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【スズキ、ホンダに続きトヨタEVも追従か】フロンクス、WR-Vにeビターラ!インド製日本車の輸入が増加中

公開 : 2025.01.27 06:45

インド製の日本車、スズキ・フロンクスとホンダWR-Vの販売が好調です。1月16日にはインドで新型EV『eビターラ』も発表され、日本向け販売も予定されています。そういった『インド製日本車』の状況と今後を桃田健史が解説します。

インドからの日本車輸入に注目が集まっている

新たなインド製日本車が日本にやってくる。スズキは2025年1月16日、インドで新型EV『e VITARA(ビターラ)』を世界初公開した。今夏以降、インド、欧州、そして日本向けに販売する。つまり、eビターラの日本仕様は全数がインドからの輸入となる。

インド製日本車の日本への輸入といえば、スズキでは『フロンクス』、そしてホンダWR-V』がある。それぞれの輸入数は、輸入車ブランドと同じく一般社団法人日本自動車輸入組合の発表データで確認できる。

こちらは昨年、スズキがインドからの四輪車累計輸出300万台を達成した時のもの。
こちらは昨年、スズキがインドからの四輪車累計輸出300万台を達成した時のもの。    スズキ

直近2024年12月は、ホンダ(=WR-V、中国オデッセイ若干数を含む)が3794台で、メルセデス・ベンツの5230台とBMWの3971台に次いで3番目。スズキ(=フロンクス)は1417台で、ボルボを抑えて7番目である。

輸入車といえば長年に渡り、欧米の輸入車ブランドというのが常識であったが、近年はインドのほかにタイや中国からの日本車輸入が増えてきている状況。そうした中で、インドからの日本車輸入に注目が集まっているのだ。

背景には、企業それぞれのグローバル戦略がある。日本メーカーの海外生産といえば、1970年代から東南アジア、1980年代からはアメリカ、さらに欧州へと広がり、2000年代以降は中国が大きく伸びた。

2000年代半ばには、経済新興国がBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)と呼ばれるようになり、自動車の需要拡大に伴う日本車の現地生産が拡大した。 そうした中、スズキは独自の路線を敷いた。

スズキだけが真剣に話を聞いた

話は1980年代まで遡る。インド政府は国民車構想を検討する中で、技術提携先を日本に求めた。だが、当時のインドでの大規模な製造業については、商慣習や宗教など、社会環境全般に関して日本では情報が少なかった。

そのため、インド政府関係者は日本各地を巡ったものの、ほとんどの企業でインド進出に関する踏み込んだ議論にならなかった。そうした中、スズキの故鈴木修氏はインド政府関係者の話に耳を傾け、合弁企業マルチスズキが誕生する。

スズキは1月16日、インドで新型EV『e VITARA(ビターラ)』を世界初公開。日本にも導入予定だ。
スズキは1月16日、インドで新型EV『e VITARA(ビターラ)』を世界初公開。日本にも導入予定だ。    スズキ

これを、鈴木氏の将来事業に対するビジネスセンスとして、一部ではコンピューターならぬ『勘ピューター』と表現する。だが、実際には日本やアメリカなど、既存の市場で乗用車販売の拡大はスズキにとって難しいため、将来の可能性を秘めた新興国とのパイプを太くすることで、先行者利益を狙った極めて賢い選択。今になった思えば、そう言えるだろう。

さらに、2010年代に入ると、モディ政権が『Make in India』を掲げて、自動車産業の新たなる集積地を誘致した。それが、フロンクスやeビターラを生産する、グジャラート工場だ。設備はインドのグローバル拠点の中でも最新鋭であり、製品の品質も日本製に比べて遜色はない。

先日、フロンクスのチーフエンジニアとも意見交換したが、フロンクスが『インド製であること』に対して、ユーザーや販売店からこれまで、ネガティブな反応はまったくないという。フロンクスの日本市場での成功は、eビターラの日本導入に対する呼び水になったと言えよう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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