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「25歳で武道館を借りてディスコに」「素人なのに“帯のラジオ番組”DJに」乱一世74歳の“波乱に満ちた”半生

宮藤官九郎脚本、阿部サダヲ主演で2024年に放送され、その年の流行語大賞にも選ばれた「ふてほど」ことドラマ『不適切にもほどがある!』。 昭和からタイムスリップした主人公がコンプライアンスに縛られた令和の世に懐かしむのが90年代の深夜番組『トゥナイト』および『トゥナイト2』だった。 お色気、政治、流行、スポーツ、社会情勢なんでもあり、まだスマホもSNSもない時代にさまざまな情報の発信地だった同番組でナレーター&リポーターとして活躍していたのが、当時40代と脂の乗っていた乱一世(74歳)である。 しかし、人気絶頂の1997年、CM前に言った「トイレに行きたいという方がいらっしゃったら行っても構いません」という自らの発言によって突然番組を去り、300万もあった月収を一瞬で失う。改めて当該発言と時代背景を振り返るとともに、その芸名の通り波乱に満ちた半生に迫った。
乱一世

乱一世

伝説的ロックバンドの全国ツアーを率いて300万円の赤字に

ーーそもそも乱さんのキャリアのスタートはいつ頃ですか? 乱一世(以下、乱):話すと長いんですけど(笑)、大学時代、キャロル(※矢沢永吉が率いた伝説のロックバンド)のローディー(※バンド周りの雑用係)をやっていたことがあって。 ーーえ? そうなんですか? 乱:なんでそんなことになったのかというと、ロックが好きで、在学中からプロデュースめいたことをやっていて、キャロルがでてきたとき「こいつらを引っ提げて全国ツアーをやりたい」と思ったんです。 でも、とにかく金がない。そんなとき、当時ジャニーズ系の呼び屋(※プロモーター)をやっていた知り合いの社長から紹介された会社を訪ねたら、あまり社会的に立場のよろしくない事務所で。 ーーそれでどうしたんですか。 乱:ここまで来ちゃったものはしょうがないから、とりあえずお金を借りて、北海道から九州までツアーを打つことはできたのですが、やっぱり全然回収できなくて300万円の赤字になって。事務所に謝りに行ったら「いいけど、どうすんだよ」と。 ーー淡々と語ってますけど、けっこう怖い話ですよね。 乱:「しばらくうちで働くか」ってことになって「あぁ、このまま俺はこの世界に沈んでいくのか……」と思っていたら、ある日、その事務所の幹部の人たちが不祥事でほとんどいなくなって。「これだ!」と思ってキャロルのプロダクションに電話をかけたら、ローディーとして拾ってもらったんです。

25歳で日本武道館を貸し切ってディスコに

ーー運が良かったですね。 乱:とは言っても持ち出し(※多くかかった分の費用は自分が負担すること)だったので、程なくして尻に火がついて。 そんなとき、知人から東京で「カンタベリー・ハウス」(※新宿で隆盛を誇ったディスコチェーン)やレストランを15、6軒やってる社長が人を欲しがっているから行ってみない?と誘われて。そこの本社の芸能部に入ったんですが、要はフィリピンバンドの世話係でした。 当時の大箱のディスコはフィリピンと日本のバンドが交互に生演奏するシステムが主流でしたが、素行不良だったりドタキャンしたりが当たり前のようにあった。 そこで僕は会社に「効率が悪いからレコードにしましょう」と提案し、その流れがやがて六本木、赤坂と広がって行ったんです。 ーー当時のディスコのシステムを乱さんが変えたんですか? 乱:そんな大袈裟なものではないですよ。バンドからレコードへ変わるのは極めて自然な流れだったと思います。 おかげでフィリピンバンドの呼び屋さんからは相当なプレッシャーをかけられましたけど。それでちょっといい気になって(笑)、次の年に日本武道館を貸し切って巨大なディスコにしたこともありました。1975年、25歳くらいのことです。
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世界的冒険家・植村直己を怒らせたことも
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株式会社ラーニャ代表取締役。ドラマや映画の執筆を行うライター。Xアカウント:@Yuichitter

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