2023年に開業した宇都宮ライトレール2023年に開業した宇都宮ライトレール(写真:共同通信社)

 昭和が幕を開けたころ、多くの鉄道はまだ蒸気機関車がけん引し、電車といえば路面電車を意味していた。各地を走る路面電車は公営・民営を問わず“市電”と呼ばれて市民から親しまれたが、昭和30年代からモータリゼーションの波によって全国から次々と消えた。しかし、2000年代から再び路面電車が評価される風潮が強まっている。2025年は「昭和100年」に当たる。そんな節目の年に昭和時代を担った路面電車についてフリーランスライターの小川裕夫氏が再考する。

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市電が走る都市が先進的だった時代

 戦前、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸は6大都市と呼ばれ、ほかの都市とは別格に扱われていた。旧6大都市には主要公共交通機関として路面電車が敷設され、市営で運行されていたが、それらの都市に倣うかのように、地方都市でも「市電」が整備されていく。

 明治期から走り始めるようになった市電は、電気の普及拡大の証明でもあり、市電が走る都市は先進的だった。そのため、県庁所在地を筆頭に各地の主要都市では積極的に市電を導入していく。北は北海道旭川市から南は沖縄県那覇市まで路面電車が走るようになり、一躍公共交通の主役になった。

 富山県富山市の富山地方鉄道や愛知県豊橋市の豊橋鉄道、広島県広島市の広島電鉄、愛媛県松山市の伊予鉄道のように公営ではなく民営の路面電車も少なくないが、それらも市内電車、市街電車の略称として市民の間では市電の名称が定着している。

 しかし、路面電車が公共交通の主役で市民の足を担っていた時代は長くは続かない。昭和30年代に日本は高度経済成長期に突入し、経済は右肩上がりで伸び続けた。それに伴い、国民生活も豊かになり、マイカー所有率が飛躍的な伸びを見せた。

 国土交通省の統計によると、1955年度末における国内の自動車保有台数は約150万1000台しかなかったが、1964年度末には約593万7000台へと激増している。

 国内の自動車保有台数が増えれば、当然ながら街の道路を走る自動車も増える。多くの国民がマイカーを所有したことで、道路渋滞は慢性化。その解消は政治課題にもなり、行政は渋滞を抜本的に解決するために道路の新設や拡幅を打ち出した。

 しかし、道路の新設や拡幅をするには沿道の建物に立ち退いてもらわなければならない。いくら代替地を用意し、多額の補償金を出しても簡単に住み慣れた住居を手放して立ち退きを了承する人は少ない。

 行政も立ち退き交渉に時間を取られ、拡幅の完了に時間を要することは承知していた。そうした経緯から、道路を独占的に使用していた市電に着目するようになる。