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日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

指が覚えている

アナログレコードを業者に頼んでデジタルにした。デジタルの再生音にはあのプチプチと言うノイズまでもしっかり再現されている。そんなCDを聴きながらレコード盤をターンテーブルに載せて針を追い出すという一連の動作を思い出した。LP盤を聞くのだからプレイヤーの回転数は33回転にセットされている。普通の再生ではアームは自動に動くに任すが、二曲目、三曲目を聞こうとすると指先でアームを持ち上げて曲間に針を落とす。老眼には辛い作業かもしれない。いや、その前に盤面にスプレーをしてベルベット生地のクリーナーで拭き上げていた。プチプチという雑音を防ぐ為に。

職場で若い男性が首にかけていた古いキャノンの一眼レフF1が印象的だった。また三年前だろうか、丹沢の山頂でザックを背負った若い女性二名連れに会った。彼女たちはやはりマニュアルの一眼レフを手に、楽しくて仕方がないという顔をして冬晴れの青い空と光り輝く湘南の海を撮影していた。コントラストの強い日だった。素晴らしい色で撮影出来たことだろう。一人はオリンパスのOM2、そして一人はペンタックスMV1を手にしていた。二人とも絞り優先AEの小型軽量機を使っていることがなんとなく嬉しかった。フィルムはキャノンの彼はモノクロ。彼女たちはカラーのネガフィルムと言う。いずれも彼・彼女たちの世代のカメラではないのだから祖父か父親かあるいは中古カメラ店で手に入れたのだろう。

燻ってはいたが彼らに背中を押されたのだろう。まずは放電していた電池を入れ替えた。ファインダーの視野率の大きに改めて驚いた。電子画像ではなくペンタプリズムで反射される実像だった。しかし露出計が動かない。コインでもう一度カメラ底のボタンカバーを外して綿棒と接点復活剤で拭ってみた。露出計は動作した。次にフィルムだった。ネットでも売っているが高い。街へ出たついでにカメラ店に行った。今はカメラ店と言ってもデジタルカメラスマホの画像を印刷する、あるいは年賀状を印刷するといった業種に変わっている。ネガとポジのカラーそれに白黒フィルムが辛うじて置いてあった。

幸いにフィルム一眼は二台持っている。どちらもニコン。機械式シャッターで四千分の一秒という高速シャッターを実現したFM2はメカ感満載だ。ピント合わせも露出合わせもマニュアル。絞り値とシャッター速度は自分で選ぶ。露出が合えばファインダーの中の露出ランプの丸印が点灯する。絞りとシャッター速度の関連を学べるので写真学校の生徒にとって定番カメラだった。しかし最初に手にしたのはニコンでも「ライトニコン」と呼ばれた小型軽量なFG20だった。ファインダーを覗いて絞りリングを回すと針式のインジケータがその絞りに応じたシャッター速度を示す。三十秒分の一以下から速度の色は赤で塗られている。手振れに警戒の意味だった。

二台のうちのどちらが好き?というのも野暮な話だが、やはり小型軽量で絞り優先AEのFG20になろうか。当時のニコンのラインアップでは最軽量だったと記憶する。「リトルニコン」と呼ばれたEMよりも軽かったのだろうか。山梨と東京の県境尾根、小金沢連嶺を大菩薩嶺から初狩駅まで縦走したことがある。ナイロンのテント壁の向こうに鹿の息吹を感じた一人だけの思い出深い縦走だった。その時の旅の友はこのFG20だった。フィルムはヴェルヴィア。レンズはF1.8の50mmだった。新緑の五月をうまく撮影できた山歩きだった。最後の一枚は下山した集落に泳ぐ鯉のぼりを捉えた物だった。三十六枚で撮影は終わりだから無駄うちも出来ずに一枚ずつを考えて撮影したのだった。デジタルになった今はまるで弾薬を湯水のように使うアメリカ軍のように、無限の撮影してしまう。ありがたいのかどうなのかは今も分からない。

裏ブタを開いた。パトローネからフィルムを少し引き出し巻き上げ穴を歯車に噛み合わせながら巻き上げシャフトに絡ませる。失敗すると永遠にフィルムは空回りする。上手くできるだろうか。

なんのことはない。指が全てを覚えていた。三十年のブランクはなかった。FM2にはネガを入れ50ミリで。FG20にはモノクロフィルムを入れ28ミリを選んだ。古びたカメラバックを開けるとニッコール35-70ズームもそして超広角のコシナの20ミリそしてトキナーの70-210ズームも出てきた。レリーズもあった。各種フィルタも。なんだ、昔も凝っていたのだな。安物レンズばかりだが一体当時いくら金を使ったのだろう。

フィルムを巻きあげるレバーの指の動き。絞りリングを回すタイミング。確実にメカニカルな感触が伝わるシャッター。これらもまた、すべて指が覚えていた。デジタルにはない楽しさが自分をその瞬間夢中にさせる。音楽といいカメラといい、すっかりデジタルに慣れ切った自分。さてどんな写真が出来るのだろうか。

巻き取りレバーを引き上げる。フィルムを装填する。少しだけ引っ張り出し巻き取りシャフトに先端を挟み込む。フィルムの溝を歯車に勘合させて蓋を閉じる。フィルム感度を間違えてはいけない。カメラの感度ダイアルをあわせる。あとは撮るだけだ。しかしこのシャッター、なんというメカだろう。全く呆れるほどに魅力的だ。