降りた駅は、JR大阪環状線の「桃谷」。
今日の目的地である「鶴橋」の、1つ南の駅になります。
桃谷駅前からは、東へアーケード商店街が続いています。
右手には串カツ屋さん、左手にはたこ焼き屋さん。
大阪らしい商店街です。
脇道には、「温泉通商店街」などという、魅力的な看板も。
途中で、猫間川筋と交差。
現在は暗渠化されていますが、かつては名前に猫がつく珍しい川が流れていました。
「高麗(こま)川」が訛って、猫間川になったようです。
約600m歩いて4つの商店街を過ぎると、やはりたこ焼き屋さんのあるアーケード東口へ。
すぐに出会うのが、大戦中に空襲による延焼を防ぐために通された疎開道路。
この道を渡り、右手コンビニ横の狭い道に入ると、
「つるのはし跡」がありました。
鶴橋の地名の元になった橋の跡です。
『日本書紀』仁徳天皇14年の条には、猪甘津(いかいのつ)に橋を架け、「小橋(おはし)」と名付けたという記事があります。
この小橋が、後に鶴が群れ集まっていたことから「つるの橋」と呼ばれるようになったとも言われ、文献で確認できる日本最古の橋。
猪甘(猪飼野)は、渡来系の人々が朝廷に献上する猪(豚)を飼育していた地と伝えられ、橋は百済川(後の平野川)に架けられました。
江戸時代には、全長20間(36.4m)もある板橋が架けられ、幕府が管理する公儀橋だったようです。
「日本最古 史蹟つるのはし跡」の石碑のまわりに残された、4本の親柱。
橋は、新平野川の開削後、旧川筋が1940(昭和15)年に埋め立てられたさい、廃橋となっています。
残されている親柱は、1874(明治7)年に架けられた石橋のもののようです。
南西の親柱には、「つるのはし」。
南東には、「鶴之𣘺」。
北東には、「津類乃者之」。
北西には、「鶴之橋」。
親柱ごとに字体や書体を変えているのが、面白い。
橋を通っていたと思われる古い道筋を少し東へ行くと、鶴橋街道とのT字路に出ます。
猪飼野保存会の前には、1866(慶応2年)に立てられた道標。
南面には、「左 大阪」。
幕末とはいえ、江戸時代に大坂ではなく「大阪」の文字が使われているのは、ちょっと珍しいですね。
鶴橋街道を北に進むと、右手に御幸森天神宮があります。
御幸森という名前は、つるの橋を架けた仁徳天皇が猪飼野に行幸するさい、この森を休憩所としたことから来ているとのこと。
406年には、仁徳天皇を祭神として創建されたというのですから、相当古い神社です。
天神宮の北側に面する通りには、「御幸通商店街」のゲートと、「大阪コリアタウン」の横断幕。
韓流ブームの頃からでしょうか、約500mに渡ってコリアンフーズやグッズのお店が並び、年齢層を問わず観光客が押し寄せています。
今回は、立ち寄らずに鶴橋街道を北へ。
お腹が空いたので、街道の横道に入り、地元の方々で賑わう「お好み焼き 小池」に立ち寄りました。
大きな鉄板が2枚並び、そこで皆が相席しながらいただく下町スタイル。
そばモダンのミックスを注文。
マヨネーズは、小袋をもらい自分でかけたので、見栄えはイマイチ。
この辺りのお好み焼きの特徴は、ジャガイモを合わせること。
おでんのジャガイモをトッピングするお店もありますが、こちらでは刻んだイモを混ぜて焼いてくれます。
なぜ甘くてこんなにお好み焼きに合うのに、一般的ではないのだろうと思ってしまいます。
鶴橋街道に戻ると、交差点には「七福の辻」の石標。
「七福の辻」って何?
調べると、大正初期まで、ここは火葬場へ通じる「六道の辻」だったようです。
一を加えて縁起の良い名に変えてしまうとは、大阪の逞しさが出ていますね。
七福の辻から広い通りを西へ歩くと、「鶴橋本通商店街」のアーケード南口がありました。
ここから北の鶴橋駅に離接するエリアに、戦後闇市の面影を残す市場が広がります。
白地に手書きで書かれた看板。
昭和の看板が並びます。
横の路地に入ると、2階部分に渋い木製の窓手摺り。
この商店街は、戦後間もない1945(昭和20)年の秋からスタートしています。
「チリメンカエリ雑魚専門 其の他海産物全般卸 紀の國屋」では、よしずの前に「海に行っています」の小さな立て札。
「御菓子司」の袖看板の、この風合い。
もう一度、本通商店街に戻ってみます。
錆びたトタンの壁から下がる「鶴橋卸売市場」の看板下を通つて、近鉄線の下をくぐります。
高架下を抜けると、大きく羽を広げた鶴が描かれた、インパクトのある「鶴橋本通」の看板。
周辺には、海産物を扱うお店も多い。
商店街の上を通る近鉄電車では、2020年まで、伊勢と大阪を結ぶ海産物行商人専用の「鮮魚列車」が運行されていました。
鶴橋では、その関係で、伊勢の新鮮な鮮魚が多く扱われているようです。
東側の路地に入ると、卸売の〇小市場?
卸売市場の場外市場のことだろうか。
西側の路地には、斜め格子に「鶴橋卸売市場」。
いくつもの看板が、重なるように下がります。
商店街内の通路は縦横に走っているので、今どこにいるのか良く分からなくなる。
年季の入った「青色申告 振替納税 宣言の街」看板の前に、「すっぽん 赤まむし」と「ダヒョン」の看板が並ぶ。
後方には、K-popアイドルグループの看板や、ワンコ写真も吊り下げられている。
「丸松乾物店」のテントの下には、ハングル文字。
もはや、凝縮された混沌です。
やっぱり、この猥雑さが鶴橋商店街の魅力ですよね。
地蔵の祠と並んで、日中からやっている飲み屋さん。
鶴橋は、戦前から在日コリアンの人々が多く暮らす街。
当然、キムチや韓国料理のお店が、たくさん並びます。
ケジャンをたべさせるお店では、ワタリガニの看板も。
ハングル文字も多く、ちょっとした韓国の下町です。
彩りが美しい、チマ・チョゴリのお店。
もちろん、「焼肉の聖地」ですから、焼肉屋さんもたくさん並んでいました。
久しぶりに訪れた、鶴橋商店街。
その迷宮感と、受け継がれる戦後闇市のカオスな香りには、圧倒的なものがありました。
古代から渡来人が定住し、朝鮮半島が日本の植民地であった戦前にも、多くの人が出稼ぎなどで暮らすようになった生野区。
敗戦後すぐから大きな闇市を形成した人々のエネルギーは、今も健在なようです。
今回は、鶴橋の地名の由来も目で見て確認することができ、充実した街歩きとなりました。