2013/12/16にNHKで放映されたプロフェッショナル 仕事の流儀は、ヤンキースのイチロー選手でした。
イチロー選手といえば、鋭いバットコントロールでどんなボールでも打ち返す技術。俊足、そして高い守備力と、非の打ち所がない名選手です。
2013年シーズンで日米通算4,000本安打を達成しました。4,000本安打を達成した選手は、これまでイチロー選手を含めて3人しか居ません。
それほどの選手が、今年は40歳を迎え、苦悩に満ちたシーズンを送っていたことを知りました。
栄光と挫折。
同じ世代として、心に迫るものがありました。
努力とはなにか?
今シーズンは先発を外れる試合が増えたイチロー選手。いつ出場できるかわからない日々が続く毎日について、イチロー選手は述懐します。
確かに、精神状態が不安定だったこと。まあ、途中からは特にそうですね。それは間違いなくそこに存在したそれが。そういう自分が存在したんですけど。
こういう状態の、気持ちがそういう状態のときというのは、普段続けていることが放棄したくなる。
まあ、言ってみたら、試合前にするストレッチだったり、いろんな準備がありますよね。
それを、なんとなくこう、やりたくない瞬間が現れるんですよ。
でも、それをすると、僕を支えてきた僕が崩壊してしまう。と、想像したので。そこだけは続けたということですよね。
それを放棄すると、今までやって来たことすら、いままでやってきた自分さえ、僕自身が否定しなくてはいけなくなるので、それはやってはいけないし。
それをやってしまうと、僕を僕の事を真面目に見続けて来てくれたひとたちの想いを完全に踏みにじることに。見えてないですけど、僕の中ではそうなるので。
それは頑張りましたね。
これが、努力なんじゃないかなと思いますね。
競争の激しいヤンキースの一員として、ある程度は受け入れなければならないことではあったとはいえ、これまでフル出場してきたイチロー選手にとっては辛いシーズンだったようです。
今シーズンが始まる2013年2月に、イチロー選手は日経新聞のインタビューで、努力についてこう答えています。
努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。
それは自分以外の第三者が思うこと。
もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか
イチロー選手にとっては、毎日のトレーニング・準備は、今までは努力だとも思わなかったのでしょう。
しかし、試合に出れるかどうかもわからない不安定な状況だと、イチロー選手のような大選手ですらサボリたくなるのです。それでも、自分が自分であり続けるために、いつでも試合に出れるように準備は続けて来た。
その継続性をイチロー選手は内面の苦しみを告白した上で「努力」だと言ったのです。
ここで努力という言葉の定義や、言った言わないのことを議論するつもりはありません。
イチロー選手という大選手といえど、加齢による自分の身体の変化や、新しいライバルの登場など、内外の状況は常に変化している中で、必死にもがいているという事実を知れたことが、私のような同世代の人間にとっては、意味深いことでした。
屈辱が自分を支えてくれる
4,000本安打を達成した10日後に、イチロー選手は9-1で試合が決まった8回裏に代打で出場。前のバッターはメジャーリーグで始めてヒットを打ったルーキー。イチロー選手は平凡なライトフライ。そのシーンを屈辱だったと語る。
このことは僕の中で、一生忘れない。忘れてはいけないこと。まあ悔しかったんですよね
違う意味で、いままでで、一番結果を出したかった打席。だったんですよね。
このことというのは、僕を、この先の未来の僕を支えていくだろうなとは思うんですよね。
(中略)
いままで自分を支えてきたものというのは、いい結果、いいことで支えられてるわけではない。
それなりの屈辱によって自分を支えてきている。現在もそうなんですけど。
別に痛みはないですけど。心は習慣的に痛みを覚えるじゃないですか。そういうことによって自分を支えて来たし。これからもそうであると思うので。
あの経験というのは、今現在の僕はすばらしい瞬間だったとというふうに思っているわけですよね。
「負の感情」は莫大なエネルギーを発生させます。イチロー選手ほどの大選手でも、悔しい思いや怒りを踏み台にして自分を積み上げてきたということでしょう。我々と同じように。
最近は「怒らないようにしよう」という意識を強く持っていました。もちろん人前で逆上するようなことはあってはなりません。
その一方で、怒りから生まれるエネルギーを上手く利用して、自分を前に進めることを考えてみたいと思いました。
最終的な形はない
20年トータルとりあえず毎日プレーするようになってから、言えることは、最終的な形はないということですね。
これがまた残酷なこと。打つという事の打撃の技術として、最終形がないということ。
だから前に進もうとする意欲が生まれているとも言えるんですけど。
(中略)
はっきりしているのは、近道はないということですよね。
遠回り。あとで考えるとこれ遠回りだったな、省けたら良かったなって思う事は確かにあります。
でもそれは一番近いんです。
自分も相手も環境も、どんどん変わっていきます。自分は研究され、相手はさらに鍛えて、スピードを向上します。そんな競争社会の中で、ずっと同じことを続けて成功が続くことはありません。
キングカズこと三浦知良選手も変えてきたので、変わらずにいられると、同じようなことを言っていました。
前向きな姿勢でチャレンジし続けることだけが、第一線で活躍するための必要条件なのです。
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