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ぶら野球BACK NUMBER
「落合vs松井の不仲説は本当だった?」巨人OB“落合不要論”に怒った42歳落合博満「落合、早くやめろ!」の声も…21歳松井秀喜から4番を奪い返すまで
posted2025/02/09 11:00
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
ベースボール・マガジン社
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、3刷重版と売れている。
その書籍のなかから、「落合博満vs松井秀喜」を紹介する。1996年の開幕戦は21歳松井が4番に。“落合不要論”も騒がれるなか、42歳落合が4番を取り返すまで。【全2回の前編/後編も公開中】
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「松井はどうや」「よく話をするよ」
「打撃の話をすればね。ベンチでよく話をするよ。これが同じ一塁のポジションを争っているライバルならこんなにいろいろ教えないけどね(笑)」(週刊現代1996年5月11・18日号)
42歳の落合は、元阪神のエース江夏豊との対談で「松井はどうや」と21歳の松井秀喜のことを聞かれると、そういって笑った。落合は駆け出しの若手時代、5歳上の江夏とマージャン卓を囲んだ際に自分の手牌を読まれ、「お前ほど待ちの分かりやすいバッターはいないよ。一球ごとにコロコロ待ちダマをかえてきよる。投手は、じっと構えていられるほうが怖いもんよ」と指摘されたという。この遊びの席での大投手からのヒントを本業の野球に応用するクレバーさが、落合にはあった。
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1996年シーズン、落合は巨人移籍3年目にして、初めて開幕戦を慣れ親しんだ四番ではなく、「五番一塁」で迎えていた。入団時に長嶋監督が“四番1000日計画”を掲げた松井がプロ4年目を迎え、自身初の開幕四番に座ったのである。
その際、長嶋監督は事前に落合に対して「悪いけど、開幕は……」と一声かけたが、「監督、そんなに気を使わないで下さい」とだけ返答するオレ流がいた。首脳陣、マスコミ、ファン……多くの人間が外様でベテランの自分ではなく、若い松井に四番を打たせたがっていると冷静に己の立ち位置を見ていたのである。
「オレとしては、4番は外れたけど、気持ちのタガまで外れてしまったわけじゃないから。あいつを補助してやるのはマックじゃなくてあくまでオレ。オレが5番に控えて、ガンガン打ってチームが勝てば、あいつもそれほど4番の重圧を感じなくて済むようになる」(週刊現代1996年5月11・18日号)
「危険球じゃないか!」から“ニヤリ”
そして迎えた4月5日、阪神との開幕戦で四番松井は1安打に終わるも、五番落合が先制のタイムリー二塁打を含む2安打2打点とチームを勝利に導いた。