ボホート、チロシニア、都市の祭り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 07:58 UTC 版)
「馬上槍試合」の記事における「ボホート、チロシニア、都市の祭り」の解説
当時、トーナメントに似た各種の催しが行われ、しばしばトーナメントと混同されている。最も一般的なのはボホートで、「遊びのトーナメント」であり非公式に色々な場合に行われた。1171年に書かれたウィリアム・フィッツ・スティーブンの『トマス・ベケットの生涯』ではロンドンの若者達が定期的に行っていたことが記録されている。ボホートは旅の騎士や従者の一団の間、あるは行軍中の軍隊等でも行われた。宮廷の催しの一部として行われることもある。主な特徴は、武器と防具を限定したことと馬術を重視したことである。 チロシニアはフライジング司教オットーが、1127年にヴュルツブルクで開催された競技に言及したのが最初である。これは新たに騎士に叙任された若者(チローヌ)を対象に開かれた。若い騎士は経験が少ないため古参の騎士に簡単にあしらわれる事が多かったが、チロシニアに参加することで大きな危険を冒さずに経験をつむことができた。王族や上級貴族の若者が騎士に叙任された時(通常、12から20人の若者が同時に騎士に叙任される)に開かれることが多い。 同種の催しとして都市トーナメントが都市の富裕な若者の間で開かれた。これらは単なるボホートというより貴族のトーナメントの模倣である。この種のトーナメントで最も有名なのはフランドルの大きな都市の市場街で開かれたもので、1283年以前にリールでの例が最初に言及されている。出場者は都市市民だけに限定されているわけではなく、近隣の田舎の騎士も参加したが、開催場所や主催者は貴族の開くトーナメントとは明確に異なっていた。トゥルネイ(団体戦)はこの種のトーナメントでより長く残った。
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