悩みますが、やはり大変な危機意識があるので、また、やはり学校図書館研究者としての責任があると思ったので、書きます。私はかつて、千葉県市川市で2職種の職務分担についての調査を行い、論文を書いていますが、それは、2職種の制度の肯定、支持という私の態度の確定、とはなりませんでした。
世界的に見て、学校図書館などという小さな組織に2つの種類の職員なり教員なりが配置されているなどという状況は、私の知る限り、日本でのみ、起きています。
今、国際的な各種専門職の養成の連携が起きていますが(ヨーロッパで言うボローニャ・プロセスのような動き)、最近、その動きに、日本は、ガラパゴス島として、参加できなくなるのではないかと恐れています。他国との連携を考えれば、学校図書館の責任者が不明になる上下関係の不明瞭な2職種制はまったく考えられません(もっとも、学校図書館法があるかぎり、司書教諭が「専門的職務を掌」る、おそらく責任者にあたるのでしょうが)。とにもかくにも、現在の法制化運動をなさっている方たちには、養成がこのあと、国際化していく可能性が極めて高いということをせめてご考慮いただければと思います。(一職制を推している人たちの多くは、国際的な視野をもっているから、長年、こう発言しているのだと私は思っています。それは、今や、米国のみを見て言っているのではありません。)
学校図書館専門職の教育的な意義が、長年の、いわゆる学校司書の方たちの活動のおかげで、一般にまで一定程度理解されるようになった今ならば、私は、教育系図書館専門職の司書教諭の専従化が実現可能ではないかとも考えています。現在の熱心な学校司書の方たちも、有資格者であれば、司書教諭として正規で採用され、専門性を発揮して活躍できる、そういう仕組みを作ることが私はベターと考えています。そのときには、司書教諭の養成は、国際標準の学校図書館専門職のものに合わせましょう。(もっとも、従来の運動の形でここまでいきつけるとは思いませんが。)
付け足しておくと、司書教諭が、どうしても、充て職教諭として、学校図書館の仕事に専従しないのであれば、責任者という部分を、学校司書に譲っていただけると、ありがたいわけです。とにかく、責任が不明瞭であることが困ります。二職種の併置、完全に対等な相互補完的職務分担関係、はたまた司書教諭は教育、学校司書は図書館の仕事をする、などというのがが、国際的な視野でみると、困ります。学校図書館専門職は、教育的な職務を行う図書館専門職なのですよ(この日本におけるねじれについては、占領期研究をご参照くだされ)。LIPER研究の第1期の報告書も、このような立場から、司書教諭とも学校司書ともせずに、「学校図書館専門職」とか、「情報専門職(学校)」とか、単一専門職を前提にそう呼んだのだと私は理解しています。
(2012.8.23追記)LIPERの提言を出発点に、司書教諭免許制度の確立を模索した試論に、杉浦良二氏の「司書教諭免許制度に関する考察」『学校図書館学研究』Vol.14, 2012.3, p.23-39.がある。改めてこうした学会での議論を見直して思うのは、政策レベルの議論と学会の議論とが接点がないように見えるのも、日本の学校図書館界の特徴かもしれないということ。根本彰先生は、戦後の日本の図書館界の理論と実践の乖離、についてのスバラシイ論考を著しておられるが、図書館の現場と学会だけでなく、文教政策と学会にも乖離があるのかもしれない。これは、「専門家」と政策立案の話につながるね。
(2012.94追記)ボローニャ・プロセスのような動き、と書いた部分について、今日、中教審答申をぱらぱら見ていたら、わかりやすい図があったので、ご紹介。ここの大学教育の質的転換に向けての中教審答申の、資料編(5/9)の「世界の高等教育の質保証に関する動向」です。ついでに、資料編(6/9)には、千葉大と上智大の図書館の機能強化の取り組みが紹介されておりまする。やっぱり、この中教審答申みていても、大学教育の実質化ということが、どうやっても逃げられなくて、その中で、司書"課程"なり教職"課程"なりの居場所とかって、もう、あと10年無いんぢゃないかねえ。かたちだけの資格付与とか、もうやる隙間が無いよ。。