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能登半島地震の被災者と支援者が本音で語る、できたDXできなかったDX(全2記事)

2025.02.04

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能登半島地震で自宅は全壊、「これでどうやってDXするねん」 被災したサイボウズ社員と支援者らが語る災害支援のノウハウ

提供:サイボウズ株式会社

2024年1月1日に最大震度7を観測した能登半島地震。予期せぬ災害に直面した時、DXで何ができて、何ができなかったのか。輪島市に移住し、自らも被災したサイボウズ株式会社フェローの野水克也氏が、被災地支援に関わった神戸市危機管理室の高槻麻帆氏、医療法人オレンジグループ代表の紅谷浩之氏と共に考えます。前編では、被災当時の状況や災害支援の仕組みについて語りました。

2年前に輪島に移住し、震災で自宅が全壊したサイボウズ社員

野水克也氏(以下、野水):みなさん、こんにちは。サイボウズ株式会社の野水です。今日もたくさんのお客さまにお越しいただきまして、本当にありがとうございます。毎年この舞台に立ってはいるんですけれども、今年ほど立っていることを実感して、うれしいなと思うことは本当になかったりします。

なぜかと言うと、1月1日に僕は輪島にいたんです。2年前から輪島に移住し、古民家を買って修理しながら住んでいて、元旦にもろに被災してしまいました。

(地震が)どれぐらいの大きさだったかというと、1秒間に2メートル、あっちへ行ってこっちへ行くという横揺れですね。1秒間に2メートル、あっちへ行ってこっちへ行ってということが、1分間延々続くんですよ。むちゃくちゃ長かったです。

とりあえず立ち上がることもできなくて、机の下に身を潜めていました。「おわぁ、天井が落ちてくる。うわぁ、いろんなものが落ちてくる」というふうに見ながら、「次に柱が落ちたら、俺は終わりだな」と思った頃に揺れが収まって、なんとか助かったと。

目を上げたら、こんな光景が広がっておりました(笑)。家があっという間にガラクタになって、僕の家はもちろん全壊でございます。

僕の家がどこにあったかというと、輪島のちょうど真ん中の、今青色の点が打ってあるあたりです。今回の報道の方でご存じの方もいらっしゃるかと思うんですが、ものすごく範囲が広かったんですね。これは上の部分だけ抜き出したものですけれども、能登半島って端から端まで70キロあるんですよ。

70キロを距離にしたらどれぐらいかと言うと、ここ(関東)だったら八王子からここ(千葉市)までですね。要するに、中央・総武線沿線のあたりが全部震度6強以上になったくらいの規模だったんです。当然、この間の3割くらいの家が全部倒壊している状態です。

例えば水ですね。これは家の裏の道路です。ボコボコになっています。当然、この下に水道管が埋まっています。下水道管も埋まっています。もちろん使えません。速攻断水です。

電気ですね。これは家から30メートルほど行った道路なんですけれども、崖崩れで電柱がポッキリ折れています。当然、電気は来ません。こんな状況が1キロごとに続いています。

通信は、山崩れとかで山の上から全部(設備が)流れていっちゃっているんですね。ドコモさんの鉄塔も鉄塔ごとみんな倒れてしまって使えないという状態で。当然、道路もない、水もない、電気もない、通信もないという感じになってしまいました。

輪島市や珠洲市は今も約4割の人々の家がない状態

野水:「これでどうやってDXするねん」という話になってしまうんですけれども。輪島市の人口2万3,000人に対して、だいたい世帯数で言うと1万2,000~1万3,000(世帯)になるんですが、仮設住宅の着工数が4,140で、これではまだ足りないという状況です。

つまり、輪島市や珠洲市民に関しては、4割ぐらいの方が住む家がない状態がずっと続いているというのが、今回の地震の規模ということになります。

輪島の小学校も1校になったとか、いろいろな大変なことはあったんですけれども、これぐらいでだいたい被害の全容としては、なんとなくおわかりいただけるかなと思います。道路も水もなくなってというような状態ではあったんですけどね。

そんな中でも、たくさんのご支援をいただきました。我々もサイボウズの支援部隊として各地へ行ったり、避難所にスターリンク(衛星ブロードバンドインターネット)を付けたりと、いろいろなことをしてきたんですが。

例えば(現地で一緒に取り組みを行ったのは)公務員の方とかですね。奥能登は2市2町あるんですけど、公務員は全部合わせて1,000人いるかいないかです。そこに協力自治体の応援の方が1日1,263名とか、自治体の公務員の数よりまだ多いくらい入っていただいたり、その他民間のボランティアの方とか。

これは家の前だったんですけど、2日は消防車と自衛隊の車で完全に渋滞ですよ。ぜんぜん走れないような状態になるほどたくさんのご支援をいただいて、なんとか生きておりますという感じです。

災害時にできたDX、できなかったDXとは

野水:そんな中で、今日は災害時にDXだったらどういうことが実際できたのか? もしくはどういうことができなくて、「ここは反省点だな」と思う部分を、みなさんと一緒に議論していきたいと思っております。

では、ゲストの方をお呼びしたいと思います。お二人とも実際に能登の地へ入って、支援活動を行っていただいた方です。お一人目は神戸市危機管理室係長の高槻さん、もう一人は医療法人オレンジグループの紅谷さんになります。

高槻さんは、神戸市の職員として珠洲市に入って、支援活動を行っていただきました。オレンジグループの紅谷さんは、民間の医療福祉ボランティアとして、震災ですぐに輪島市に入られて、福祉避難所の運営に当たっていただいた方です。それでは、お二人をお呼びしたいと思います。どうぞ拍手でお迎えください。

(会場拍手)

野水:ありがとうございます。どうぞお座りください。お二人とも遠いところからありがとうございます。僕もちょっとだけ座らせていただきます。お二人の話に入る前に、災害支援がどういう仕組みになっているのかを、ちょっとだけご紹介したいなと思います。

Twitter(X)上などでいろんな議論がされていて、「政府は何もやってない」とか、本当に知らない人はいろんなことを言うなぁと思いながら見てはいるんですけど、みんな一生懸命やっています。

ただ、役割があるんですよね。それがどういう役割に分かれているかということについて、全体像を説明してから話に入ったほうが聞きやすいかなと思っております。

災害支援の枠組みは「公助」「共助」「自助」の3つ

野水:まず、「公助」「共助」「自助」の3つの枠で災害支援をやります。一番下の「自助」は、言うまでもなくわかりますよね。僕は被災者ですから、僕らががんばるということで、住む家を建て直したり引っ越しをしたりという生活再建活動をしていきます。

公助は、主には「公の助け」ということになりますね。公助がどこまでやるのかというと、基本的にはインフラを直すこと。あとは人命救助。この2つが柱になっています。

例えば、個人の家をどうするかという問題は、本来はお役所の仕事ではないんですよね。隣の家のもらい火で自分の家が燃えたからといって、日本国がお金を出してくれて、家を再建してくれるという仕組みはないわけですよね。

地震も同じで、自分のせいじゃないけども、自分の家が潰れても、基本的には「個人の財産は個人で守ってください」というのが原則になります。

ただ、人命の救助に関しては、「最低限の文化的生活を営む」と憲法で決めてありますから、ちゃんと避難所を作ったり、仮設住宅を建てたり、道路を直したりということを、公助として行っていきます。これは法律に基づいてやっているわけですね。

それだけではもちろん足りなくて。「おじいちゃんが独りで住んでいる家が半壊したけど、どうするの?」といったことをどうにかするのが、助け合いの「共助」になります。

例えばみなさんの中にも、赤十字や県に義援金を払っていただいた方がいらっしゃると思うんですけれども、そういう義援金を配分して、我々被災者の下に一定程度来るものも共助の枠の中に含まれます。

あとは、災害ボランティアとして災害直後から入っていただいて、おじいさん・おばあさんを助けながらなんとかしていくとか。あとは、避難所の運営を手伝うとか。

能登の震災は本当に被害が大きかったので、公助が届かなかったところもあって、そこを民間ボランティアで支援したりというのが、この共助という部分になります。

災害大国・日本は、公助が充実している反面、共助が不足

野水:それと最後は、本人たちがんばれよというのが合わさって、震災(からの復興の取り組み)全部をやっているわけなんですね。当然、高槻さんは今回は公助の立場で動かれて、紅谷さんは共助の立場で動かれているということになります。

これは諸外国と比べてどうかということなんですけど、例えば台湾地震の時に3時間ぐらいで避難所が建てられました。これに対して、Twitterでは「日本政府はどうしとるんや。能登は支援がないんじゃないか」と、みんなにめっちゃくちゃ言われていましたけど。

実は台湾での避難所の設置は、公助じゃなくて民間団体がやっています。(政府は)場所貸しだけなんですよ。諸外国は場所だけ公共が出して、その上に民間団体がだいたい支援の仕組みを作っていくというところが多かったりします。

要するに、日本の場合は災害大国なので、実は公助がどこよりも充実しています。ところが共助に関しては、公助が充実している部分なのかどうかわからないですけども、例えば寄付額も少なかったり、仕組みがあまり整っていないのが課題だったりします。

阪神・淡路大震災を経験した神戸市職員が提案した広報の支援

野水:そういうことをおわかりいただいた上で、それぞれの方が何をしていたかという話を、おうかがいしていこうと思っております。ではまず、高槻さんから震災時の支援の模様をご説明いただいてよろしいでしょうか。

高槻麻帆氏(以下、高槻):神戸市役所 危機管理室の高槻です。よろしくお願いします。神戸市は今回、石川県の珠洲市を中心に、能登の被災市町の支援に入らせていただいたんですけども。これを見ていただいてもわかるように、全国の非常に多くの自治体が能登の支援に従事しています。

どうやってどこに支援するのかが決まるのかというと、基本的には国の調整の下で、「どの自治体がどこを支援してください」と割り当てられます。今回は、神戸市が珠洲市に指定されて、応援に行かせていただいたという経緯になります。

今日は詳しくは言いませんけども、1月5日から実際に職員が現地に入り、これまで900人を超える職員が現地で活動しています。当初は、基本的には1週間ぐらいの短期の交代で職員をどんどん派遣をしていって。今はもう中長期派遣というフェーズに入っていまして、月単位や1年という単位で職員が行っています。

今日時点で言うと、8名の職員が現地で実際に支援活動に従事しているところです。神戸市の支援活動なんですけど、いろんな業務を支援をさせていただいています。

どの自治体さんもそれぞれにさまざまな活動をされているんですけども、今回の神戸の1つの特徴的なところかなと思うところを、ご紹介をさせていただきます。神戸市はリモートでの支援をいくつかさせていただきました。

そのうちの1つは現地でもかなり喜んでいただいたんですけども、広報の部分を支援しました。Webやホームページ、LINEのようなアプリを使ったり。あとは、実際紙で配るような災害広報紙を作成して、被災された方が知りたい情報をわかりやすくタイムリーにお届けするという部分について支援をさせていただきました。

これは阪神・淡路大震災を経験した職員が実際に現地の状況を見ていて、「こういうものがあったほうがいいんじゃないか」というご提案をして始めさせていただきました。現地に行っている職員は2名なんですけど、実際の作業はずっとこちらの市役所で、40人近くの職員がリモートで支援をしているかたちです。

kintoneでアプリを作り、被災した道路の状況把握や共有に活用

高槻:それから今回はkintoneを使った支援ということでお声掛けいただいたんですけど、道路の被災状況の情報を収集して、それをさらに(工事を)施工していただく事業者さんに届けると。そこまでをするkintoneアプリの構築も、神戸市でさせていただきました。

これも基本的に構築の部分は、神戸市役所でリモートで行い、うちのデジタル担当の部署の職員たちが構築しまして、基本的に打ち合わせなどはリモートで進めていくようなかたちで支援させていただいています。

このkintoneの支援について、ちょっと簡単に経緯だけご紹介します。当初、野水さんに珠洲市の職員のDX担当の方からご相談があったということで。発災後、非常に混乱していて業務もなかなか進まない中で、「kintoneを使った支援をしていただけないか」というお話があったと聞いているんですけども。

野水さんと実際に現地に行っている神戸市職員の両方から、珠洲市がそういうことで困っているというお話をいただきました。そこでうちのデジタル担当の職員が現地へ行って、課題把握をしたり、どういう部分でお手伝いできるかという相談をさせていただいて。

それ以降は、リモートで打ち合わせをしながらアプリの構築をさせていただいて、だいたい6日ほどで実装までこぎ着けました。

これはイメージなんですけれども、神戸市がこのアプリを構築するまでは、珠洲市の現場では紙と鉛筆で情報を収集して記入して、市役所へ戻ってきて、また台帳にまとめるという作業に非常に時間がかかって、なかなか(道路工事の)発注までいかない。

それをkintoneによって、現場の情報をそのまま業者さんにお渡しできるということで、かなり効率的にできるようになったというものです。これが簡単なイメージですけども、FormBridgeで収集をして、そのまま業者さんにお渡しをするアプリになっております。

野水:ありがとうございます。その他、サイボウズとしてはいろんな自治体に支援に入りました。主に僕だったんですけれども、自衛隊の方と避難所の情報を共有したり。

あとは、穴水町の避難者台帳や加賀市の二次避難者。加賀市は1回、能登から人が出てくれないと何もできない時期があったので、そのへんの避難所の情報を共有したりしています。

過去に例を見ない、超高齢化が進む地域での災害

野水:今度は共助のほうで、紅谷さんのお話をおうかがいしていきたいと思います。紅谷さんは、1月3日から入ったんですよね。

紅谷浩之氏(以下、紅谷):そうですね。こんにちは。医療法人オレンジグループの紅谷と申します。よろしくお願いします。今ご紹介いただいたように、私たちは福井県が本拠地でやっている医療法人グループなんですけれども。もともと石川県輪島市には、けっこう医療福祉関係の仲間がいることもあって、即日入ることを決めました。

1月2日から向かったんですが、2日はたどり着くことができず、いったん金沢に引き返して、3日の夜に現地に入りました。3日、つまり発災48時間ぐらいでたどり着いたんですけども、そこで一番印象的だったのは、避難所にいる方たちの多くが高齢者という現状ですね。

考えてみれば、高齢化率をたどれば阪神・淡路の時が15パーセント、東日本の時が23パーセント。そして現在、全国平均で言うと約30パーセントなんですけども、能登半島の先のほうは50パーセントに近い。だから、すごく特殊な超高齢社会災害だったことが、今回の重要なポイントだなと感じました。

それと同時に、これは特殊だと最初は一瞬思ったんですけど、今後の日本で起きる災害は、ほとんどがこの高齢者災害になるんじゃないかと考え直しました。

そうすると、我々医療者としては、普通は発災48時間というと救命救急フェーズのはずなんですけども、避難所にいるおじいちゃん・おばあちゃんは走って逃げてきたはずの人なのに、2日間じっとしていたら、歩けなくなり始めているんですね。たった2日、じっと動かないだけで歩けなくなっている。

実は私たちは、在宅医療や暮らしの中での医療福祉をやっているチームですので、我々のような暮らしを支える医療チームの役割が、今後重要になるんじゃないかということをすぐに感じました。

2,000人以上が関わった、要介護・要支援者のための避難所の運営

紅谷:今、日本中のあちこちに在宅医療のチームが展開しています。我々は「ロケットえんぴつ型支援」と呼んでいるんですけども、今回は交通の便でも、そこから能登に入るのが非常に困難でした。

今回はむしろ、石川県や輪島のことを知っている北陸3県のチームが積極的に中に入って、全国の在宅医療チームは出払ってしまったほうの拠点を支えるというやり方でした。これでけっこう医者が循環する仕組みが民間のレベルでやれました。

DMAT(災害派遣医療チーム)や赤十字という規模の医療支援も入るんですが、暮らしを支えるチームはDMATの仕組みの中にはありませんので、我々は在宅医療のチームでこういう作戦を練ったというわけです。

当然、医者だけでは駄目ですし、私たちは地元の社会福祉法人から委託を受けて、福祉避難所と呼ばれる、要介護・要支援の人たちを支える避難所を、1月8日から3月31日までの3ヶ月間運営してきました。

この間、私たちの呼びかけなどで、医師、看護師、リハビリ、介護職員、歯科医師や栄養士、ボランティア、本当にたくさんの多職種チームがやってきました。延べで言うと、およそ1,800人ぐらいの方が入りました。

今回数字をあらためて出してみたら、遠隔でタイムラインを作ったりする仕事をしていたメンバーを合わせると、2,000人以上が関わったチームでした。

ケアが必要な方たちが避難してきている避難所は、一般の体育館とはまた違う感じなんですけども、ここもどんどん、「いったん体育館のほうに避難したけど、どうもこのお年寄りが動けない」「障害者の方たちの生活がままならない。そういう方を受け入れてくれ」という依頼があれば受け入れます。

そして、ここから二次避難ということで、市外や県外への搬送もどんどんやっていきます。つまり、日々入れ替わる支援者と要介護者の情報を、どんなふうに整理していくかということはとにかく課題でした。最初はホワイトボードに書き出してみたものの、「いったいいつの情報がどれなんだ」ということで、現場はどんどん混乱していってしまう。

そういう時に、我々はもともとふだんの在宅ケアの中でもkintoneを使わせてもらっているので、それをそのままズバッと使いたいということで、ご相談させていただきました。

野水:ありがとうございます。

できるだけ気持ちに寄り添った情報を共有するには

紅谷:実は私たちは今でも関わっています。もちろん、現場の輪島にも行っていますが、福井県で二次避難を受け入れる側としても活動しています。やはり医療というと、けが人が何人とか、どういう病状がとか、検査の数字が、という数字が飛び交うことが多いんですけども、我々は暮らしを支えたい。

医療福祉の視点で、暮らしの延長である災害(に遭ったあとの生活)を支えたいと思った時に、非常にデータが複雑化してくるんですよね。単純に病人とか体温がどうというだけじゃなくて、「実はこの人はこういう食べ物の好き嫌いがあって」とか。

「家族がこんなふうになっている状況をすごく心配している。その心配や不安をどうにかしてあげないと、この人のケアは進まないぞ」という情報までシェアしようと思った時に、非常に複雑で、しかも感情的な情報もできるだけ共有していきたいという思いがありました。

そういう意味で、kintoneでは写真をシェアしたり、時系列や人ごとに並べ直したりできる。日々入れ替わるスタッフが、まずはkintoneの使い方さえ理解してしまえば、その後はリアルタイムでみんなが動いていけるというのが、現場の実感としてありました。

野水:ありがとうございます。そうですよね。ただ、ふだんから使っていらっしゃったのが、やはり一番強いところかなと思っていて。確か3日ぐらいで(システムが)立ち上がったんですよね。

紅谷:そうですね。ご協力いただいたのと、うちのスタッフもわかっていたのがとても早かったなと思います。ただ、使ったことがない人が支援に入ってきてもすぐ使えるというところは、とてもポイントだったと思います。

サイボウズ社員の被災後の自助の取り組み

野水:ありがとうございます。なんか台本に書いてあったみたいですけど、今のは台本にはないですよ(笑)。あと、その他のサイボウズの民間支援としては、県内の災害ボランティアセンター全部のボランティアの受付システムとか。

あとは医療チーム。DMAT関係もお手伝いしましたし、金沢における1.5次避難や、炊き出しの申し込みをさばくシステムなども、いろいろやらせていただきました。

あと、私は地元の財団法人の「ほくりくみらい基金」の理事もしていて、集まった寄付金を今度は助成団体に配っていく仕事があるんですけども。ほくりくみらい基金の中でも、kintoneでバリバリさばいてきたというところでございます。ただの宣伝でございますけれども。

最後に自助というところですね。ちょっとだけご紹介しておくと、自助はITとはぜんぜん関係ないんですけども、僕に関しては1月1日に被災して、3日に金沢に避難しました。

金沢には実家があるので、そこに1ヶ月いました。2月にはみなし仮設ということで、アパートを契約すると、それを仮設とみなして家賃を払ってくれるという制度があるんですよ。家賃が戻ってきたのは半年後なんですけど(笑)。そこに7月まで入っていて、7月には輪島の仮設住宅ができたので戻ってきたと。

ずっとベッドなどを抱えて引っ越しを繰り返したり。あとは、家の中にあった物を出しても、家の中はずぶ濡れになってきて屋根なども落ちているので、それを収納するために小屋を建てたり。

あとは、たまたまボランティアの方が井戸を掘ってくれるというので、「じゃあうちの井戸を掘って」と言って、断水を解消したりということを、サイボウズの支援活動と並行してずっとやっていたというかたちになります。

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