プロテスト・シンガーとしての顔
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「ジョルジュ・ムスタキ」の記事における「プロテスト・シンガーとしての顔」の解説
1969年に発表した『Le Temps De Vivre』(邦題「生きる時代」-同名映画の主題歌)では「聞いてごらん、五月の壁の上で言葉が震えている。いつかすべてが変わると確信を与えてくれる。Tout est possible,Tout est permis -すべてが可能で、すべてが許される」と五月革命時の有名な落書きのスローガンを曲にして歌った。1972年の『En Méditerranée』(邦題「地中海にて」あるいは「内海にて」)では、70年代に入っても(「政治の季節は終わった」とされていても)、独裁政治に抗するスペイン、ギリシャの民主化運動に捧げて「アクロポリスでは空は喪に服し、スペインでは自由は口にされないが、地中海には秋を怖れぬ美しい夏が残っている」と歌い、まだ発売される前の1971年にフランコ独裁下のスペイン・バルセロナ公演で発表する。1974年の『PORTUGAL』(邦題「ポルトガル」)では、「理想なんて実現しないと思い込んでいる人々に、ポルトガルにはカーネーションが咲いたんだと言ってやって下さい」とカーネーション革命を祝福して歌った。また、同年のスペインの独裁者フランシスコ・フランコ危篤の報に、『FLAMENCO』(邦題「フラメンコ」)で「フランコのいないスペインは、お祭り騒ぎになるだろう。僕はそこでフラメンコを聴きたい。地中海のほとりで歴史の風向きが変わった」と歌って物議を醸し、フランスのスペイン大使館はレコード会社に『FLAMENCO』の発売差し止めを申し入れるという「外交問題」にまで発展した。 ムスタキは常に社会変革の運動に心をよせ、五月革命の最中に、そして90年代に入っても度々、ストライキを行っている労働者たちのピケットで歌った。自身の曲に、ストライキを闘う(女性)労働者たちに捧げて「闘う者に名はつけられない。しかし人はそれをRévolution permanente-永続革命と呼ぶ」と歌った『Sans La Nommer』(邦題「名も告げずに」)がある。また、ムスタキは2007年フランス大統領選挙において、フランス社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル候補の支持を表明し、5月1日の「ロワイヤル支援集会」にも参加した。
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