私の愛しいアップルパイへ
ここ最近読んだ本の中でもとびきりお気に入りの一冊を紹介したいと、久々に蛇と鷲をつれ山を降りてきました。
その本とはエックハルト・トール氏の著書「ニュー・アース」。眼下に広がる一面の麦畑を眩い光で金色に照らす太陽のように眩い一冊です。
どのような本か端的に言うなれば「エゴから解放されるための本」です。
思考は「形との同一化」によってエゴを作り出す
思考はあらゆる現象から形を切り取ります。あれは車、これは時計、これは他人といった具合です。
こうして切り取られた形のいくつかを自分の一部にしようとしたとき、エゴが誕生します。これを彼は「形との同一化」と説明します。1
エゴとは、自我ないし自己です。自分自身を独立した個人(自分)と認識することです。
エゴは世界から分離した個別の存在として自己の確立を望む思考です。この行為は「アイデンティティ」とも呼ばれています。
現代の我々は「私」という言葉を当たり前に受け入れています。私という個別のアイディティティを持った個人があたかも存在するようにです。
思考は「私」という想像を確固たるものにすべく同一化できる形を探しています。形とは、最も分かりやすい例で言えば物質です。
車や家など特定の物質を所有しているという錯覚によって、所有物をアイデンティティ化することで個を確立しようとします。あれを持っている私、これを持っている私というふうにです。
賢いあなたならお気付きのとおり、同一化の対象が物質である必要はありません。お金のような抽象的な概念でもかまいません。思想や宗教、学歴、国籍、年齢といった目に見える形のないものでもかまいません。公務員や会社員、芸術家といった社会的役割も典型的な同一化の対象です。
結局のところエゴはどんな概念をも同一化の対象として選ぶことができます。
世界から形を切り出して概念化すること自体が悪いわけではありません。そういった形を自分と同一視し、それらになりきってしまうとエゴが形成されるということです。
自分の存在を確固たるものとするためにエゴはどんな形をも取り込もうとします。価値があるかどうかすら関係ありません。「私」が存在するためには惨めな物語や病気なども同一化の対象となるのです。
エゴは常に欠乏感を抱えている
エゴの特徴を一言で表すなら欠乏感と言えます。
エゴは常に自分と同一化できるものを探し、同一化の対象を増やしていきますが、欠乏感が満たされることはありません。
なぜなら、エゴは「自分」という妄想を形あるものにしようとするむなしい努力だからです。
アインシュタインはエゴを「A kind of optical delusion of his consciousness」(=意識による光学的な幻)と表現しました。2
エゴとはこういった性質のものですから、欠乏感から逃れられません。何しろ満たすべき実態がないのですから。
エゴがもたらす機能不全
「私」「自分」といった幻、つまりエゴのことですが、それが強ければそれだけ人生の機能不全に悩まされることとなります。
前述したとおり、エゴというのは成就することのない渇望を抱えています。延々と「もっと多く」を望み続けることになります。これが機能不全の元凶です。
満足ではなく、欲することこそがエゴの本質なのです。自分、私、エゴが幻にすぎない以上、エゴは終わりのない同一化を続けます。
何かを手に入れたとたん物足りなくなるのは、エゴの機能なのです。他者と比較して優越感を得ようとするのもエゴの機能です。所有のために事実を歪曲したり、捏造したりすることも躊躇しません。
そのうえ、エゴは常にネガティブです。エゴの出発点が欠乏感だからです。しかも、死と真っ向から衝突します。エゴにとって死は終着点だからです。残念ながら、エゴが死に対して勝利を収めることはありません。
つまり、エゴは死ぬまでずっと不足感と欠乏感、不安と不満を持って存続することになります。永遠の個人、永遠の自己、かけがえのない私というユートピアを夢見て。けっして得られることのない安心と安全を目指してです。
「いまに在る」とエゴを溶かせる
この形との同一化という終わりのない旅から抜け出すにはエゴから解放されるしかありません。エゴが夢見る「私」「自己」「個人」を強化するのではなく、その幻を捨てることです。
同じくアインシュタインは「人間の真の価値は、その人が自己からの解放を達成した尺度と意味によって、主に決定される」と言いました。3
では、エゴから解放されることなど可能なのでしょうか。
幸い、それは可能です。エゴはある条件の下で思考によって作り出されます。それは「観察されてない思考」です。4
観察されていない思考とは、要するに思考が自分そのものであると疑わない状態です。
観察されていない思考は「もっと多く」を求め続けます。エゴは常に現在に抵抗します。「また同じ失敗の繰り返しだ」「もっと成功しないと」「もっと…」などの声を通して人を行動へと駆り立てます。
逆に言えば、思考を観察することでこういった事態は防げます。エゴというのは無意識のうちに活動するから強力なのです。しかし、観察されてしまえばもはや無意識のうちに活動できません。
意識が思考に気付いた時、エゴの終焉が始まるのです。思考ではなく意識が人生をコントロールするようになった状態、それが「いまに在る」状態です。
思考はいつも過去の物語を反芻し、それを未来予測に反映します。エゴには実態がなく、その欠乏感を拠り所としているからです。
意識は思考が作り出す過去の恐怖や未来の不安といった物語を解体できます。そうして「いまに在る」とき、太陽の光があたった雪だるまのようにエゴを溶かせるのです。
自分を超えた「大いなる存在」に身を委ねる
意識が「いまに在る」とき、人はもはやエゴにコントロールされません。ですからエゴの本質である欠乏感に悩むこともありません。
エックハルト・トール氏によれば、思考は比較によって自分を認識します。ですから思考からは相対的な欲望しか生まれません。意識は観察によって自分を認識します。そして意識は絶対的な存在とのつながりを発見します。5
ここでいう絶対的な存在とは、個人を超えたあらゆる物を包含する単一の存在です。これを彼は「大きなる存在」と名付けました。
意識が「私」「自己」「自分」「個人」を溶かしたとき、人は無になるわけではありません。その逆です。充足するのです。世界から切り取られた自分という妄想ではなく、世界(彼の言葉を使えば「大いなる存在」)の一部としてつながっていることに気がつくからです。
人生の究極の目的とは「いまに在る」ことです。「いまに在る」ことですべてのものはひとつであり、すべてのものはつながっていて、これ以上に必要なものは何もないと知ることです。
自分は豊かさの一部であると知ることです。エックハルト・トール氏の言葉を借りれば、人は生まれながらに完全無欠であると知ることです。
それこそが真なる自己の目覚めとなります。真の自己とはもちろんエゴではなく、「大いなる存在」の一部としての自己です。
これがエゴにとって代わり人類の当たり前となったとき、新しい世界が誕生します。それが本書のタイトル「ニュー・アース」の真意です。
スピリチュアル・アレルギーのある人ほど呼んでほしい一冊
今回はエックハルト・トール氏の「ニュー・アース」をさわりだけ紹介しました。もし何かピンときたところがあったら手にとってみてください。
特に、思考偏重の生き方に限界を感じている。目標を計画して達成する際限のないスパイラルに疲れ果てた。人から認められたいという欲望に振り回されて苦しんでいるといった悩みがあるなら、お勧めの一冊です。
こちらにも書きましたが、私はすっかり世界の見方が一変しました。
本書はスピリチュアル本として紹介されることが多く、特に後半は実際にスピリチュアルな内容も多分に含んでいるのですが、それでも十分に納得のいく内容になっています。
思考の仕組みから体系的に解説されている上、ドラマティックで涙ぐましい物語などは一切使わずにこの世の真理を淡々と説いてくれるスタイルが心地良いです。
スピリチュアル的な本は敬遠している人でも、いえそのような人にこそ読んでみてほしいものです。もちろんあなたほど広い見識を持った方ならすんなり入れるでしょう。
貴下の従順なる下僕 松崎より