1915年の戦役
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「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「1915年の戦役」の解説
年明け1915年1月1日には、 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」、「アルマース」、艦隊水雷艇「レイテナーント・ザツァリョーンヌイ」、「カピターン・サーケン」、「カピターン=レイテナーント・バラーノフ」からなる黒海艦隊主力は、オスマン帝国の輸送船襲撃作戦遂行のため出撃した。艦隊は、トラペゼからケレンペ岬にかけての沿岸域で作戦を遂行した。艦隊水雷艇がスィノプに停泊していた蒸気船「ゲオルギオス」と 3 隻の帆船を撃沈したが、艦隊はそれ以外の船を見つけることはできなかった。1月6日には、セヴァストーポリへ帰港した。 1月11日には、 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」、「アルマース」、 10 隻からなる第 3・4・5 艦隊水雷艇隊は、アナトリア東域を封鎖するため出撃した。悪天候のため艦隊水雷艇はセヴァストーポリへ引き返したが、主力艦隊は1月12日朝にはセヴァストーポリから派遣された艦隊水雷艇「ベスポコーイヌイ」および「プロンジーチェリヌイ」と合流した。両艦はスィノプへ向かうところであり、その後岸に沿って西へ進む予定であった。艦隊は 1 隻も敵船を見つけることができないままイネボル(トルコ語版)にまで達し、同地の子午線で引き返した。その後、ホパ沖に「ミディッリ」が出現したという情報があったため、バトゥーミに進路を取った。通報船「アルマース」は、石炭の不足によりセヴァストーポリへ引き返した。深夜、無線通信によって敵巡洋艦隊が接近していることが知らされた。1月14日朝、ロシア艦隊はオスマン帝国の巡洋艦「ミディッリ」ならびに「ハミディイェ」と遭遇した。斥候任務に当たっていた「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」は、速力に劣る「ハミディイェ」への追撃戦を開始した。追撃は8時から16時まで続けられたが、日暮れが近付いてきたため中止された。この追撃戦により、オスマン帝国軍司令部は「ミディッリ」と「ハミディイェ」の共同運用を諦めざるを得なくなった。「ハミディイェ」では、ロシアの巡洋艦から逃れるのは困難だったからである。艦隊水雷艇「プロンジーチェリヌイ」と「ベスポコーイヌイ」を燃料補給のためセヴァストーポリへ帰してしまったため、1月15日深夜にはロシア艦隊は 1 隻の艦隊水雷艇も持たないままケレンペ岬沖を南西へ向かって進んでいた。「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」はオスマン帝国の沿岸部をアマスラ(トルコ語版)まで進み、艦隊はそこから引き返した。夕暮れとともに、艦隊はセヴァストーポリへ向かった。艦隊は、1月16日にセヴァストーポリへ帰港した。 1月17日には、 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」、「アルマース」からなる黒海艦隊主力は、アナトリア東域封鎖のため出撃した。巡洋艦隊はバトゥーミからサムソンまでの沿海域を遊弋し、1月19日未明に戦列艦隊の掩護の下、第 1・2 艦隊水雷艇隊の艦隊水雷艇 6 隻と合流した。これと並行してラズィスタン(トルコ語版)沿岸域で恒常的監視任務と現地駐留のために、第 5 艦隊水雷艇隊所属の 4 隻の艦隊水雷艇がバトゥーミへ派遣された。この作戦では、軍需物資を輸送していた蒸気船と、 50 隻の帆船を撃沈した。艦隊は、1月22日に帰港した。 1月23日からも、 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」、「アルマース」からなる黒海艦隊主力はオスマン帝国沿海域での封鎖作戦に従事した。艦隊はトラブゾンへ向けて出港し、バトゥーミに駐留していた艦隊水雷艇にも合流命令が下された。沿海息において巡洋艦隊と艦隊水雷艇隊は 50 ないし 60 隻の帆船を撃沈し、トラブゾンを砲撃、そこに停泊していた軍需輸送船「アクデニズ」を撃沈、また兵糧と防寒用軍装品を輸送中の蒸気船「ブルサ」をイエロス岬沖の子午線上に発見し、これも撃沈した。 1月30日にも、 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」、「アルマース」からなる黒海艦隊主力は第 1・2 艦隊水雷艇隊の 6 隻の艦隊水雷艇とともにアナトリア東域での襲撃作戦のため出撃した。この作戦では、 14 隻の帆船を撃沈した。艦隊は、2月7日に帰港した。 2月22日には、 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」、「アルマース」、 6 隻の艦隊水雷艇、機雷敷設艦「クセーニヤ大公妃」、「コンスタンチン大公」、「ゲオルギー皇太子」、「アレクセイ大公」、 2 隻の航洋掃海艦がセヴァストーポリから出港した。戦列艦隊はゾングルダク、コズル(トルコ語版)、キリムリ(トルコ語版)の沿岸目標を砲撃したが、これに並行して「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」はエレーリ投錨地(英語版)に停泊中の小型の蒸気船と 3 本マストの帆船を合わせて 7 隻撃沈した。作戦は、2月25日まで続けられた。 続いて2月26日には、 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、 4 機の水上機を搭載した水上機輸送艦「ニコライ1世」、艦隊水雷艇「グネーヴヌイ」、「プロンジーチェリヌイ」、「ヂェールスキイ」は、ルメリア沿岸への襲撃作戦のため出撃した。作戦は、3月1日まで続けられた。 3月5日には、 5 隻の戦列艦、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」および「カグール」、水上機輸送艦「ニコライ1世」は、艦隊水雷艇「ジュートキイ」、「ジヴーチイ」、「レイテナーント・プーシチン」、「ザヴィードヌイ」、「ザヴェートヌイ」、「グネーヴヌイ」、「プロンジーチェリヌイ」、機雷敷設艦「クセーニヤ大公妃」、それに掃海艦を伴って出撃、ボスポラス海域で襲撃作戦を実行した。その際、巡洋艦「ミディッリ」との戦闘が発生した。艦隊は、3月8日に帰港した。
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