かって保守系SNS『
my日本 -日本に誇りを持つ仲間たちのネットワーク-』(2019年7月末閉鎖)内の【理論派保守を目指そう!】コミュニティ等で、盛んに展開・議論された
保守主義に基づく政治理論・憲法理論(及び関連する経済問題・歴史問題)のトピックを収集し保存・拡張するサイトです。
【理論派保守を目指そう!】コミュニティ説明文
政治思想・政治理論について総合的に考察するコミュニティ。
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☆主な内容☆彡
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保守vs.リベラル(コンサバティズム(保守主義)vs.リベラリズム(*1))
右翼vs.左翼
デモクラシー(民主制)vs.モボクラシー(衆愚制)
自由主義vs.全体主義
日本主義vs.アジア主義
etc.
といった様々な政治的立場や思想を表す用語の定義を、主として英語圏の辞典類(*2)から対比的に列記し、その内容に検討を加える。
(*1)「リベラリズム」は政治思想分野における現代的な用法では「マイルドな社会主義」を意味し、日本語の「自由主義」とは完全に別物なので要注意。
(*2) 要は、政治・思想用語について自己流の定義を各自がバラバラに行っていては、話がいつまでも噛み合わず進展がないので、まずは英語圏の標準的な用語定義を皆で共有しましょう、というコンセプトです。
因みに広辞苑その他の日本の出版社の辞典類の定義は、執筆者の多くが左翼思想に偏向しており、故意に歪んだ内容となっているものが多い。
(例えば「通州事件」を掲載している日本語辞典は私の知るかぎり存在せず、わずかに研究社の和英辞典に項目があるだけ。)
※なお日本の出版社が刊行している辞典類の用語定義の歪み(具体例)については、日本の思想問題の各トピックを参照。
【理論派保守を目指そう!】コミュニティ構成とテーマ
<目次>
■1.政治思想の諸概念(整理・図解)
※全体の基礎となる諸概念/理念の用語の定義と関連性をまず整理する。
※具体的には以下のトピック参照
■2.西欧保守主義と、日本の思想問題・歴史問題
※このコミュニティは、大きく分けて以下の二本立てで構成されている。
◆(1).西欧保守主義と、それに関連する様々な西欧思想のトピック
◆(2).日本の思想問題と、それに関連する歴史問題のトピック
※上記(1).(2).を踏まえて以下の着想に至る。
◆(3).日本思想と西洋思想の統一的把握【試案】
■3.両者の接合上の問題点、及びそれに対する考え方
◆(1).保守主義と、自由主義・個人主義・デモクラシーの関係
《問題点》
西欧保守主義の本質は、自由主義・個人主義・デモクラシーの肯定にある。
⇒ ところが、日本の「保守」論客には、自由主義・個人主義・民主主義を否定的に捉える者がかなり多いように見える。変ではないか?
【考え方】
日本の「保守」論客の批判している「自由主義」「個人主義」「民主主義」の内容をよく読むと、ルソー以降に左翼によってその意味を歪曲されてしまった「(左翼的意味の)自由主義」「(アトム化された)個人主義」「(衆愚化した)デモクラシー(=モボクラシー)」のことであることが分かる。
これは、「自由主義」「個人主義」「民主主義」という言葉が、日本でも一般的に使用されるようになった大正時代(大正デモクラシー期)には、これらの言葉は、既に西欧社会においても左翼によってその本来の意味を歪められてしまっており、日本の「保守」論客たちは、それらの政治思想・概念を、本来の意味ではなく、もっぱら歪曲された意味で理解してしまったことに原因があると思われる。
ハイエクやポパー、バーリンらの真正の自由主義者(本来の自由主義者)による「左翼によって歪曲された」政治思想・概念への痛烈な(そして左翼側にとっては致命的な)批判は、第二次世界大戦中あるいはその直後にようやく日の目を見たものであり、このコミュニティでは、彼ら(ハイエクやポパー)の必勝の論法を是非ともマスターすることを強く推奨している。
しかし、これらの左翼批判を受容していない(要するにハイエクやポパーを読んでいない)日本の「保守」論客たちは、いまだに単純で(私見では、残念ながら余り説得力があるようには思えない)従来どおりの紋切り型の「自由主義」「個人主義」「民主主義」批判を繰り返していると思われる。
この点に関する不都合は、戦前から戦後にかけての日本の代表的な保守主義者である平泉澄博士の著作についても残念ながら当てはまることである。(平泉博士はハイエク・ポパーと同時代人であることから、バークのルソー批判までは受容していても、ハイエク・ポパーの全体主義批判までは受容できなかったことに起因)
従って、結論として我々は、
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①日本自生の保守主義の理解のみに立脚するのではなく、
②西欧保守主義の伝統にも立脚し、
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これを左翼・全体主義を完膚なきまでに論破する最上のツールとして是非とも活用すべきである。
◆(2).保守主義と、ナショナリズムの関係
《問題点》
西欧保守主義は、ナショナリズム(=右翼思想)とは区別されるのが普通である。
⇒ ところが、日本の「保守」論客には、「ナショナリズム」を強調する者が多いように見えるが、これをどう考えるのか?
【考え方】
「ナショナリズム」の定義を確り抑えずに、やたらに「民族主義」という言葉を使っているケースが多いように思う(※なお実際には nationalism の訳語として「民族主義」よりも「国民主義」の方がより適切である)。
普通に祖国や自国民、自国の文化・伝統・歴史などに愛着を持つことは、西欧保守主義でも当然視されており、これを「パトリオティズム」とは表現しても、「ナショナリズム」とは通常は言わないはずである。
日本の問題はむしろ、西洋であれば「保守」ではなく「ナショナリスト」「右翼」と呼ばれるべき主張を持つ人物・組織が、「右翼」という言葉にマイナス・イメージが定着しているために、文字通り「民族主義者」であるにもかかわらず「保守」と自称している者が非常に多く、その結果、「保守(アンチ全体主義)」と「右翼(ナショナリスト)」が著しく混同されている点にあるのではないか。
つまり、日本においては、
①単に「パトリオティズム」である祖国愛を、「民族主義」と勘違いしている保守主義者
②西欧保守主義の基準では、「ナショナリスト」「右翼」なのだが、「保守」を自称する者
の二種類がおり、それらの者の主張内容を確り吟味し、「保守」なのか「右翼」なのか識別する必要がある。
■4.文章・内容の難解さについての弁明
このコミュニティは、左翼(およびそれから転向した右翼)の全体主義思想の論破に主眼を置いている。
①西欧の政治思想における、J.-J.ルソー
②日本の政治思想における、丸山眞男
各々の思想である。
通常、保守派は、ロジックではなく人々の自然な感情に訴えることを得意としており、それに対して「左翼」はロジック(本当は屁理屈なのだが)を捻くり回して「(こうしたロジックの分からない)保守派は馬鹿だ・低級だ」とする態度に出るのは、我々がよく目にするところである。
保守派が感情に訴えることをメインとすること自体は、相手によっては効果もあることであり、重要なことである。
しかし、ロジック面においても左翼を圧倒しておくに越したことはない。
こちらのコミュニティの狙い・テーマは「理論派保守」の名称のとおり、そこ(ロジック面でも左翼・全体主義者を凌駕すること)にある。
いわば、ロジックを積み上げるという左翼の土俵に乗った上での相手の殲滅を目指しているのである。
従って、感情面からの受容をメインとする保守派の方々には、どうしても「難解」「詰まらない」と感じられるのは仕方のないことと割り切る必要がある。
■5.もう一つの隠れたテーマ ~ 右の全体主義
上では、このコミュニティの狙い・テーマとして、左翼・全体主義のロジック面からの殲滅を強調したが、実は全体主義者は左翼だけではない。
歴史の教えるところによれば、「左翼」が殲滅された昭和10年代の日本において、当初は「右翼」と一括りに言われた者たちの中に、今度は「観念右翼(保守主義者)」と「革新右翼(国家社会主義者)」の対立が起こり、「左翼」からの転向者を大量に包摂した「革新右翼」が「観念右翼」を凌駕して、日本を支那事変そして大東亜戦争へと続く泥沼に引きずっていくという悲劇が起こっている。
事実は、「左翼(=社会主義者)」が「愛国心(=この場合はナショナリズム)」に目覚めて、「両翼(=ナショナリズム+社会主義=national socialist」に変身した、ということであり、national socialist すなわち国家社会主義者(=全体主義者)が、「観念右翼」と呼ばれた「保守主義者」「(本来の意味の)自由主義者」を圧倒してしまったのである。
様々な情報に接することが可能な現在のネット環境では、これまでのようなサヨク(反日的な左翼)であることは困難であり、彼らも早晩「愛国心」に目覚めて「両翼(ナショナリズム+社会主義)」に転向するだろう。
だけれど、それではまだ(というより余計に)不味いのではないか。
「両翼」が必要と言っている(左翼あるいは右翼の)方々は、是非とも歴史に学んで、自他共に認める「保守」に成長して欲しいと切に願うものである。
↑上図のとおり、全体主義(「右翼」と「左翼」)と、自由主義(「真正保守」と「真正リベラル」)の対立関係をきちんと理解すること。
政治思想の対立軸は、右翼vs.左翼 ではなくて、全体主義vs.自由主義 であること、をきちんと理解することが、結局このコミュニティの最大のテーマである。
※参考図表
△政治的スタンス毎の経済政策(国民負担率に着目)
|
政治的スタンス |
(経済政策) |
国民負担率の目安 |
補足説明 |
(1) |
リベラル右派 |
(最低限の政府介入) |
10%台 |
※ハイエクのスタンス |
1870年代までのイギリス |
(2) |
保守主義 |
(中負担・中福祉) |
20%台 |
|
1970年代までの日本 |
(3) |
中間 |
(無定見・便宜主義) |
30%台 |
|
現在の日本・アメリカ |
(4) |
リベラル左派 |
(やや高負担・高福祉) |
40~50%台 |
※ケインズのスタンス |
英・独など欧州主要国 |
(5) |
左翼・右翼 |
(高負担・高負担) |
60~70%台 |
※社会民主主義者のスタンス |
スウェーデンなど北欧諸国、仏、準戦時体制 |
(6) |
極左・極右 |
(国家管理) |
80%以上 |
※マルクスのスタンス |
旧ソ連/東欧など共産主義国、戦時体制 |
↑このように、その志向する経済政策に着目すると、極右/極左、右翼/左翼がそれぞれ相似関係にあり、かつ保守主義/リベラル右派が実際には比較的近い関係にあることがよく分かる。
↑私見では、上トピックにある所謂「日本国憲法 新無効論者」に関しては、思考パターン・行動パターンが非常に価値一元主義(親・全体主義)的であり、「左の全体主義」が衰退した後に登場する「右の全体主義」の類型に該当する恐れが強いので、注意されたい。(戦前に、左翼が壊滅した後に登場した革新右翼と親和性が高い・・・「伝統を過渡に強調するが、その実態は革新思想」)
■6.憲法問題・法理論
2013年以降の追加トピック。
上記の政治思想・政治理論を踏まえて、憲法を始めとする法と権利・自由に関する諸説を比較・検討し整理。
とくに戦後日本の憲法論の主流となってきたドイツ法学由来の「法=主権者意思(命令)説」の誤謬を暴くとともに、英米圏で主流となっている「法=社会的ルール説」への理解を促す。
△「法=主権者意思(命令)説」(法段階説)による法体系(旧ドイツ法学の法体系)
※図が見づらい場合⇒こちらを参照 |
※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。 このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。 (※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。) |
△H.L.A.ハート「法=社会的ルール説」による法体系(現代の世界標準の法体系)
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最終更新:2019年12月19日 16:42