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のら印BLOG

野良猫のように街を探索し、楽しさを発見するブログ

雑喉場魚市跡と戦災の傷跡が残る堂島大橋・大阪市

大阪メトロ中央線の阿波座駅から少し西へ歩くと、木津川の手前に「舊大阪府廳」の石柱が立っています。

ここは、1874(明治7)年に2代目大阪府庁舎がおかれた江之子島

当時の庁舎は、中央にドームのある壮麗な洋風建築で、「江之子島政府」と呼ばれていたようです。

庁舎の大手前への移転後、建物は大阪府工業奨励館として利用されていましたが、戦災により焼失してしまいました。

石柱の後ろに建っているのは、庁舎移転後に建てられた大阪府工業奨励館附属棟。

1938(昭和13)年に竣工した、昭和初期のモダニズム建築です。

エントランス上部の照明。

道路を挟んで、大正期に建てられた大阪府官舎の木村家住宅主屋。

玄関には、瓔珞(ようらく)飾りのついた切妻破風が付いています。

北に向けて少し歩くと、木津川越しに、旧居留地の面影を残す川口基督教会が見えます。

川口は、1868(明治元)年、諸外国に開かれた大阪最初の開港場でした。

本町通と出合う場所には、「木津川橋」の顕彰碑。

木津川橋は、開港の直前に、川口と江之子島を結んで架けられています。

少し東には、「雑喉場(ざこば)橋之碑」。

碑の東側には、戦後に埋め立てられるまで百間堀川が流れ、雑喉場橋が架かっていました。

さらにその東には、雑喉場町筋。

かつてこの辺りは、南北に流れる百間堀川に対し、東西に京町堀や江戸堀が走り、運河が入り組む最も水都・大坂らしい場所の一つでした。

江之子島公園の前にある、「雑喉場魚市場跡」の碑。

雑喉場の魚市は、堂島の米市、天満の青物市とあわせて近世大坂の三大市に数えられる市場です。

説明板にある、1798(寛政10)年発行の『攝津名所圖會』に描かれた、雑喉場魚市の活気ある風景。

百間堀川に浮かぶ小舟から、雑喉場魚市に次々と魚が運びこまれています。

魚市の中は、売り手と客で大賑わい。

公園に残された大きな石たちは、魚市時代の遺物なのでしょうか。

少し北に行くと、土佐堀川に架かる湊橋を渡ります。

湊橋から見渡すと、左端に見える昭和橋のアーチのところからは、木津川が分流。

正面に見える端建蔵橋のアーチの向こうでは、土佐堀川堂島川と合流して安治川になっています。

本当に大阪のかつての玄関口は、川だらけ、橋だらけ。

土佐堀川堂島川の合流地点を、近くから見ます。

左端の陸地が、二つの川を分かってきた中之島の西端。

合流地点の奥には、1929(昭和4)年竣工の住友倉庫が見えます。

船津橋を通って堂島川を越えると、橋のたもとに大阪市中央卸売市場

現在の雑喉場魚市にあたるのでしょうか。

 

堂島川に沿って北東に歩くと、堂島大橋に出合います。

現在の橋は、1927(昭和2)年に架け替えられたアーチ橋。

この橋は、すごい。

石の親柱が、戦中の空襲で破損し、痛々しい姿のまま残されています。

この橋の意匠は、「関西建築界の父」と呼ばれる武田五一によるもの。

でも、美しい橋飾台にも、その前にある石の噴水にも、生々しく破損の傷が残ります。

橋飾台中央の丸い部分にあったプレートも、戦中の金属供出で失われたらしい。

戦争に翻弄されたこの橋には、いたわりの声を掛けてあげたい気持ちになってきます。

こちらは、無数のリベットが並ぶ、鉄製のアーチ部分。

これはこれで美しいですね。

中之島を越えて南へ歩くと、土佐堀川に架かる土佐堀橋。

橋を越えると、大阪らしい名前の会社があったりします。

あみだ池筋を直進し、京町堀通を過ぎると、左手に靭(うつぼ)公園が見えてきました。

靭公園は、東西に細長く伸びた形をしています。

それもそのはず、この公園は、戦後に占領軍が作った飛行場の跡地。

その真ん中あたりに、小さな「うつぼ楠永神社」があります。

裏側には、占領軍が飛行場の邪魔になるとして切ろうとした、大楠が残ります。

その森の隅に、「靭海産物市場跡」の石碑。

横には、円筒形をした「永代濵跡」の石柱もありました。

江戸時代のこの辺りには、商人たちが自費で開削した海部堀川という堀があり、永代浜とよばれる海産物の荷上場があったようです。

雑喉場魚市が生魚を扱ったのに対して、靭海産物市場では塩干魚が扱われました。

ここも雑喉場と同様に、堀を小舟が行き交い、賑わっていたことでしょう。

近くには、「大塩平八郎終焉の地」の石碑もありました。

大塩は、江戸後期に大坂町奉行所の与力であった人で、奉行らの腐敗に憤って乱を起こして失敗し、この辺りに潜伏していたようです。

説明板にある天保年間の地図には、大塩が潜伏していた美吉屋とともに、永代浜があった場所も示されています。

公園には、いかにも滑走路跡と思われる、長い直線の通路もありました。

 

この日も、何とも暑い日。

どこで休もうかと思案し、やっぱり本町の「ゼー六」か、となりました。

飲みたかったコーヒーに、おいしいアイスモナカがセットで420円。

持ち帰りのアイスモナカを買いに来る人で、お店は大賑わいでした。

 

今回は、雑喉場魚市や堂島大橋、永代浜などを巡りながら、たくさんの川や橋、そしてそれらの跡に出合いました。

存分に体感することができた、「水都・大阪」。

良い街歩きができました。

 

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