1月28日、原発不明ガンで亡くなった経済アナリストの森永卓郎さん(67)は生前、日本経済が長期低迷する理由について「日本の経済社会を支えてきた官僚が、小市民化したことが一つの大きな原因だ」と語っていた。森永さんの著書『官僚生態図鑑』(三五館シンシャ)より、「官僚の中の官僚」と呼ばれる財務官僚の“生態”を紹介する――。
官僚制度に逆風が吹き始めたきっかけ
敗戦後の日本のグランドデザインを描き、奇跡の高度経済成長を実現するなど、うまく機能していた日本の官僚制度に逆風が吹き始めたのは1980年代のことだった。行政改革機運が国中で盛り上がったのだ。
1つのきっかけは、1981年に土光敏夫経団連名誉会長を会長に招いて発足した第二次臨時行政調査会だ。この調査会が、三公社(国鉄、電電公社、専売公社)の民営化や地方議会定員の削減などを盛り込んだ答申を次々にまとめたのだ。
もう1つは、大蔵省が「財政再建元年」を打ち出したことだ。
それまで国債をほとんど発行していなかった日本は、1973年の石油危機がもたらした深刻な不況を克服するため、大規模公共事業を行ない、その財源を国債発行に求めた。
国債の満期は10年のものが圧倒的に多く、10年後には元本を返済しなければならない。だから、歳出削減が必要だと大蔵省が言い出したのだ。
詳しくは『ザイム真理教』でも述べたとおり、本当は、満期が来たら新しい国債に借り換えればよいだけの話なのだが、東大法学部が支配する財務官僚は、経済や金融がまったくわかっていなかった。
さらに、マスメディアも行革ブームを支えた。先頭を走ったのは産経新聞だった。
行革の必要性を紙面で訴え続けたのだ。
そのなかで最初に大きな反響を呼んだのが、1983年に報道した東京・武蔵野市職員の4000万円退職金問題だった。市民感覚からかけ離れた高額退職金を追及する報道は、同市職員の退職金引き下げのきっかけとなった。