19年前に何が決断させたのか 中田英寿が語る電撃引退の理由「“新しい人”が自分を導いてきた喜びを奪った」
2025年2月9日(日)18時45分 ココカラネクスト
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世界中で愛され、尊敬されていた中田氏。だからこそドイツ・ワールドカップ直後の引退は衝撃的だった。(C)Getty Images
今から19年前の夏。「日本サッカー界のカリスマ」と称された中田英寿氏は、キャリアの最盛期にあった29歳での現役引退を決めた。
1998年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)からセリエAのペルージャに移籍し、世界にその名を知らしめた中田氏。ユベントス戦での鮮烈なゴラッソという華々しいデビューとともに始まった彼の欧州サッカー界でのキャリアは、2000-01シーズンにローマで経験したスクデット獲得など、イタリアとイングランドで長く続いた。
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しかし、その時は突然、訪れた。2006年のドイツ・ワールドカップで日本代表のグループステージ敗退が決まった直後に中田氏は現役引退を公表。その決断は、列島はもちろんのこと世界をも驚かせた。
ドラマチックさすらあった引退劇。その決断に至った理由は何か。中田氏が自ら語った。
現地時間2月5日にイタリアのカルチャー雑誌『Rivista Undici』のインタビューに応じたレジェンドは、「自分がサッカーを始めたのは、まだJリーグもなかった頃だった」と切り出し、キャリアに幕を閉じた背景を振り返っている。
「日本はワールドカップに出たことがなく、プロになる夢もなかった。二次的な目的なしに、好きだからというだけでプレーしていた。でも、サッカーはどんどん大きなビジネスになっていった。プロの世界に“新しい人”がたくさん入ってきた。そういったすべてが、キャリアにおいて自分を導いてきた喜びを奪ったんだ」
良くも悪くもビジネスが絡み、より純粋さは失われている感が否めない現代サッカー界。中田氏は、その変化を敏感に感じ取っていたのかもしれない。
現役生活を離れてから中田氏は「世界に自分の居場所を見つける必要があった」と世界を周遊。その中で日本酒や農業など日本文化の継承や発展を目指し、実業家としてのセカンドキャリアもスタート。今も忙しない日々を送っている。
無論、サッカーそのものが嫌いになったわけではない。自身の現況をふまえて「このスポーツ(サッカー)での道のりのおかげで、僕は今でも唯一無二の人間関係、仕事の関係を保てている」と語っている。
「今日ここであなたと話しているのも、ピッチで達成した目標によるもの。おそらく、サッカーがなければ、今の僕が築けたことは築けなかっただろう。同じ可能性を手にすることはなかった」
独特な言い回しで自身の人生を振り返った中田氏。そんな名手の言葉に触れた同誌は、インタビューを次のようにまとめている。
「ヒデトシ・ナカタは実物よりも大きい人、つまり多様性を内包している人だと定義できる一人だ。そよ風ではなく、荒れ狂う風に誘惑された彼は大衆を退屈させることも恐れず、自分のイメージと名声を利用する方法を熟知していた。
90年代から00年代にかけて、彼は最も輝かしい才能の持ち主の一人であったにもかかわらず、今日の彼はサッカーよりも日本の農民や職人の運命に大きな関心を寄せている。過度なメディアから離れているナカタは、新ロールモデルの一人でもあると同時に、現代スポーツの陳腐な物語からの真の脱却を体現している」
引退から時が経っても、多くの人々の脳裏に焼き付いている中田英寿。そのカリスマ性は、やはり唯一無二だ。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]