大野治長
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大野 治長(おおの はるなが)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。豊臣氏の家臣。通称は修理亮または修理大夫で、大野修理の名でも知られる。
注釈
- ^ 南陽院殿凉巌受招大禅定尼。『妙心寺雑華院過去帳』による大野修理内儀の法名。妙心寺雑華院には凉巌受招信女像の絵がある。
- ^ ただし、治純は系図に名前がなく、しばしば治長と治房だけで大野兄弟、あるいは治長・治房・道犬で大野三兄弟などと呼ばれる。
- ^ 現在の京丹後市。
- ^ 後述する所領が同じ大野城であるために出生地との取り違えが起こった。
- ^ 現在の愛知県一宮市浅井町大野。
- ^ 治安は戦後に処刑された。
- ^ 『森家先代実録』『松原自休手録』『大坂御陣覚書』『長澤聞書』『土佐国編年紀事略』による[18]。
- ^ 『松原自休手録』『大坂御陣覚書』『長澤聞書』『土佐国編年紀事略』による[19]。
- ^ ただし、『看羊録』は家康による朝鮮出兵の再開を明言するなど、奇妙な噂話が多く収録されており、話の出所には疑問符が付く。そういった噂が当時あった程度の信憑性しかない。
出典
- ^ “大坂の陣と越前勢” (pdf). 福井市立郷土歴史博物館. p. 2. 2022年1月20日閲覧。
- ^ a b 大日本人名辞書刊行会 1926, p. 615.
- ^ a b c d e 高柳 & 松平 1981, p. 62.
- ^ a b 小林, p.310 , 清水昇「真田一族関係人物事典」.
- ^ 阿部 1990, p. 189.
- ^ 加藤国光 編『尾張群書系図部集(上)』続群書類従完成会、1997年、165頁。ISBN 9784797105551。
- ^ “豊臣家直轄領の大野村と大野城址 大野治長・道犬親子ゆかりの地” (PDF). ふるさと わがまち わが地域. 京丹後市. 2022年1月20日閲覧。
- ^ 吉村茂三郎 著「国立国会図書館デジタルコレクション 松浦古事記」、吉村茂三郎 編『松浦叢書 郷土史料』 第1、吉村茂三郎、1934年、124頁 。
- ^ 参謀本部 編『国立国会図書館デジタルコレクション 日本戦史. 関原役文書』元真社、1911年 。
- ^ 笠谷和比古『関ヶ原合戦と大坂の陣』吉川弘文館〈戦争の日本史, 17〉、2007年、23-24頁。ISBN 9784642063272。
- ^ 笠谷 2007, p. 24.
- ^ 史料綜覧11編913冊207頁.
- ^ 史料綜覧11編913冊236頁.
- ^ 大日本史料12編14冊220頁.
- ^ 徳富猪一郎『国立国会図書館デジタルコレクション 家康時代 中巻 大阪役己篇』 第12、民友社〈近世日本国民史〉、1946年、290-291頁 。
- ^ 大日本史料12編16冊777頁, 820頁.
- ^ 大日本史料12編16冊898頁, 12編17冊15頁, 12編17冊39頁.
- ^ 大日本史料12編18冊108-110頁.
- ^ 大日本史料12編18冊109-110頁.
- ^ 笠谷 2007, p. 245.
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- ^ 笠谷 2007, p. 256.
- ^ 笠谷 2007, p. 268.
- ^ 笠谷 2007, p. 278.
- ^ 笠谷 2007, p. 279.
- ^ 大日本史料12編19冊980頁.
- ^ 笠谷 2007, p. 280.
- ^ 小林, p.161 , 小林計一郎「日本一の兵 真田幸村」.
- ^ a b c 藤本 2016, p. [要ページ番号].
- ^ 桑田忠親「淀君」『戦国の女性』秋田書店〈桑田忠親著作集〉、1979年、281頁。ASIN B000J8BBR4
- ^ 桑田忠親『淀君』吉川弘文館〈人物叢書 新装版〉、1985年、164頁。ISBN 4642050043。
[続きの解説]
「大野治長」の続きの解説一覧
- 1 大野治長とは
- 2 大野治長の概要
- 3 淀殿との密通の噂
- 4 参考文献
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