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与力とは? わかりやすく解説

よ‐りき【与力】

読み方:よりき

(「寄騎」とも書く)室町時代大名や有力武将に従う下級武士戦国大名には、侍大将足軽大将など上級家臣寄親(よりおや)とし、その指揮下に属した騎馬武士

江戸時代、諸奉行大番頭(がしら)・書院番頭などの支配下でこれを補佐する役の者。その配下それぞれ数人同心をもっていた。

加勢をすること。

「—の輩(ともがら)誰々ぞ」〈平家・一〉


与力

読み方:ヨリキyoriki

(1)加勢助力すること、またその人軍勢
(2)室町時代以降諸大名・有力武将などに属す武士
(3)江戸幕府江戸市中行政・司法警察などの任にあたった者。

別名 寄騎


与力

読み方:ヨリキジマ(yorikijima)

九十九島属す五島灘無人島

所在 長崎県北松浦郡鹿町町

島嶼名辞典では1991年10月時点の情報を掲載しています。

与力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 18:38 UTC 版)

与力(よりき)とは、江戸幕府における代表的な職名。寄騎とも書くが、与力・寄騎は時代によって意味が異なる。

(そなえ)などを編成するため、江戸時代以前には、足軽大将(足軽組頭)などの中級武士大身の武士の指揮下に入る事を意味する語句としても用いられていた。

中世

鎌倉時代には与力・寄騎は単に加勢する人のことを指したが、その後しだいに大名または有力武将に従う下級武士のことを指すことが多くなった。戦国時代には、「寄子」(よりこ=有力武将(寄親)に対する在地土豪)の意味で用いられることが多く、彼らは下級武士ではなく、在地の領主(在地土豪)である。数千貫文の土地を持つ例も珍しくなかった。

戦国大名たちは、在地土豪である寄騎・寄子を寄親の家臣団に組み込ませると、寄親の力が大きくなりすぎるため、謀反の防止に腐心した。そこで寄親を統率する戦国大名は、寄子たる在地土豪たちを陪臣(家臣の家臣)とはせずに直接的に臣従させる一方で、重臣や有力武将(寄親)に附属させ、在地土豪の軍事力を効率的に利用した。特に後北条氏今川氏上杉氏武田氏などにしばしば見られる。家老として付けた者は付家老御附家老と呼ばれた。

また、より大きな大名に加勢として附属させられた武将を与力大名(組下大名)と言うものもあった。その代表例としては織田政権において、織田信忠河尻秀隆森長可ら、柴田勝家前田利家佐々成政ら、明智光秀細川藤孝筒井順慶らがそれぞれ属して方面軍団を結成していた事などが挙げられる。これらにおける与力大名は、統一軍事行動を取る際に軍団長大名の指図を受けるのみであり、主君の嫡男で生前に家督相続した織田信忠を例外として、身分としてはあくまで対等な織田大名同士である。明智と細川、筒井らは縁戚でもあり友人でもあった。

近世

江戸幕府の与力

江戸幕府の与力は、上官(旗本)の補佐にあたるために配属された[1]御家人身分だが、着用・騎乗が許されたため馬も合わせて単位は「騎」だった。

有名なものは町奉行配下の町方与力で、町奉行を補佐し、江戸市中の行政司法警察の任にあたった。南町・北町奉行所にそれぞれ25騎の与力が配置されていた。

与力には、町奉行個人から俸禄を受ける家臣である内与力(元々は着任前の奉行の用人などであり、主君と一緒に奉行所へ着任、離任する)と、将軍から俸禄を受け奉行所に所属する官吏である通常の与力の2種類があった。内与力は陪臣であるため他の与力より本来は格下で禄高もおおむね低かったが、奉行の側近としてその実権はむしろ大きい場合もあった。与力は配下の同心を指揮・監督する管理職であるとともに、警察権でいうならば今日の警察署長級の側面(ただし今日の警察署長のように管轄区域があったわけではない)、司法権でいうならば民事と刑事の双方の裁判も詮議担当したので今日の裁判官検察官的側面もあった。

与力は役宅として八丁堀に300程度の組屋敷が与えられた[2]。また、もめごとが起こったときに便宜を図ってくれるように諸大名家や町家などからの付け届けが多く、家禄も150~200石で裕福な家も多かった[3]。その他の役得としては、湯屋の女風呂で朝湯に入ることができた。これは、八丁堀の湯屋は特に混雑していたことに加え、当時の女性には朝風呂の習慣がなかったため女湯が空いており、男湯で交わされる噂話や密談を盗聴するのにも適していたためであったが、彼らのために女湯に刀掛けが置かれたことは「八丁堀の七不思議」に数えられていた[4][5]。与力は組屋敷に廻ってくる髪結いに与力独特のを結わせてから出仕した。な身なりで人気があり、与力・中間・火消の頭は江戸の三男(えどのさんおとこ)と呼ばれてもてはやされた。

町与力組頭クラスは二百数十石を給付されて下級旗本の待遇を凌いだ。ただし罪人を扱うことから不浄役人とみなされ、将軍に謁見することや、江戸城に登城することは許されなかった。したがって身分上は御家人であり、御家人の中では上位の俸禄であった。

騎兵扱いであるためを着用するが、歩兵扱いの同心の特権である将軍の御成先でも着流しが許される「御成先御免」は無かった。

大坂の与力

大坂では東町・西町奉行所に各30騎の与力が配置されていた。江戸のように寺社奉行火付盗賊改方の役がなく、町奉行所が一手に引き受けていた。盗賊方の与力が6人、定町廻の与力が4人いた。4与力・同心の役宅は、東町奉行所の北方、淀川天満橋を渡って1キロほどのところにあり、彼らは、天満与力、天満同心と呼ばれた[6]

脚注

  1. ^ 同心とともに配属された。
  2. ^ 中村静夫「新作『八丁堀組屋敷図 1600分の1 嘉永6年』解説]」『参考書誌研究』22号、国立国会図書館、1981年。 
  3. ^ 安藤優一郎 (2024年3月3日). “与力は賄賂で大儲け?江戸時代の「不正」驚く実態: 都市行政に練達しているからこそ便宜を図られた”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社. 2024年3月4日閲覧。
  4. ^ 「江戸時代の湯屋の描写で「女湯に刀掛けがある。」と書いてあった、本当か。」練馬区立練馬図書館) - レファレンス協同データベース、2022年10月1日閲覧。
  5. ^ 山本博文時代劇用語指南 与力の朝風呂 - imidas、2008年9月18日、2022年10月1日閲覧。
  6. ^ 林美一『江戸の二十四時間』河出書房新社、1989年、288-289頁。 

参考文献

関連項目

外部リンク


与力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 15:05 UTC 版)

大岡越前 (ナショナル劇場) の登場人物」の記事における「与力」の解説

神山左門天知茂) / 出演シリーズ第1部 - 第3部 祝言をあげたばかりの妻を盗賊人質にとられ亡くしたため、悪に対す憎しみ人一倍で、それ以来かみそり左門」と呼ばれるようになった村上同様、忠相よりも以前から南町奉行所勤めているが、村上違って忠相一家との個人的な付き合いはなく、あくまで役目上の付き合いだけである。彼を主役にしたフジテレビ時代劇スペシャル地獄の左門十手無頼帖制作されたが、時代設定本作とは大きく異なり天保年間変更されている。 池田大助(原田大二郎) / 出演シリーズ第3部 忠相配下見習い与力。爆薬によって殉職した父・池田良助(高松英郎)の後を継いで与力となる。村上とは、若い上役年配の下役との関係から、「村上さん」「大助様」と呼び合い互いに敬語話していた。 相良俊輔三浦友和) / 出演シリーズ第4部 相良左衛門加東大介)の息子だったが、父は吉宗暗殺企てる一味加担した挙句銃弾浴び死亡身寄りなくなったところを忠相の計らい内与力拝命した。若さゆえに暴走走り源次郎たちに窘められることもあった。綾と次第いい仲になっていく。池田同様、村上とは、若い上役年配の下役との関係から、「村上さん」「相良様」と呼び合い互いに敬語話していた。 ただし、実際江戸時代身分制度では、内与力奉行務める家(この場合大岡家)の家臣、すなわち陪臣であり、与力や同心身分上、徳川家直参家臣になるため、村上の方が身分上である。 片平弥平次(西岡徳馬) / 出演シリーズ第12部第13部準レギュラー無口茫洋感情見せる事は少ないが、頭の切れは抜群詮議掛り与力。主に浪人町人の姿に変装し敵方潜入して内偵捜査進める。

※この「与力」の解説は、「大岡越前 (ナショナル劇場) の登場人物」の解説の一部です。
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