『民主文学』4月号問題
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「日本民主主義文学会」の記事における「『民主文学』4月号問題」の解説
『民主文学』1983年4月号は、日本共産党中央機関紙「赤旗」から広告掲載を拒否された(のちに同盟から離脱した人物たちは、理由として当時党を批判していた小田実の寄稿に野間宏ら「反党分子」を含む訪中団の記事が記載され、それに編集後記で感謝の意を表明したことをあげている)。これに対しては、一部の同盟員が〈党中央による同盟への干渉〉だという批判をあらわにした。その直後の5月に開催された文学同盟の大会で、選出された幹事による第1回幹事会(大会中に開催され、議長・副議長・事務局長・編集長・常任幹事を選出する)では、当時の山根献事務局長・中野健二『民主文学』編集長の留任が認められず、9月の第2回幹事会まで事務局長・編集長が選出できなかった。第2回幹事会では霜多正次議長が辞意を表明し、窪田精が議長に就任、また常任幹事のうち中里喜昭など数名が辞任した。その後、霜多・中里らはその後『葦牙』を発刊し、同盟からも離脱している。
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