三国志最強の将は?
皆さんこんにちは!
Kさんが大好きな唐揚げの話をする度に、中華で多い油で揚げる料理はイスラム系由来で、大体明くらいから全盛だという中国の教授の話を思い出す、油を食べるのが大好きなTです。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
さて、最強という言葉は普通武力に使われる言葉です。
関羽が曹操に私より強い男が一人いて、それは義弟の張飛であると述べたエピソードや、その張飛と一騎打ちを延々とし続けたという馬超(どちらも『演義』由来ですが)、そして宮城谷三国志でも騎兵最強の名を取る平常運転ラスボスの呂布を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。
今回は武力ではなく、統率、更に騎馬戦では最終的に無敵の曹操でもなく、呉の大司馬である陸抗を取り上げたいと思います。
筆者は東西を問わない歴史好きで、塩野七生さんの「ローマ人の物語シリーズ」は大学時の愛読書でしたが、ローマ史でも輝くカエサルのガリア戦記の最終章で、アレシアの戦いというものがあります。
これはカエサルがアレシアという都市を包囲したときに、自軍は6万しかいないのに、包囲した都市内8万、自軍を再包囲した都市外26万という敵を両面で打ち破ったという戦いですが、戦史にも稀であるという表現がされています。
そこまで読んで思ったのです。もう一人天才がいるよ、と。
その名は陸抗。呉の大司馬になった男です。
陸氏といえば江南の名族であり、陸一族といったら陸遜じゃない?と思う人は多いはずです。呂蒙を助けて関羽を、その仇を討ちに来た三兄弟の長兄劉備を、挙句に曹休を罠にはめといった蜀にも魏にも大勝している陸遜も最強の武将の一人かもしれません。
陸抗はそんな陸遜の息子、そして主に活躍したのは呉の最後にして最悪の暴君である孫晧の時代。個性が見えずらい劉禅を支えた諸葛孔明も大概でしたが、それを上回る苦労が目に見えぬところであったはずです。
(歩闡)
陸遜が勝った夷陵と近い場所に西陵があるのは偶然ではないのかも。名臣歩騭の庶子であり、ほぼ最前線の西陵を任されていた歩闡は、突然の召還命令を受け、他の家臣のように誅殺されるのではないかと疑心暗鬼になり、晋に降伏します。
陸遜が勝った夷陵と近い場所に西陵があるのは偶然ではないのかも。名臣歩騭の庶子であり、ほぼ最前線の西陵を任されていた歩闡は、突然の召還命令を受け、他の家臣のように誅殺されるのではないかと疑心暗鬼になり、晋に降伏します。
それを知った陸抗はかつて自分が整備した西陵城にすぐに攻め寄せますが、最初に行ったことは対城と対外の二重の包囲網を築くことでした。
この時点で大変ですが、更に西陵を救援する晋軍の総大将は名将として名高い羊祜、この名将は地図の通り①旧蜀の巴東から建平、②襄陽から江陵、③そして直接西陵への援軍、と物量を生かして三方面から押し寄せます。
陸抗は三路に対して①堅守、②河川を切ることによる輸送妨害という援軍なしで膠着状態に持ち込み、③は自軍からの降伏者が出るという更なる状況の悪化にも関わらず、それを見事に穴埋めどころか計略に利用し、最後は散々に打ち破ります。③は結局援軍が壊滅したせいで西陵は突破され、呉に取り戻されたのでした。その際上級仕官のみを処罰し、一般兵士をそのまま取り込むという完璧な戦後処理を行っています。
(羊祜)
羊祜は陸抗を認めつつも、その後も揺さぶりをかけますが、結局両者が存命の間は晋が呉を併呑することはできませんでした。陸抗が亡くなって更に6年後、戦備を整えた晋は呉を滅ぼすのに成功します。
いかがでしょうか。敵のレベルの高さ、バックの駄目さ、その上多方面に渉る指示を行いつつ正面の敵に勝つという戦略、戦術、政治、難敵への明確な勝利というこれ以上ない完璧な采配です。
因みに陸抗は諸葛誕の戦いで敵の偏将軍や牙門将を討ち取り、失敗したのは羅憲を相手に援軍として赴いた永安城攻略のみ(これれも撤退で敗北ではありません)。なかなかに凄まじい戦績だと思います。
一国の将帥としてカエサルに負けない戦績を、不利な状況下で上げた陸抗、筆者は昔からこの人こそ少なくとも同率1位の名将だと思っていますが、いかがでしょうか。
(T氏)