ワシャキー
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ワシャキー(英: Washakie、1808年頃[1] - 1900年2月20日)は、ショーショーニー族(Shoshone、口頭発音でショーショーニー)インディアンの指導者であり、アメリカ人毛皮罠猟師オズボーン・ラッセルの残した記録では1840年に初めて登場する名高い戦士である。1851年、罠猟師ジム・ブリッジャー(1804年-1881年)の勧奨により、ワシャキーはショーショーニー族の1隊を率いて第一次ララミー砦条約の協議会に向かった。実質的にこの時からワシャキーが死ぬまで、アメリカ合衆国政府代表はワシャキーを東部ショーショーニー族の頭領と認めていた。
- ^ a b c Stamm, Henry Edwin (1999). People of the Wind River: The Eastern Shoshones, 1825-1900. University of Oklahoma Press. pp. 25. ISBN 9780806131757
- ^ a b c “Washakie”. 2009年7月25日閲覧。
- ^ Encyclopedia of LDS History, p. 1312
- ^ “AHC : Wyoming Citizen of the Century Religion Finalists”. American Heritage Center : University of Wyoming. 2004年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月8日閲覧。
- ^ Henry E. Stamm, IV, Ph.D (2003年5月22日). “Washakie's Life & Times: A Biographical Sketch”. The Wind River Historical Center. 2003年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月8日閲覧。
- ^ “USS Washakie”. Dictionary of American Naval Fighting Ships. 2004年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月25日閲覧。
- 1 ワシャキーとは
- 2 ワシャキーの概要
- 3 ブリッジャー砦条約
- 4 栄誉
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