大阪の街には、雑多なものを包み込む寛容さを感じます。
今回は、そんな大阪らしい船場のすごいビルを中心に見ていきます。
船場センタービルの1号館。
上部に阪神高速道路や中央大通の高架が見えますが、その下部の1階部分がビルになっています。
このビルは、場所により2階建て、3階建てと高くなり、
最も高い部分は地上4階建て。
地下は2階まであり、大阪メトロの3路線・4駅と直結しています。
ビルの上も下も大賑わいで、「ごった煮の街」・大阪らしさ満載です。
南北に横切る道路によって途切れるため、1号館から10号館までに一応分けられてはいますが、
地下では、このように繋がっています。
東西に伸びた商業施設の長さは、約1kmというのですから驚き。
中には、繊維関係の問屋を中心に、800ものお店が並んでいます。
生地屋さんやブティック。
カバンも、たくさん並びます。
この船場センタービルは、中央大通を建設するにあたり、立ち退きが必要になった多くの店舗との交渉が難航したさい、それなら大通の下にビルを建てて移転してもらおうとなったようです。
ビルは、前回の大阪万博開催の年である1970年にオープン。
現在では、東京でもビルの上を道路が通っていますが、最初のアイデアは大阪で生まれています。
地下には、食堂や居酒屋もたくさんあります。
そんな中に、中華料理ではなく華風料理と銘打った一芳亭さん。
小麦粉の皮とちがい、黄色い薄焼き卵で包んだふわふわの焼売が人気。
焼売が5個ついたきも照り定食、950円をいただきました。
やさしい味で、コスパも良く、満席なのも納得。
船場センタービルの7号館と8号館の間を通る南北の道は、丼池筋とよばれます。
丼(どんぶり)の池と書いて、「どぶいけ」と読ませるところも大阪っぽい。
ここの通りも、繊維問屋街です。
少し南へ行った一筋目の角にあるのが丼池繊維会館。
電線が多く、なんとなく雑然とした雰囲気ではありますが、良く見るとシンプルだけれども壁一面にタイルが貼り込まれたおしゃれな建築です。
外壁上部の意匠も、無駄がなく美しい。
この建物は、当初は愛国貯金銀行として、1922(大正11)年に建てられています。
設計者は不明。
1920年代といえば、大阪市が東京市をしのぐ大都市に躍進し、「大大阪(だいおおさか)」とよばれた時代。
新しい時代の気運をうけて、重厚さに重きをおいたそれまでの銀行建築ではなく、モダニズム建築の先駆け的な手法を取り入れているのかもしれません。
続いて、船場センタービルの3号館と4号館の間を通る堺筋を、一筋北へ行った南本町通りの角へ来ました。
現在は、風蘭ビルディングとよばれている、旧明治屋ビルディングです。
道路に面して角につけられたアールが、印象的な建築です。
こちらは、1924(大正13)年の竣工。
設計は、曾禰中條建築事務所。
曾禰辰蔵は、辰野金吾とともにコンドルに学んだ日本人建築家として第1世代の人です。
現在、かつて明治屋ストアーが入っていた1階には、コンビニが入っています。
コンビニの看板の上には、うっすらと「MEIDIYA」の文字。
1階部分の外壁は、石張り。
2階以上には、全面タイルが貼られています。
東側の入口。
入ってすぐのところ。
照明はなくなっていますが、きれいな台座の意匠は残っています。
建物内部から、入口を見ました。
鋲打ちされた、堅牢な鉄製階段。
道路からは見えにくかったのですが、屋上には立派な塔屋があるようです。
様式は、「近世ルネッソンス式」。
「西洋料理中央亭」も併設されていたようです。
旧明治屋ビルを後にして、近くのゼー六本町店さんで一休み。
こちらは、1913(大正2)年の創業。
創業110年のお店で、おいしいアイスモナカとホットコーヒーのセットをいただきました。
このおいしさと立地に関わらず420円。
なんと破格なお店なのでしょうか。
店内の落ち着いた雰囲気。
もともとは和菓子屋さんだった名残りなのでしょうか、ちょっと和調です。
照明も素敵でした。
ゼー六さんのすぐ横には、東横堀川にかかる本町橋がありました。
1913(大正2)年に建てられています。
ゼー六さんの創業の年と同じですね。
「八百八橋」といわれた橋の多い大阪市内にあって、現役最古の橋だそうです。
懐の深い大阪の街。
少々雑然とした中にも、面白いものや、美しいものを発見できる楽しい街。
今日も、良い街歩きができました。