点として定め、12月から3月にかけてとれるシラス稚魚を販売可能な状態まで育て上げる仕事だ。

「養殖と天然の何が違うか? それは餌がいっぱいあるかどうか。天然のウナギは餌がないから約7年かけて大きくなる。養殖はそこを半年ちょっとでやる。それで餌をいっぱい食べさせるわけですが、僕の経験と考えでは20kgの餌を与えると80%は身になる。じゃあ残り20%はどこに行くのか?  10%くらいはエネルギーとして消費される。10%は排泄されたり水に入る。水は温度が高くて酸素があるから、そのままだと腐る。それを微生物に分解させて水のなかで腐らないように、発酵させるようにもっていくためには微生物がたくさん必要。だから、池の底は土にする」

それでも、人工環境では水は1年はもたないという。

稼働中の養鰻場

 「ウナギを養っているときに一生懸命やるのはあたりまえで、なるべく早く育てて、池を手入れする期間を長くとるようにするのが僕には重要 。水を抜いて、土を耕して、酸素を供給して、天日で日光消毒する。全部リセットして、またあたらしい稚魚を入れる」

いいものを作っていれば人はいきいきする

実家を継ぐ前は7年間コンピュータ業界にいた中村さんは、コロナ禍の数年間、オンラインサークルに入って全国の農業をしている人たちと交流をもった、という。

「そこで知り合った人からイチゴとかメロンとかタマネギとか買うんだけれど、いいものを作っている人は僕とまったく一緒だった。資材まで同じものを使っている場合もあった。そういう人が作っているものはすごく日持ちするの。イチゴを冷蔵庫で1カ月おいていても美味しいんですよ。それは、細胞ひとつひとつが健全なんだとおもう。僕のウナギも、実はすごく日持ちする」

本当はそういう棚持ちのいいものこそ、問屋に好まれるはずだけれど、いいものを作る誰もが問屋を頼らず直販でやっていっているのも自分と一緒だ、と農業の制度的問題に批判的な目配せをしてから

「いいものは誰が見ても違うんですよ。作物がいきいきしている。作っている人もいきいきしている。いま、後継者問題が言われるけれど、いいものを作っていたら楽しいですよ。あたらしく従業員として入った人でも、違うってわかります。しかも作物は毎年毎年、違うんだから」

ウナギは同じように育てても、季節で微妙に変わるという。「環境の変化で微生物はブレるし、水は変化する。それを養殖池のなかでもウナギは感じ取る」と中村さんは言う

中村さんはニコニコしている。

「時期に応じて作り方を変えて、季節ごとのウナギを作るのが僕の究極の目標なんだけれど、完成させる必要はないとおもっていて。僕も年をとってきて、産地の将来なんかも考えるようになったけれど、僕が自由にやらさせてもらったように、色々とできる環境をのこしていきたい」

ということで、中村さんのウナギが気になった方は、オンラインでも購入できるのでお試しあれ!