名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集) 昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 |
物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫 『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回、第2回、第3回) (略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。 成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。 昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄 ---- 上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。 この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「少年日本史」の文庫版である。 |
丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本 この本は、最速!理論派保守☆養成プログラムでも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。 なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。 また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 |
「皇国史観」(赤旗)という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 |
そして、その内容としては、 |
1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、 2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ(昆野氏論文) |
の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 |
これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、 「一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)があると述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 |
なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 <1>彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 <2>国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった) 、と素直に認めればよいのである。 |
「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著 ※amazonの内容紹介より一部引用 「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。 だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。 “虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。 「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 |
宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 | ||
(1) | 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) | 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 |
(2) | 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 | 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 |
(3) | 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 | 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 |
日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。 ※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用) 1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義 2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 |
宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 |
先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。 昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。 ※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 |
“神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK ※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。 橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。 →つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 |
『昭和の思想』(植村和秀:著) ★評価 2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。 (以下amazonより引用) ・内容説明 昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る ・内容(「BOOK」データベースより) 「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。 ・目次 第1章 日本思想は二つ以上ある 第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄 第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男 第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄 第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派 6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜 第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 |