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1915年の戦役とは? わかりやすく解説

1915年の戦役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:11 UTC 版)

パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「1915年の戦役」の解説

年明け1915年1月1日には、 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびにカグール」、「アルマース」、艦隊水雷艇「レイテナーント・ザツァリョーンヌイ」、「カピターン・サーケン」、「カピターン=レイテナーント・バラーノフ」からなる黒海艦隊主力は、オスマン帝国輸送船襲撃作戦遂行のため出撃した。艦隊は、トラペゼからケレンペ岬にかけての沿岸域作戦遂行した艦隊水雷艇スィノプ停泊していた蒸気船ゲオルギオス」と 3 隻の帆船撃沈したが、艦隊それ以外の船を見つけることはできなかった。1月6日には、セヴァストーポリ帰港した1月11日には、 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびにカグール」、「アルマース」、 10からなる第 34・5 艦隊水雷艇隊は、アナトリア東域封鎖するため出撃した。悪天候のため艦隊水雷艇セヴァストーポリ引き返したが、主力艦隊は1月12日朝にはセヴァストーポリから派遣され艦隊水雷艇「ベスポコーイヌイ」および「プロンジーチェリヌイ」と合流した。両艦はスィノプへ向かうところであり、その後岸に沿って西へ進む予定であった艦隊は 1 隻も敵船を見つけることができないままイネボル(トルコ語版)にまで達し同地の子午線で引き返したその後ホパ沖に「ミディッリ」が出現したという情報があったため、バトゥーミ進路取った通報船「アルマース」は、石炭の不足によりセヴァストーポリ引き返した深夜無線通信によって敵巡洋艦隊が接近していることが知らされた。1月14日朝、ロシア艦隊オスマン帝国巡洋艦「ミディッリ」ならびにハミディイェ」と遭遇した斥候任務当たっていた「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」は、速力に劣る「ハミディイェ」への追撃戦開始した追撃は8時から16時まで続けられたが、日暮れ近付いてきたため中止された。この追撃戦により、オスマン帝国軍司令部は「ミディッリ」と「ハミディイェ」の共同運用諦めざるを得なくなった。「ハミディイェ」では、ロシア巡洋艦から逃れるのは困難だったからである。艦隊水雷艇「プロンジーチェリヌイ」と「ベスポコーイヌイ」を燃料補給のためセヴァストーポリ帰してしまったため、1月15日深夜にはロシア艦隊は 1 隻の艦隊水雷艇持たないままケレンペ岬沖を南西向かって進んでいた。「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびにカグール」はオスマン帝国沿岸部をアマスラ(トルコ語版)まで進み艦隊はそこから引き返した夕暮れとともに艦隊セヴァストーポリ向かった艦隊は、1月16日セヴァストーポリ帰港した1月17日には、 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびにカグール」、「アルマースからなる黒海艦隊主力は、アナトリア東域封鎖のため出撃した。巡洋艦隊はバトゥーミからサムソンまでの沿海域を遊弋し1月19日未明戦列艦隊の掩護の下、第 1・2 艦隊水雷艇隊の艦隊水雷艇 6 隻と合流した。これと並行してラズィスタン(トルコ語版)沿岸域恒常的監視任務現地駐留のために、第 5 艦隊水雷艇所属の 4 隻の艦隊水雷艇バトゥーミ派遣された。この作戦では、軍需物資輸送していた蒸気船と、 50 隻の帆船撃沈した艦隊は、1月22日帰港した1月23日からも、 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびにカグール」、「アルマースからなる黒海艦隊主力オスマン帝国沿海域での封鎖作戦従事した艦隊トラブゾン向けて出港しバトゥーミ駐留していた艦隊水雷艇にも合流命令下された沿海息において巡洋艦隊と艦隊水雷艇隊は 50 ないし 60 隻の帆船撃沈しトラブゾン砲撃、そこに停泊していた軍需輸送船「アクデニズ」を撃沈、また兵糧防寒軍装品を輸送中の蒸気船ブルサ」をイエロス岬沖の子線上発見し、これも撃沈した1月30日にも、 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびにカグール」、「アルマースからなる黒海艦隊主力は第 1・2 艦隊水雷艇隊の 6 隻の艦隊水雷艇とともにアナトリア東域での襲撃作戦のため出撃した。この作戦では、 14 隻の帆船撃沈した艦隊は、2月7日帰港した2月22日には、 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびにカグール」、「アルマース」、 6 隻の艦隊水雷艇機雷敷設艦クセーニヤ大公妃」、「コンスタンチン大公」、「ゲオルギー皇太子」、「アレクセイ大公」、 2 隻の航洋掃海艦セヴァストーポリから出港した戦列艦隊はゾングルダク、コズル(トルコ語版)、キリムリ(トルコ語版)の沿岸目標砲撃したが、これに並行して「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」はエレーリ投錨地(英語版)に停泊中の小型蒸気船3 本マスト帆船合わせて 7 隻撃沈した作戦は、2月25日まで続けられた。 続いて2月26日には、 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、 4 機の水上機搭載した水上機輸送艦ニコライ1世」、艦隊水雷艇「グネーヴヌイ」、「プロンジーチェリヌイ」、「ヂェールスキイ」は、ルメリア沿岸への襲撃作戦のため出撃した。作戦は、3月1日まで続けられた。 3月5日には、 5 隻の戦列艦巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」および「カグール」、水上機輸送艦ニコライ1世」は、艦隊水雷艇「ジュートキイ」、「ジヴーチイ」、「レイテナーント・プーシチン」、「ザヴィードヌイ」、「ザヴェートヌイ」、「グネーヴヌイ」、「プロンジーチェリヌイ」、機雷敷設艦クセーニヤ大公妃」、それに掃海艦伴って出撃ボスポラス海域襲撃作戦実行したその際巡洋艦「ミディッリ」との戦闘発生した艦隊は、3月8日帰港した

※この「1915年の戦役」の解説は、「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の解説の一部です。
「1915年の戦役」を含む「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事については、「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の概要を参照ください。

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