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自分さえ良ければいいのか 視標「トランプ大統領就任」

2017年02月18日 18時47分
同志社大大学院教授 浜矩子

 ここまで言うか―。

 ドナルド・トランプ氏の米大統領就任演説を聞きながら、こう思った。この人のことだから驚きはしない。だが、それにしても何と身もふたもないことか。

 最も耳に残るのが次の一文だ。「保護は、大いなる富と力をもたらす」

 あからさまな保護主義の勧めである。このくだりの前には次のように言っている。「我々の製品をつくり、我々の企業を盗み、我々の雇用を破壊する国々の略奪行為から、我々の国境を守らなければならない」

 そして、この一連の怪気炎の最後に、次の宣言が来る。「我々は二つの簡潔な規則を守っていく。バイ・アメリカン、そしてハイヤー・アメリカンだ」。ハイヤー(hire)は雇うという意味だ。愛国消費と愛国雇用に徹するというわけである。

 「今日からは、ひたすらアメリカ・ファースト(米国第一)だ」とも言っている。これでもかというくらいに、単純明快だ。ここまで分かりやすい演説をどう論評すればいいのやら。深読みも浅読みも、何読みもない。はい、そうですか。そう言うしかないだろう。

 この単純明快男を相手に、グローバルな経済社会は、どのように対応していけばいいのか。なるべくお付き合いしないのが一番楽そうである。だが、そうはいかない。

 筆者はかねがね、グローバル時代は「僕富論(ぼくふろん)」対「君富論(きみふろん)」の綱引きの時代だと考えてきた。言うまでもなく、英経済学者アダム・スミスの「国富論」をもじらせていただいた。

 僕富論を言い換えれば、「自分(僕)さえ良ければ」。君富論を言いかえれば、「あなた(君)さえ良ければ」である。

 国境を越えて経済活動が広がるグローバル時代は、誰もが「君富論」に徹しなければ存続不能だ。誰もが「僕富論」を前面に出してしまえば、グローバル時代は暴力的な終焉(しゅうえん)を迎えるほかはない。それが今日的現実だ。

 こう確信する筆者の目の前に、全面的な「僕富論」人間が出現した。なんとおぞましいことか。もっとも、「僕富論」男は、この人ばかりではない。トランプ氏が「アメリカを再び偉大にする」と息巻けば、日本の安倍晋三首相は「強い日本を取り戻す」と大見えを切る。いずれ劣らず、「僕」のことしか考えていない。フィリピンのドゥテルテ大統領も、かなりの「僕富論」男だ。

 ここで思い出すのが、オバマ前大統領の2009年の就任演説だ。あの時、彼は「今や、子どもじみた振る舞いと決別する時が来た」と言った。新約聖書からの引用である。「僕富論」は、明らかに子どもの行動原理だ。「君富論」には、成熟した大人の感性を要する。大人たちは、今、どこに? (演説訳は筆者)

 (2017年1月21日配信)

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