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特集 1 ◆グローバル化における「パワーシフト」への対応 パワーシフト ─国家不安、領土紛争とゼノフォビア─ 羽場久美子 序.パワーシフトと大国の興亡 つ目は、日本の東北災害である。筆者は震災後 ローマ帝国は500年で滅亡した。大英帝国は 1年間をハーバードで過ごしたが、ハーバード 300年、アメリカはあと100年持つであろうか。 を核とする自然災害と原子力発電所の事故に対 i 滅亡しない大国はない 。Power Shift は、より する自然科学者・社会科学者の日本以上の関心 大きな歴史的文脈を持って検討されなければな の高まりと社会的責任、多元的分析に接し、日 るまい。 本の対応の遅れと欧米の「人類的課題」として 21世紀に入りまだ13年しかたっていないが、 の取り組みとの違いを痛切に感じた。震災を機 世界で起こっていることは、近代の200年~ に世界では、自然災害と原発事故はより「人類 300年を超えるような本質的な国際関係の変化 の普遍的課題」として語られた。即ち「世界一 を予兆させる。それがパワーシフトであり、パ の安全」を誇る日本の高度に成長した科学技術 ワーの価値を含む総合的変化であろう。明らか も、自然の力の前にはいかに無力であるか、そ に、軍事力から経済力へ、さらに新世紀と地球 して人類が作り出した原発に人類滅亡後もどう の変化を読み解く知識と技術(社会科学を超え 責任を取るか、という極めて重い課題を突き付 た総合的地球分析情報技術)へと、パワーの実 けられたのである。さらに五つ目は、それらを 態が変化しつつある。 後目に成長する、中国、インド、アジアの経済 最初に、グローバル化の下でのパワーシフト の予兆として筆者は七点を掲げたい。 26 る西側先進国の頭打ち状態を象徴している。四 発展である。 これらが総体として、19世紀以来作り上げら 一つ目は、テロとイラク戦争、いわゆるハー れてきた、欧米によるModernization(近代化) ドセキュリティからソフトセキュリティの変 に、根本的修正を迫っている。 「近代の超克」 、 化、核やミサイルによるハードセキュリティの ポスト近代は繰り返し語られてきたが、現在の 限界と、市民の背後に敵が隠れているとみなす 危機は、より長期的かつ根源的課題を人類につ 安全観の転換である。二つ目は、 リーマンショッ きつけている。なぜなら、一つにはポスト近代、 クと財政危機、ドル基軸通貨の破綻と世界への 欧米の叡智が、古代からの歴史的な大国地域で 金融危機の広がりである。三つ目は、ユーロ危 あるアジア-中国・インドによって超克されよ 機。すなわちドル基軸通貨に対抗してユーロを うとしている事実、今一つは福島の原発に象徴 導入し、拡大と深化によって経済的にアメリカ されるように、人間の科学技術は地球に責任を を超えた欧州の多国間制度における財政政策の 持てるか、という根本的問いをも提起したから ゆきづまりである。これらはいずれも、いわゆ である。Future Earth の提案にも繋がる。 学術の動向 2014.1 PROFILE 羽場久美子 (はば くみこ) 日本学術会議第一部会員、青山学院 大学・大学院国際政治経済学研究科 教授、東アジア共同体評議会副議長、 日本政治学会理事、 日本 EU 学会理事。 専門:国際政治学、拡大 EU・NATO、 東アジア共同体 六つ目は、こうした中でグローバリゼーショ ンに対抗するかのように成長するナショナリズ ムとゼノフォビア(外国人嫌い)の高まりであ る。欧米で移民の流入と定住に対して広がる極 右やナショナリズム、近年のゼノフォビアの動 き、また、昨年来急速に日本や極東で成長して いる反日、反中、反韓の動きと、尖閣、竹島、 彼は、パワーとは、 北方領土の問題である。否応なく広がる国境の 近代欧米の発展に象徴 解放と、グローバル化の進展の中で、政治の無 されるように、大きく 力に抗うかのように、人々の間にナショナリズ は、知力(科学技術) 、 ムとゼノフォビアが広がっている。 軍事力、経済力からな 七つ目は、状況打破の動きといえようが、近 り、近代欧米は、この 知力 経済力 軍事力 図1 年、網の目のように広がるFTA、EPA、TPP 知力、軍事力、経済力のトライアングル(図1) など地域を超えたトランスリージョナルな自 を達成することにより世界での影響力を実現し 由貿易協定締結の動きである。中台FTA、日 たと述べる。19世紀から20世紀にかけては軍 中通貨直接交換、アジア通貨構想、米欧FTA、 事力、20世紀から21世紀にかけては経済力が TPPなどの相次ぐ開始は、政治的に敵対して 重要性を持ってきたが、21世紀は、軍事力では いても、経済的なProfit や市場の拡大を求めて、 なく、知力(総合力、世界展開、継続性)が重 FTAや通貨の共同が網の目のように広がりつ 要な意味を持つとされる。なぜなら、軍事力の つある事実を示している。経済的利益は政治的 拡大は敵を造るが、経済力は共に利益を得るこ 対立を超え、 Win-Win を作りうる。これがパワー とができる、さらに知力は、総合力を持ち、世 シフトの軋轢を突破する一つの解決方向ともな 界展開とサステイナビリティを合わせ持つから りうる。 である。 パワーシフトの転換期として、21世紀が重要 な意味を持つのは、冷戦期の米ソ対立がイデオ 1.Power Shift とはなにか ロギー(知力)と軍事力(核の均衡)の対立であっ パワーシフトとは何か。最初にPower Shift と題する著書を出したのは、アルヴィン・トフ ii ラーの『パワーシフト』 (1990)である。 学術の動向 2014.1 たのに対し、現在は経済力が大きな力を持ち、 アメリカの軍事力はもはや世界制覇の象徴では なく、欧州の「規範力」に対抗されつつあるこ 27 特集 1 ◆グローバル化における「パワーシフト」への対応 とである。また、BRICsとりわけ中国・インド をわずかに抜いた。しかし2012年のGDPは、 は経済的成長に加え、知力、科学技術力の養成 2013年5月に発表されたが、東日本大震災の影 においても、米欧のトップ大学に若者を留学さ 響もあり、中国は日本の1.5倍近くとなり、ア せ、国家戦略として猛烈に追い上げを図ってい メリカの2分の1に迫った。中国がアメリカ ヒュンダイ ることである。韓国の現代、サムスンは、安さ のGDPを抜く年は2030年とされていたが、い のみならず技術力と信頼で、アメリカ・日本を まや2020年あるいはそれ以前とも言われてい 凌ぎつつある。中国はロシアと異なり、冷戦期 る。 「その前に何かが起きる」という議論も盛 より存在した世界の5,000万~ 7,000万人(2010 んである。パワーシフトは緊張と脅威を生んで 年)の華僑・華人と連携し、中国経済は広く資 いる。 本主義世界に浸透し、科学技術分野でも優秀な アンガス・マディソン(イギリス出身のマク 人材を育てている。ハーバード大学、オックス ロ経済学者でオランダの教授であったが、2010 フォード大学を初め米欧の至る所に、数千、数 年に死亡)は、実に興味深いマクロ経済統計を 万、数十万人の中国人・インド人たちが留学し、 次々と発表し世界的に著名になった。彼は国民 BA、MA、MBA、PhDを取り、帰国して官職 総生産を示すGDPを、近代初期、中世、古代 につき、また、世界の主要研究所でも頂点の座 までさかのぼり、経済、軍事、文明力を合わせ を押さえつつある。日本の学術組織も危機感を て数値化し、2007年に出した遺作となった最 持ってこれに対処する必要がある。 後の研究書では、西暦1年から2030年まで実に 軍事力から経済力、 そして知力へというパワー 2,030年間の国別経済統計をはじき出した。 シフトとともに今一つのパワーシフトは、欧米 そこで彼は、第一に、2030年にはアジアが世 先進国からアジア「新興国」へ、より正確には 界のGDPの半分を占めるという、現在では所 中世・古代の「大国」への「回帰」のパワーシ 与の予測を統計数字によって明らかにしたが、 フトである。アンガス・マディソンのいう、ア 併せて第二に、その200年前の1820年、アジア ジアの成長は「奇蹟」ではない、より大きな文 は世界のGDPの半分を占めていたことを統計 脈の歴史への「回帰」であるという所以である。 により明示した(表1) 。それを立証するために 彼は、西暦1年から将来までの2030年間の統計 2.アンガス・マディソンの世界統計、 パワーシフトと境界線 パワーシフトは、既に世銀やIMF の統計で も 見 て 取 れ る。2010年、 中 国 は 日 本 のGDP 28 を算出した。そこで明らかになったことは、こ の200年を「例外」として、アジアが世界の富 と経済力文化力の半分をほとんどつねに占めて iii きた、という事実であった。 彼は、併せて西欧のoff-shot としてのアメリ 学術の動向 2014.1 表1 1 の世界統計 GDP, 1820‐2030 (%) (*USA) Angus Maddison の世界統計 • • • • • • • • • 第一次世界大戦は、サライェヴォ での一発の銃声が、フランツ・フェ GDP, 1820-2030 (%) (*USA) year 1820 1870 Western Europe 23.0 33.1 W t Western offshoots* ff h t * 1.9 1 9 10.0 10 0 Asia(incl. Japan) 59.4 38.3 Eastern Europe 3.6 4.5 Former USSR 5.4 7.5 Latin America 2.1 2.5 Africa 4.5 4.1 1950 26.2 30 7 30.7 18.6 3.5 9.6 7.8 3.8 1973 25.6 25 3 25.3 24.1 3.4 9.4 8.7 3.4 ルディナンド皇位継承者を倒し、当 2003 19.2 23 7 23.7 40.5 1.9 3.8 7.7 3.2 2030 13.0 19 8 19.8 53.3★ 1.3 3.4 6.3 3.0 時の欧州のパワーバランスの大きな 変動が起こった。それが、オースト リア、ドイツ、ロシア、フランス、 イギリスへと数珠つなぎの参戦を呼 び、世界大戦となった。背景には、 ハプスブルク帝国、ドイツ帝国、ロ シア帝国、そしてオスマン帝国の衰 カの経済統計を取り、1820年の統計では、ア 退と、民族独立運動の醸成というパワーシフト メリカは、1.9%、 「ほとんど何でもなかった の前兆があった。 almost nothing」ことを示した。 第二次世界大戦は、1938年のドイツのズデー 長い人類史のGDP統計の中では、欧州の繁 テン侵攻とミュンヘン会談の「融和」 、39年の 栄の300年、アメリカの100年こそ「例外」で 独ソ不可侵条約とポーランド侵攻による独ソ戦 あり、人類の富は歴史的にアジアにあった。 「ア の開始が世界戦争の幕開けとなった。即ち、世 ジアの成長は奇蹟ではない、回帰である」とい 界戦争はいずれも、大国のパワーの拡大と衰退、 う事実は、統計によって立証されたのである。 及びパワーバランスの変化と境界線・辺境地帯 これらすべての事実が、21世紀初頭の中国・ インドの急速な台頭を裏打ちし、追われる先進 での衝突により、局地から世界に広がったので ある。 国の不安と、脅威感を呼び覚ます。パワーシフ トが進行する中での、パワーバランス(Power Balance)の不安定化である。パワーの転換期 には、歴史的にも、辺境・国境線地域での衝突 が起こり、それは往々にして、領土紛争に発展 してきた。 筆者は、博士論文を第一次世界大戦における 帝国の崩壊と革命について研究したが、第一次 世界大戦、第二次世界大戦は、いずれも辺境の 国境地域の紛争から始まった。 学術の動向 2014.1 3.21世紀のグローバル化は 新興国に有利か? 1970年代の資源の有限とオイルショックに 始まるグローバル化は、アメリカ主導で拡大し、 80年代の多国籍企業の広がり、90年代の情報 化革命と東欧革命、ソ連の崩壊を招いた。 しかし21世紀のグローバル化は、 「競争力」 の拡大を招き、それは先進国を追い上げてい 29 特集 1 ◆グローバル化における「パワーシフト」への対応 る。競争力の三つの条件は、 「①安い労働力、 は境界線をめぐって無限に存在し、それが歴史 ②安い商品、③広大な市場(生産市場・消費市 的にも繰り返し戦争の原因となってきた。 (羽 場) 」 である。1ドルショップ、1ユーロショップ、 場、2013)iv 100円ショップが世界に広がり、新興国が、上 二つの世界戦争の後、欧州は廃墟となった 記三つの競争力を持って、先進国に挑戦を迫っ 諸都市を目の前にして「固有の領土」をめぐる ている。この三点は、実は20 世紀においては 不毛な争いをやめること、 「領土の凍結status 「貧困」の象徴であった。それが現在「競争力」 quo」を全欧安保協力会議のヘルシンキ宣言で として先進国を追い越す力を付けてきている。 取り決めた(1975年) 。それは東西ドイツが分 その源泉は、 「知力」 、侮れない技術力である。 断されているときであったが、ブラントとシュ それを持たない中部アフリカなど最貧国では、 ミットはそれを「屈辱を持って」 、しかし将来 上記三点の条件は未だに貧困の象徴のままであ の「平和的変更の可能性」を期待しつつ承認し、 る。 「知」がいかに「貧困」の条件をパワーの それによってドイツは欧州に受け入れられたの 源泉に転換させたかの象徴でもある。 である。 境界線の「無主地」は、通常、境界の「目印」 4.パワーシフトと、領土問題 ─なぜ今、領土問題か? どちらにも属さない地点であることが多い。 尖閣、竹島が、歴史問題であるというのは、 2010年、まさに中国が日本をGDPで追い抜 それ自体が近代のパワーシフト、日本の軍事的 いたころと相前後して、日本と西の隣国三か国 拡大によって抑えた領土であることに由来す との間で、境界線問題が再浮上している。知の る。通常、19世紀の末や20世紀初頭の近代化 ネットワーク形成の時代に、日本は隣国三国を の過程で獲得した領土を「固有の領土」という 相手に、古典的な領土をめぐる紛争を繰り広げ ことは欧州ではまずあり得ない。19世紀末から ている。これもパワーシフトの中で起こってき 20世紀にかけて、中国と日本のパワーバランス ていることと見做すことができる。 が変化した時に、日本がここを押さえたように、 今、なぜ「固有の領土論」なのか? 21世紀初頭、中国、韓国の力の拡大、日本の相 ここで「固有の領土」論を展開する紙幅はな 対的衰退の中で、逆に中国・韓国がここを要求 いが、 「固有の領土」とはもともと古代、先住 30 であり、境界の領土、峠、峰の頂上、岩礁など、 し始めたと考えたほうが現実に即している。 民が、どちらの民族であったか、歴史的(基本 GDPの2 位と3位の地位の転換がこれほどま 的に中世以前)にどちらの領土であったか、を でに影響を与えているのも、21世紀のパワーが 争うものである。欧州には「固有の領土論争」 もはや軍事力ではなく経済力に変化しつつある 学術の動向 2014.1 ことを示している。しかし最初にも述べたよう に、今や経済力を超え、知の質が問われる時代 に入っている。知力においても、中国が日本に 5.ゼノフォビア(外国人嫌い)の 成長 ─心と国境、二つの境界線 量的・質的に転換を迫りアメリカにも迫りつつ Xenophobiaとはギリシャ語であり、xenos(よ あることが、パワーシフトであり、アメリカで そ者)+phobos(嫌悪)から由来し、もともと ジョセフ・ナイが『ソフトパワー』 (2004) 、 『ス 境界線地域における、あるいは自他を分ける心 マートパワー』 (2011)v を言い始めた所以であ 理的境界線としての「異質者への嫌悪」を指す。 る。スティグリッツが『世界を不幸にする戦争 1)ハンチントン『文明の衝突』vii は、冷戦後 経済』 (2008)で算出したように、イラク戦争 ソ連なき世界において、民族地域紛争・文明の で「ブッシュは3兆ドルをどぶに捨て」るほど 対立が軍事対立を招くとして、文明の境界にお の戦費を使用した vi。軍事力優位のパワー評価 ける fortress(要塞)の存在を主張した。これ の衰退の始まりであり、経済力、知力、海外留 らは、ソ連に代わる異質者に対する「排除の論 学生の数、国際機関占有の数がパワーの内実を 理」 、イデオロギーから文明へ、心理的境界へ 示すようになった。まさに知への「パワーシフ と敵対が変化したことを示していた。ゼノフォ ト」の始まりである。 ビアの始まりでもある。文明の衝突における 対立の安定化の根拠は、ヘルシンキ宣言に 見られるように、 「領土問題の凍結status quo」 であり、EC(欧州共同体)の創設に見られた ような、 「資源の共有」であった。 筆者はEC/EUの研究者であるが、21世紀は、 xenos の対象は、 中東(イスラム)と中国(儒教) であった。 時同じくして、90 年代の半ば以降、ヨーロッ パでも極右政党が成長し、 「心の境界線」を煽っ て失業者や移民を警戒する層の不満や不安感 国民国家は残りつつもそれを超えた多国間協調 を掬い取っていった。その主張は領土問題と近 および地域統合、地域間ネットワークの時代で 似しており、自己と他者の間に境界線を引き、 あるということができる。グローバル化の中で、 「よそ者、 奴ら」vs「我々」を対峙し対立を煽り、 一国の政治力ではもはや問題を解決することは それによって選挙の票を獲得した viii。 難しく、地域の共同と地域を超えた多国間の共 2)西欧で世紀転換期以降、急速にゼノフォビ 同なしに問題を解決していくことができにくく アが広がったのは、グローバル化の中での移民 なっているからである。しかし、その結果、緊 の増大とそれが市民生活を暗に陽に圧迫し始 張がいま一つ別の形で表れつつある。それが先 めたと受け取られたからである。 進国の「ゼノフォビア」である。 移民の受け入れは、冷戦終焉後に、特に欧州 で爆発的に拡大した。 学術の動向 2014.1 31 特集 1 ◆グローバル化における「パワーシフト」への対応 ①冷戦終焉後の東欧移民の受入れは 100 万人を シフトについても触れたがここでは割愛する。 ) 超え、 ドイツ等での移民制限を生んだ。しかし、 以上のように、近年の、東欧、イスラム、中国 結果的には同化し、白人でもあり、心理的差別 をめぐるゼノフォビアは、いずれも冷戦の終焉 はともかく、 視覚的には問題を拡大しなかった。 と先進国の衰退、新興国の成長とパワーシフト 他方、 と暗に陽にかかわっているのである。 ②イスラムとの対立、アラブ、カラードとの 対立は、その後 2001 年の 9.11 を挟み、顕在化、 長期化することとなった。ヴィジュアル化の問 題は、 「市民権」を得たカラードの差別と、ホー ムグラウンドテロリズム(市民権を得た二世が 2015年、アジア経済はEU、NAFTAを抜い 国内でテロを起こす)要因ともなった。 て世界一となり、2020年、中国はアメリカを抜 3)アジアでも、 特に北東アジアで、 21 世紀以降、 く、とされる。アメリカでは「恐怖を抱くな」 中国の経済成長、さらに軍事的成長を警戒する とジョセフ・ナイは語っているが、米中の力関 形でゼノフォビアが広がりつつある。移民問題 係が転換する前に、日中の尖閣問題と同様、台 は、もともと「排除の論理」だが、欧州では経 頭する中国と停滞するアメリカとの間に、 「何 済的・心理的な問題として、アジアではむしろ、 かが起こる」可能性がある。パワーシフトは、 歴史的領土問題として、顕在化している。 政府だけでなく、国民の間にも、広く緊張と抗 日本と中国、日本と韓国、日本とロシアとの 対立は、冷戦終焉後、特に 21 世紀の 10 年目に 32 6.2015 年、アジア経済は EU、 NAFTA を抜く 争を生むからである。 アジアは、21世紀14年目に入り、経済的には、 入って以降、顕在化している。それはグローバ IMF、World Bank、経済産業省、あらゆる統 ル化、パワーシフトと密接にかかわっていると 計が、総体として、EU、USA、NAFTAを抜 言えよう。 きつつあることを立証している。そして、その とりわけ、日本が周辺三国すべてと領土対立 経済力が知力と融合して、Power Balanceの変 を起こしている事実は、経済的にはドイツと同 化を起こしていることが、現在の不安定さの原 様安定した経済力で地域経済をリードしてきた 因でもある。 だけに、近年、領土問題で孤立化を招いている 日本のように「脱亜入欧」を断行した国でな のは問題であり、日本の戦略としても成功的で く、アジアの旧植民地国が、欧米化せずイスラ はない。これには東アジアにおけるパワーシフ ムも飲み込みながら、アメリカ、欧州を追い越 トと中国成長の脅威が直接にかかわっている。 すという事態は、まだ米欧ともに経験したこと (報告では、冷戦期米ソのパワー対立とパワー がない歴史的事実であり、 「理論的には」あっ 学術の動向 2014.1 てはならないことでもある。 相互信頼(Mutual Trust)であろう。これには 欧米による、文明化と近代化、の否定と歴史 政、官のみならず、とりわけ学、大学や学生レ の見直しが、例えばオリエンタリズム、あるい ベルでの共同研究や学術交流が不可欠である。 はユーロセントリズム批判として様々な形で始 第二は、資源の共同開発と共同管理(海底油田、 まっている。尖閣、竹島の対立は、台頭する中 海底ガスの開発)である。これも既に共同の開 国の最前線にいる日本との、ポスト冷戦の、新 発計画が始まっている。第三は、それらを基盤 しい代理戦争の様相も呈している。2013年5月 とした多元的地域協力、地域統合(和解、紛争 に出た2012年のGDPでは、日中韓のGDPはア の制度化-戦争の回避)である。これらは、歴 メリカのそれに並び、おそらく来年の日中の 史的に新しいことではなく、第二次世界大戦後、 GDPは、アメリカを凌ぐが、そうした二国間共 3,000万人を超える死者の上に、欧州がやって 同が成功するか否かは日中韓のFTAやRCEP きたことである。我々は欧州の歴史的経験を生 (東アジア地域包括的経済連携)が政治対立を かすのか、あるいはもう一度世界戦争の上に立 超えて機能するかどうかにかかっている。 て直すのかを迫られている。 第四の現実的解決は、経済におけるFTA、 7.境界線をめぐる局地戦争を さけるために EPA のネットワークである。これも現在、日 中韓FTA、RCEPの取り組みが、2013年より 開始されている。第五に、多様性の受容と「異 尖閣をめぐる対立、北朝鮮の核開発は、ポス 質との共同・共存」の若者教育の重要性である。 ト冷戦時代の、新しい代理戦争シミュレーショ 敵との和解と共存による地域統合、地域協力 ンの象徴である。中国と日本の境界線、近年で による敵対の制度的解決は、独仏だけでなく、 は「防空識別圏ADIZ」の重なりをめぐる緊張 アジアでもASEAN10か国が、インドとパキス と対立、北朝鮮の核と境界線をめぐる対立が局 タンがSAARCによって、中国とロシア、中央 地紛争を引き起こし、 それへの「防戦」のシミュ アジアが上海協力機構SCOによって、現実に成 レーション、ないし「サイバーテロ」への反撃 果を上げている。いずれも、戦争と紛争を繰り 準備が既に想定上では繰り返し始まっている。 返してきた地域であるが、地域統合と境界線問 アジアが、パワーシフトの戦場になる可能性 題の凍結により危機を回避している例である。 は、あり得るからこそ、避けねばならない。そ これらすべては、Nationalism、Xenophobia れが国際政治学の任務でもあろう。 による対立と緊張、相互破壊を避けるために実 では、どうすれば危機を乗り越えられるか? 行すべき最も重要な政策提言である。また、政 第 一 は、 信 頼 醸 成(Confidence Building) 、 府レベルだけではなく、学校教育や職場でも、 学術の動向 2014.1 33 特集 1 ◆グローバル化における「パワーシフト」への対応 何よりも大学教育において、軍事力による勝ち た共同漁場の確保や生活の保障である。近隣国 負けのゼロ・サム・ゲームではなく、経済の共 の敵対する境界線を安定化させ、生活領域を確 同と、知力、科学技術による共同こそがProfit 保する住民の視点が必要である。 パワーシフトの下での領土紛争は、長期的に を生み、地域国家世界を安定化させていくこと を立証していくことが重要である。 はどの国の利益にもならない。Trans Regional 欧州統合の父と呼ばれるクーデンホーフ・カ なネットワークによる多元的地域協同が重要で レルギーは、両大戦間期に、 「パンヨーロッパ」ix ある x。境界線をめぐる無為な紛争を避けるた をかかげ、 多民族の共存と融和を説いた。しかし、 めにも、国益を超えた地域益・市民益に基づく 現実には、第二次世界大戦が勃発し、欧州は焼 共同が、きわめて重要である。 け野原の後に欧州統合が実現したのである。 その教訓をアジアは生かすことができるだろ うか? 小林良彰、古城佳子、杉田敦3氏のコメンテ イターの貴重な御指摘及びフロアからの刺激的 な御質問に心より感謝する。 本論文は、科学研究費基盤研究(A) 「国際 8.結論─国家不安、領土紛争の 解決とは? 政治に見る欧州と東アジアの地域統合の比較研 パワーバランスの変化が緊張と対決を生み境 羽場久美子)の研究の一部である。記して感謝 界線をめぐる戦争を避けるためにやるべきこと 究─規範、安全保障、国境、人の移動─」 (代表・ したい。 は以下の三点であろう。それは「共通の利益」 に向けてのパワー行使、不透明さの回避にもつ ながる。 第一は、知のネットワーク形成、アジアの シンクタンクの強化、第二は、経済協力、地域 i ポール・ケネディ、1993. 鈴木主税訳『大国の興亡』 草思社 . アルヴィン・トフラー、1990.『パワーシフト―21 世紀へと変容する知識と富と暴力』フジテレビ出版 . 協力(戦争を阻止する枠組み) 、FTA、EPA の ii 進展である。バイの関係が複数化すれば多国間 Toffler, Alvin. Power Shift; Knowledge, Wealth, and Violence at the Edge of the 21st century. Bantam, 1990. 1990 年の出版年時よりも現代の方が書の正当 性は高いと思われる。 iii Maddison, Angus. 2007. Contours of the world economy, 1-2030 AD, in Macro-Economic History, Oxford University Press. Maddison, Angus. 2007. Chinese Economic Performance in the Long Run, 960-2030 AD, Paris:OECD. ネットワークとなり、地域統合の制度化にもつ ながる。他方、知的シンクタンクは国家のみで なく民間・非国家主体の共同でもあり重層性を 持つ。第三は、EUに倣った、エネルギー・資 源の共存であり、住んでいる者の立場から考え 34 注 学術の動向 2014.1 iv 羽場久美子「固有の領土とは何かー尖閣をめぐって」 『世界』岩波書店、2013.2 月 . 羽場久美子『グローバ ル時代のアジア地域統合』岩波書店、2012.2. v ジョセフ・ナイ、山岡洋一訳 . 2004.『ソフトパワー』 日本経済新聞社 . 山岡洋一・藤島京子訳 . 2011.『ス マートパワー―21 世紀を支配する新しい力』日本経 済新聞出版社 . ナイの書は明らかにアルヴィン・トフ ラーの「パワーシフト」を意識している。 vi ジョセフ・E・スティグリッツ , リンダ・ビルムズ , 楡井浩一訳 . 2008.『世界を不幸にするアメリカの戦 争経済―イラク戦費 3 兆ドルの衝撃』徳間書店 . vii サミュエル・ハンチントン、鈴木主税訳 . 1998.『文 明の衝突』集英社 . viii オランダ、イタリア、フランスからノルウェー、ス ウェーデン、スイスに至るまで、今や「人権先進国」 で市民権や社会保障をめぐって、ゼノフォビアが広 がり各国選挙にも影響を与えている。 例えば、Resisting Racism and Xenophobia: Global Perspectives on Race, Gender, and Human Rights, Ed. by Faye V. Harrison, Oxford, 2005. For Kin or Country: Xenophobia, Nationalism, and War, Stephen M. Saideman, and R. William Ayres, Columbia Univ. Press, New York, 2008. ix クーデンホーフ・カレルギー、鹿島守之助訳 . 1961.『パ ン・ヨーロッパ』 (最初の出版は、 1923 年)鹿島研究所 . x 羽場久美子「アジアの連携 国家越え『知』の結集の 場を」朝日新聞、Opinion、2012 年 9 月 14 日。 羽場久美子『グローバル時代のアジア地域統合』岩 波書店、2012 年。 学術の動向 2014.1 35