Location via proxy:   [ UP ]  
[Report a bug]   [Manage cookies]                

なかざとかいづかとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > なかざとかいづかの意味・解説 

中里貝塚

名称: 中里貝塚
ふりがな なかざとかいづか
種別 史跡
種別2:
都道府県 東京都
市区町村 北区上中里
管理団体
指定年月日 2000.09.06(平成12.09.06)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文:  中里貝塚は,武蔵野台地下,旧東京湾奥部の西側浜辺営まれ縄文時代貝塚である。付近武蔵野台地上には同じ縄文時代中期西ヶ原貝塚御殿遺跡がある。
 中里における貝塚存在早くから知られ大森貝塚発掘から9年後の明治19年には白井光太郎によって「中里村介塚」として学界初め報告された。その後明治29年には鳥居龍蔵らが,貝塚見渡したスケッチ残している。このように明治年間から学界報告され注目され貝塚であったが,その後鉄道敷設宅地化次第にその存在忘れられていった
 昭和33年和島誠一による調査が行われ,厚さ2m以上に及ぶハマグリマガキからなる貝層確かめられた。昭和5859年周辺行われた調査でも,当時浜辺からムクノキ製の丸木船1艘と集石炉2基が出土した公園建設ともなって北区教育委員会が行った平成8年発掘調査では,厚さ4m大規模な貝層と貝の処理施設考えられる2基の浅い皿状の土坑検出された。この土坑は1.6×1.3mと0.6×0.5mの大きさで,いずれも内壁粘土を貼り,枠取りをするようにを縁に巡らしている。土坑内からは大小焼石マガキブロック出土したことから,土坑中に貝を置いて張り焼石投入して沸騰させ,貝の口開けた処理施設であった推測された。こうした施設用いて集中的に貝を加工した結果膨大な量の貝が堆積したことも想定された。また,出土土器から貝層形成縄文時代中期中葉から後期初頭であること,貝層中には焚き火跡と判断される木炭層や灰層があることも確認された。さらに,平成11年にも,マンション建設先立って北区教育委員会平成8年調査地点の西120m地点発掘調査し,厚さ2m上の貝層下の波食台敷かれ長さ6.2m以上の木道と,それに続く長径3.2m,短径1.7m,深さ0.5mの土坑確認した。なお,平成8年11年の両調査地点とも保存図られている。
 このように中里貝塚は,集落からはなれた浜辺付近集落暮らした人々協業して貝加工行った結果残された,南北100m以上,東西500m上の範囲最大厚さ4.5m以上の貝層広がる巨大な貝塚である。そして,縄文時代自給自足的範囲越えて内陸の他の集落供給することを目的とした貝の加工処理があったことを各種遺構具体的に伝え重要な遺跡でもある。よって史跡指定し保護を図るものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  中沢目貝塚  中田横穴  中郷古墳群  中里貝塚  中高瀬観音山遺跡  串田新遺跡  丸亀城跡



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

なかざとかいづかのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



なかざとかいづかのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS