伯父さんは地元の病院で精神科医をしていた。
いや、正確に言えば、薬では治せない患者の話を聞いて、精神面から症状を改善させるような仕事だ。カウンセラーと言えばわかりやすいかもしれない。
父さんとは兄弟二人だけだったこともあって仲が良く、伯父さんはよくうちに遊びに来ていた。小学生だった俺と遊んでくれたり、お医者さんらしく羽振りが良かったのか、お小遣いをくれることもあって、本当に大好きな伯父さんだった。
そんな伯父さんに最後に会ったのは、四年前の冬休み。俺はその年の春から地元を離れ、札幌の高校に通っていたんだが、母さんに「伯父さんも来るから正月くらい帰ってきなよ」と言われて渋々帰省することにした。正直、大掃除を手伝わされるのが嫌だったけど、母さんの栗きんとんと伯父さんからのお年玉が目当てだった。
客間に泊まっていた伯父さんに挨拶しに行ったとき、俺は驚いた。以前の伯父さんは、100キロはありそうな大柄な人だったのに、父さん以上に痩せ細り、髪もボサボサで、なんだかアウトローな雰囲気になっていた。「どうしたの伯父さん、めっちゃかっこよくなってんじゃん」と冗談を言ったけど、内心では心配だった。
その夜、家族がそれぞれ自分の用事で席を外し、俺と伯父さんだけが居間に残った。最初は昔話や札幌での生活について話していたんだけど、突然伯父さんが真顔になり、「今、子供の声が聞こえたか?」と聞いてきた。酒も飲んでない伯父さんの様子に、俺は少し怖くなった。「聞こえなかったよ」と答えると、伯父さんは悲しげな顔で「そうか、やっぱりな……」と呟き、続けてこう言った。
「最近、どこにいても子供の声が聞こえるんだ。命令してくる声がね」
伯父さんが働いていた病院は、いわゆる医療施設というより重症患者を隔離するための場所だった。山奥にあり、窓には鉄格子がはめられ、患者が逃げ出したニュースが話題になったこともある。そんな場所での仕事は、患者の異常な言動に真剣に向き合うことが求められるため、真面目すぎる人ほど精神的に影響を受けてしまうことがあるらしい。伯父さんもその例外ではなかった。
伯父さんの同僚だった女性が、「音波が脳に刺さる」と言い残して自宅で命を絶った話も聞かされた。そのフレーズが妙に印象に残っている。
「俺もそろそろかなぁ」と笑いながら呟く伯父さんは、空元気とは違う、不気味な楽しさを纏っていた。そして、目の前のみかんを掴んで「見えるか?」と聞いてきた。「何が?」と俺が答えると、「くっつき虫だよ。白いのがうごめいて見えるだろ。こいつら、食べると身体を乗っ取るんだ」と真剣な顔で言う。伯父さんが痩せた理由もこれだったらしい。まともに食事を取れなくなり、寝るのも辛い。天井から誰かが見ていると感じることがあるとも話していた。
最後に「ごめんな」と言い残し、伯父さんは居間を出て行った。そのとき俺は、怖い話で脅かそうとしているだけだと思っていた。
翌朝、伯父さんは家族が起きる前に帰ってしまった。布団もそのままで、まるで何かから逃げるように。母さんの話では、その後どれだけ電話をかけても繋がらなかったらしい。
それから一ヶ月後、伯父さんは事故で亡くなった。中央分離帯に車ごと突っ込んだらしいが、葬式で親戚から「自裁だったのでは」という話を聞いた。見ていた人の証言では、凍っていない道路をまっすぐ走っていた車が突然ハンドルを切って分離帯に突っ込んだという。
伯父さんがその危機を自覚していたのだとしたら、廃人になる前に最期の挨拶をしに来たのかもしれない。そんなふうに考えると、少しだけ救われる気もした。
けれど、話はそれで終わらない。葬式の帰り道、父さんがぽつりと呟いた。
「事故の前の日の夜中、留守電が入ってたんだ。兄貴からだった。なんか気味悪くて消しちゃったけど……あの病院、子供もいるのか?」
留守電の内容は、酔ったような声で「俺、命令されちゃったよ」とだけ残されていた。そしてその声に紛れるように、子供たちの「死ね……死ね……」という声が複数聞こえていたらしい。
父さんは今も元気だし、電波を受信したような兆候はない。けれど、伯父さんに何が起きていたのか、そしてあの病院で何があったのか、今でもわからないままだ。
[出典:779 :2006/12/10(日) 20:22:47 ID:Up20uHh70]